日本の、東京の、池袋という都市に、彼女は足を踏み入れた。十年ぶりである日本の空気は彼女の気分を高める。やはり十年も経てば多少街並みは変わってしまうが、そこは紛れもなく彼女の記憶にある街だ。



「(嗚呼―――やっと、帰って来たよ)」



喜びを心の中で噛みしめ、彼女は嬉しそうに目を細める。その先にあるのはドデカイ高層ビルでも、溢れ返りそうな人でも、池袋という街でもない。彼女の目には今も昔も変わらず“彼”しかいない。大好きで大好きで仕方がない、人類で唯一愛することが出来る愛しい半身。彼はちゃんとメールを読んでくれたかな、と笑う。

一刻も早く会いたい。今すぐ、会いたい。



「なっ…!?」

「?」



大好きな彼を脳裏に浮かべていると、不意に背後から驚愕の声がして振り向く。その先には金髪、長身、サングラスのバーテン服を着こんだ男が口を半開きにさせて呆然としていた。足元にはまだ吸い始めたばかりであろう煙草が落ちていて、勿体ないな、と他人事のように思った。
けれどそれだけだった。生憎と彼女は男を知らないし、今の彼女の頭は彼で一杯で他のことを気にしている暇はない。

彼女は何事もなかったように男に背を向け、再び歩みだそうとした―――の、だが。



「ちょっ…と待て、手前!」

「わっ」



男に右腕を引っ張られ、彼女の歩みは呆気なくストップしてしまった。急なことで頭がついていかず、自分を足止めする金髪の男を見上げる。すると男は、サングラスの奥の双眼で思い切り睨み付けてくる。その目には殺気も僅かながら含まれており、彼女にはまったく理解出来なかった。



「っ、急に何するんですかー!」

「お前、誰だ?」

「…はい?」

「クソ蟲みてぇだけど違ぇ感じがする…」

「あのぉ、何ですか?」



見知らぬ男に急に絡まれ、その上最初に掛けられた言葉が「誰だ?」とは何て不躾な奴なんだろうと思う。誰だ、とは此方の方が聞きたい。自分を見て驚かれたと思えば、急に腕を引っ張られて今の状況だ。不愉快もいいところだ。
それを顔に思いっきり貼り付け、自分を不躾にもじろじろ見下ろす男を睨み上げる。



「初対面の人にこんなことされる覚えないんですけどぉ」

「あ、悪い」

「そう思ってるなら腕離してください。痛い」



機嫌と共に大分低くなった声色でそう言えば、男は思い出したように腕を慌てて離す。ジンジンとする痛みに眉を寄せ、服を巻くって掴まれた腕を見てみれば案の定、そこは男の手形が残っている。それに更に気分が急降下した。
自分の体に跡を残すのも、自分の体に触れていいのも、全部全部彼だけだ。少なくともこんな初対面の男が触れていいような安い体はしていない、まったくもって不愉快極まりない。

彼女は舌打ちをし、目の前でやはり呆然と自分を見ている男に嘲笑を送ってやった。



「ねぇ、貴方何なんですかぁ?いきなり人の腕掴んで、その上手形残すまで強く握っちゃって。ねぇ、何ですか?何なんですか?すごく不愉快なんですけどー、ありえないんですけど。私これから人類で最も大切で大事な人と会うのに、気分だだ下がりです。最悪最低です。お詫びに死んでください、バーテン男め」

「…あァ?」

「あれれぇー?逆ギレですかぁ?加害者のくせに被害者のか弱い乙女相手に逆ギレなんて、どんだけ腐ってるんですかもう死んでください、寧ろ死ね。人類全員大嫌いですけど貴方はこのたった数分の間で大嫌いの一位独占中ですよ。なのでやっぱり死んでください」

「手前、人が大人しくしてりゃあベラベラと…。どっかのノミ蟲野郎を思い出して不愉快だ、苛々する…!」

「それはこっちの台詞ですよ」



バチバチッと青白い火花が二人の間を走る。男は額に青筋を浮かべ、女は嘲笑を浮かべては爆発寸前の男を挑発するように鼻を鳴らす。そのただ事ではない男女の言い合いに、次第に野次馬が二人を囲うように群れをなす。

それもその筈。何せ言い合いをしている二人は、沢山の野次馬を呼び寄せてしまうほど池袋では有名人であった。
片方は池袋最強と恐れられる存在、平和島静雄。その圧倒的な暴力で今では喧嘩人形やら、最も敵にしてはいけないなどと周囲からは危険視されまくっている男だ。そんな彼を知らない池袋人はよっぽどだ。
そしてもう片方。黒い艶やかな髪に紅い目。ファー付きの黒いコートを羽織り、全てを黒で統一した服装。眉目秀麗という言葉を具現化したような容姿。それは、平和島静雄と犬猿の仲と知られる人物の特徴を全て持っていた。

