「…これはどういうことかな?シズちゃん…?」
「手前も人のこと言えんのかよ…臨也クンよぉ…」
ヒクリと臨也が頬を引き攣らせ、無理矢理笑みを作る。が、俺を射抜く細くなった双眸は決して笑ってなどいなかった。隠し切れていない臨也の憤怒がにじみ出ている。
何故いきなりこいつにキレられなけれならないのか見当がつかない。寧ろ、キレてぇのは俺の方だ。いや、実際にキレてるけどな、かなり。
ビキリと青筋が浮かぶのが分かる。至って冷静に自身を解説しているように思えるが、実際はまったく冷静なんかじゃない。怒りのバロメーターが大幅に超過してしまった結果がこれである。
「俺?…変な言いがかりは止めてくれないかなぁ。俺は君と違ってちゃんと真面目に毎日を生きてるんだけど」
「嘘つけ、ノミ蟲野郎。もしそうなら俺がここまでキレる必要ねぇだろうが、ふざけんな」
「シズちゃんがキレてるなんて日常茶飯事だろう。君の沸点の低さと俺の寛大な心を同一としないでくれる?どうせしょうもないことでキレてるんでしょ」
「……手前、本気で言ってんのか…?マジで怒るぞ、臨也」
「…俺は、とっくの前から怒ってるよ。今回は本気でキレたよ」
普段よりも一段階ほど低い声で静かに告げる臨也の表情に、もう笑みは浮かんでいない。
実力派俳優として活躍する臨也は、世間から演技力を高く評価されている分、それだけ沢山のドラマや映画の配役を任される。その中では時に、怒りを全身で演ずるシーンだってある。俺は臨也の出ているドラマや映画は欠かさず見ているから、そういったシーンは何度も見ている。
けれど、目の前でキレている姿は映像の中で折原臨也が見せる“怒り”じゃない。
恋人である俺にしか見せない、本物の折原臨也の“怒り”だ。
そう考えると嬉しいのは嬉しいが、やはり俺自身が抱える怒りもあるせいでその嬉しさはいつの間にか憤怒の渦にかき消された。
それだけ、俺もキレてる。
本気で、どうしようもないほど、だ。
「俺だってなぁ、今回はマジだ。手前はそんだけのことをやっちまったんだよ」
「へぇ?俺には君を怒らせた記憶が微塵にもないんだけどなぁ。それよりも俺は、自分が何をしてしまったのかもう一度考えて、そして悔い改めるべきだと思うよ」
「……本気で分かってねぇのか?」
「……シズちゃんも、分かってないじゃん」
「…………」
「…………」
訝しげに眉を寄せる臨也は本気で分かっていないように思えた。俺がどんな思いでキレてんのか、こいつには何一つ伝わっていないと思うとまた苛立ちが増す。
俺はこんなにも臨也のことでキレてんのに、その本人に伝わってねぇって最悪だろ。一番分かってほしいこいつが俺の焦燥に気付いてねぇってどういうことだよ、オイ。
それどころか臨也は俺が分かっていないのかと問えば、俺の方も分かっていないと言う。多分、臨也がキレている理由のことを言っているのだろうが、俺にはまったく見当がつかない。
少なくとも俺は、真面目に仕事に日々謹んでいるだけだ。後の時間は全て臨也に宛てている。そんな中で臨也がキレることなんざ思い浮かばねぇ。俺はいつだって臨也最優先で動いているのを自負している分、更に臨也の怒りが分からなかった。
いや、別に今は臨也が怒ってる理由なんざどうでもいい。
問題は、俺の怒りだ。
何せこのノミ蟲野郎…よりにもよって、だ。
「――――ンで……ッ、何で手前こんなに距離が近ぇんだよ!」
ビシリと指差した先にあるテレビには、臨也が映っていた。しかも、だ。
タイミングが良いのか悪いのか、丁度その画面に映し出された臨也は泣いていて、あろうことかそんな臨也の頭を優しく男が撫でて耳元で慰めている、そんなシーン。
今だけじゃない。さっきからこの俳優との絡みがあるたび、いつもこんな風な至近距離での会話ばかり。設定上の役柄を言えば、臨也が演じる主人公は気の強い性格の持ち主で、そんな主人公の弟で唯一弱味を見せれる存在というのがその男のポジションだった。初回から見ている俺は、毎度毎度この男と臨也が出る度に苛々して仕方がない。
その苛々が今日、第六話目にしてついに我慢の限界がきた。ここまできたら距離が近いのは偶然でも何でもねぇ、明らかな故意だ。
それなのに、当の本人はケロリとしている。
「何言ってんの?そういう脚本なんだから仕方ないだろう。仕事だよ、仕事」
「てめっ、こいつと前も出てたけどそんときもだったじゃねぇかよっ!」
「いやいや、前はそんなに絡みなかったし。近くなかったし、このドラマも近くないし。大体さ、正臣君は事務所の後輩でそれなりに仲良いだけだから何もないから」
「分かンねぇだろ!手前、鈍感のくせに何言ってんだ!」