そんな二人が集まれば確かに周囲の目は引くが、それだけではない。
片方の男は確実に平和島静雄だった。けれども静雄が対峙しているのは、彼の天敵の特徴を全て掴んでいても根本的なところが違った。静雄の天敵は確かに黒を中心とした格好ではあるが、彼が下に履いているのは長いズボンであり、こんな短すぎる短パンではない。もっと言えば彼の髪の襟足はもう少し短いし、身長だってもう少し高い。


結論から言えば、天敵―――折原臨也とよく似ているその人物は、女である。

臨也ではないとは分かっていても、どうしても臨也と目の前の彼女を重ねてしまう静雄の苛々は止まらない。更に言えば、彼女のマシンガントークも臨也のうざったい御託と似ていて今にも沸点に達してしまいそうなほど苛立ちが募る。



「大体、手前は何だ!?気持ち悪ィぐらいアイツに似てやがって!その顔見るだけで吐き気がすんだよ、こっちは!」

「…ちょっと待ってください」

「あァ!?」

「貴方、私とそっくりな知り合いがいるんですね?」



キレかかった静雄に対し、彼女は至極冷静な声色で言葉を紡ぐ。その表情には先程浮かんでいた嘲笑は既になく、真剣な表情をしている。
思わず彼女の空気にのまれてしまい、静雄は思わず息を呑む。何で急にこんな反応をしてきたのかは分からないが、それでも彼女にとっては大切なことなのだろうと自己完結し、未だに荒れる心情を務めて冷静に装い、舌打ちを零しながら紡ぐ。



「知り合いじゃねぇが、クソみてぇな腐って歪んだ根性を持ってるノミ蟲なら知ってる」

「なら死ぬのを先延ばしにしてもいいので、私を彼の元へ連れて行ってください」

「何で俺がアイツのとこまで連れて行かねぇといけねぇんだ。ふざけんな」

「私は真面目に言ってるんですぅ。いいから早く連れて行ってください、殺しますよ」

「だぁーかぁーらぁー…!嫌だ、っつってんだろぉが!!」



ブチン、と音を立てて切れた理性の糸と共に、静雄の拳は彼女目掛けて振り落とされる。その瞬間、周りの野次馬からはドヨメキが走るが、次には驚愕の声に変わる。
目のも止まらぬ速さで振り落とされた静雄の拳は、彼女に当たることなくそのまま空を切った。これには静雄も目を見開き、軽い身のこなしで避けてみせた彼女を見据えた。



「―――あれ、シズちゃん」

「はっ?」



けれど束の間、背後から掛けられる声に静雄は反射的に振り向く。そこには静雄の天敵である本人が野次馬の間から顔を出していた。相変わらず嫌な笑みを携え、軽い足取りで歩み寄る彼は紛れもなく折原臨也であり、静雄の大嫌いな折原臨也だ。
だが、今の静雄には臨也の急な登場でいつものように喧嘩を勃発させる気力はない。臨也にそっくりな気に食わない女と、大嫌いな臨也。その二人を相手にするのが面倒であった。故に静雄はとっさに反応が出来ず、その場に突っ立っているだけだったのだが突然、真横を猛スピードで何かが走り抜けていく感覚がし、意識を取り戻す、が。



「いざやぁぁぁ!」

「ぐふっ」



先程対峙していた女が勢いよく臨也に抱きついたことにより、再びフリーズ。
一方、臨也に向かって突進した彼女は静雄と言い合っていた時からは想像出来ないほど愛らしく、幸せそうな顔で臨也を抱きしめていた。首に腕を回し、右肩に頬を乗せて締まりのない顔で只管「臨也、臨也」と紡ぐのだ。



「……甘楽、ちょっと。苦しいんだけど」

「だめっ!私もう臨也不足で死んじゃうから、臨也を充電しなきゃ」

「相変わらずだね、君は。もうイイ大人だろう?もう少しは自重しなよ」

「臨也離れすることが大人なら、私は大人になることを拒否しますぅ」

「ちょっ、分かったから力入れん―――痛い痛い痛いッ!待てって甘楽!それ以上は俺の腰折れるからっ」



痛い痛いと騒ぐ憎き天敵と、その天敵を愛おしそうに抱きしめるそっくりな女を呆然と見る静雄の脳内は既に活動を止めていた。だって、こんな臨也は少なくとも見たことがない。痛い、と口では言ってるくせに女の抱擁を引き剥がそうとはせず、何だかんだで甘受している臨也。捻くれている彼がここまで素直にされるがままになっているなんて、静雄には考えられなかった。