「ハァ!?失礼なこと言わないでくれる!?それに鈍感はシズちゃんの方だろっ!こんな下心満載な顔した女と何枚も一緒に撮っちゃってさ!!」
バンッと臨也が机に叩きつけた雑誌には見覚えがあった。確か今日発売のヤツで、開かれたページに俺と一緒に並んでいる女には見覚えがある。名前はよく覚えてねぇけど、俺のファンだとか言ってた気がする。多分。
しかし俺には臨也が怒る理由が分からなかった。下心満載な顔ってどんなだ、と紙面にいる女の顔をじっと見ているがさっぱりだ。別にそんなことねぇだろうと思う。
それに、この女よりも下心があるのは明らかに臨也の方の奴だろう。あれはどう考えても近すぎる、仕事だとかそういう内容だとかいう問題でなく、そのマサオミ君とやらの陰謀だ。
「別にこれこそ仕事だろ!俺とこいつは普通に仕事で撮られてるだけだろっ」
「絶対違うって!だってシズちゃんめちゃくちゃ触られてるし、手も繋いでるし!何!?もしかして浮気なの!?」
「ばっ…!ンなわけあるか!これは向こうが勝手にしてきて、カメラマンがその構図がイイっつたから撮られたんだよ!それに、お前の方がどう考えても触られまくってんだろうが」
「ほら!やっぱりこの女、下心アリアリじゃん!あと、さっきも言ったけど正臣君は俺の後輩なの。それで少し仲良いだけだからね」
「手前はそうでも、向こうがそうだとは限らねぇ」
「そんな誰も彼も同性に好意寄せるってわけじゃないから。正臣君は本当に普通の後輩。だから俺としては異性であるこの女と絡みをもった君の方が大罪だと思う」
恨めしげにそう言う臨也の表情は、悲痛の色に染まっていた。酷く傷ついているような顔は俺の胸にズキリと突き刺さる。こんな顔をさせたいわけじゃない、俺はただ、臨也には演技でも何でもなく、普通に笑っていてほしいだけなのだ。
沢山のカメラを向けられ役に演ずる姿は綺麗だとは思う。画面越しの臨也は、どんな女優なんかよりも綺麗だ。しかしそれ以上に臨也を綺麗だと思うのは、俺と一緒にいる素のときだった。
俺はそんな臨也が見たい。しかし、だからと言って映像越しにいる臨也が、例え役に成りきっている偽りの架空人物だとしても演じているのは臨也に変わりない。結局、俳優の臨也も素の臨也も俺は独占したいのだ。
だから気に入らない。臨也にその後輩に何の思いがないのだとしても本当に向こうがどう思っているのかは分からない。臨也はああ言うが、実際は臨也に好意を寄せる同性は少なくないのを俺は知っている。それを分かっているから、俺は余計に不安なのだ。
俺以外の誰かと触れあっている臨也が、例え折原臨也の意思ではない役の意思だとしても、俺は、気に入らない。
――――そこで、はたとあることに気付く。
俺が臨也とその後輩が触れ合っていることに怒りを抱いているのと同様に、こいつも俺とこの女が触れ合っていることに怒りを抱いているのだと。
特に、臨也の怒りの矛先にいるのは異性なのだ。本来、恋情を向けるべき相手。異性というだけで、俺よりも臨也の方が不安なのかもしれない、と幾分か冷静になった脳内がそこに辿り着いた。
「…なぁ、臨也」
「何?自分の非でも認めたかい?」
「ああ、そうだな。一先ず俺から謝ってやる。悪かった」
「どうしてそんなに上から目線なの、シズちゃん」
「俺だってお前と同じことで怒ってんだ。俺達がこういう関係な以上、同性異性も関係ねぇっつーのを、お前も自覚しろ」
「……うん、ごめん」
「ま、今回はお互い様っつーことだな」
落ち着いてみれば、何てことない言い合いだった。俺は臨也の後輩、臨也は偶々一緒に仕事した女にそれぞれ嫉妬していただけなのだ。
そして両方が嫉妬を抱くということは、それだけ俺達は互いしか見えていない。ま、そういうことなんだろう。
どんなに綺麗な女優やモデル然り、どんなに顔の良い俳優やモデルが互いの現場にいたとしても、脳内にいるのは現場にいない恋人だけ。
かなり自分で考えてクサイとは思うが、そう考える方がしっくりくる。
「臨也。手前、俺以外に隙見せんじゃねぇぞ」
「当たり前じゃん。シズちゃんこそ、俺以外に目移りしたら殺すからね」
「しねぇし、出来ねぇよ」
「ふふっ……俺も、シズちゃんしか見えてないから安心してよ」
「…おう」
嬉しそうに顔を綻ばせる臨也は、どんなドラマや映画で見せる表情よりも綺麗だった。
俺はそんな自分しか知らない臨也に満足しつつ、生身の折原臨也を抱きしめた。
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明夜様に捧げます!
…なんかあまりパロディ要素を引き出せず、申し訳ないです(・ω・`)