そして何故だろう。

―――妙に、ムカついた。



「あ、」

「きゃっ」



気付いた時には、体が既に動いていた。熱い抱擁を交わす二人を無理矢理引き剥がし、その間に割り込んでいた自分に驚く。当然、突然の介入者である自分の登場に割り込まれた二人はもっと驚いているだろう。でも仕方がない、何せムカつくなのだから。



「……ちょっとぉ、私の臨也から離れて下さいー。ていうか、私達の邪魔しないでよ」

「ハッ!何で俺が手前の言うこと聞かねぇといけねぇんだ。死ね」

「ちょっ、シズちゃん!?いくら甘楽が俺そっくりでも一応は女だよ?何物騒なこと言ってんの」

「うるせぇ。大体こいつ誰だ」

「誰って…顔見たら分かると思うけど、甘楽は俺の双子の姉。十年前に留学して、今日帰って来たんだけど……」

「へぇ……ノミ蟲の姉貴な…」



臨也から視線を逸らし、頭一個分以上小さい甘楽を見下ろす。すると甘楽は静雄を憎き敵でも見るかのように睨みつけており、その目には殺意がこもっている。何も言葉を発してはいないが、静雄には「臨也から離れろ」と語られているような気がして、思わず口角を吊り上げた。



「道理で女なのに思わず殴りたくなる筈だ」

「は?待ってよシズちゃん、もしかして甘楽を殴ったの?」

「殴ってねぇ。かわされた」

「かわされたって……君の相手は俺だろ?だから甘楽には手を出さないでよ、一応は女なわけだし」

「そうだな。手前は俺の相手、だな」

「っ!」



ニタリ、と更に笑みを深くした。見下ろした彼女の顔が歪んだのを見て、気分は上昇する。きっと甘楽は気付いているのだ、「手前は俺の相手」だと言った静雄の心中を。
それはまるで、甘楽に入る隙間などないのだと言っているようで。例えそれが殺し合いであっても、静雄と臨也の間には切っても切れない縁があるのだと、まざまざと甘楽に見せつけているようで不快だった。

折角、長い年月を経て愛する彼の元に戻ってきた自分を嘲笑しているようで、悔しかった。



「〜〜〜っ、行きましょう臨也!私、臨也の家に行きたい」

「甘楽…?でも池袋案内してって、メールで言ってたじゃん」

「いいんですよぉ、もう。…こぉんな不愉快な男がいる街、居たくない。臨也と二人きりになりたい」

「待てや、コラ。俺がみすみす手前を見逃すと思ってんのかぁ?いーざーやーくん」

「貴方みたいな人が臨也の名前を呼ばないでよぉ!臨也が汚れるっ」

「俺がこのノミ蟲をどう呼ぼうが関係ねぇだろ。つか、そいつから離れろ。怪我したくねぇだろ?“甘楽さん”」

「私の名前を呼んでいいのは、世界で臨也だけだよぉ?“シズちゃん”」

「…ぶっ殺してぇぇぇ」

「あはは!すっごぉい奇遇ぅ!私もシズちゃん、ぶっ殺したいなぁ!」



青筋を浮かべ、狂気に染まった笑みを浮かべる静雄と真っ黒で邪な笑みを浮かべる甘楽。そしてその間で目を白黒させ、珍しく混乱している素敵で無敵な新宿の情報屋。右腕はぎゅっ、と甘楽に腕を組まれ、逆の腕はいつの間にか静雄に痛いぐらいきつく掴まれている。
意味分からない。予想外すぎる。こんな展開、流石の臨也でも予想出来るわけがない。ただ臨也は十年ぶりに帰国する姉が、久しぶりに池袋を見てみたいから案内してと言うから、静雄に見つかる覚悟で来ただけなのだ。なのにこれは酷い、どんな仕打ちだ。

思わず周りを見るが、そこら辺の野次馬は顔を真っ青にしてるだけだ。役に立つわけがない。そして次に、自身の両腕を掴んで睨みあっている二人を見るが―――多分、臨也の離してほしい、という願いは当分の間届かないだろう。



「………何だコレ」



折原臨也は、心からそう呟いた。

けれど二人には届かない。





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甘楽が臨也を好きすぎる話。
臨也、ラブ!と彼女は叫ぶ。

シズちゃんは普段はフェミニストだけど、いきなり出てきた姉だが双子だか知らん奴に唯一の喧嘩相手を取られそうでムカつくから甘楽相手なら(かなり加減して、威嚇程度に)殴る。
けど、甘楽姉は留学という名の武者修行に言ってたので余裕で避けれる、それも全て臨也を守る為。
ちなみに双子は甘楽のことを「お姉ちゃん」と呼ぶので、甘楽と名前で呼ぶのは実質臨也だけという裏設定。
もっと言えば、人類全員愛してる臨也とは逆に、甘楽は人類全員憎んでる。
けど、唯一愛してるのは臨也だけで、双子は血縁者だから“好き”。

という、長い補足がいる話。


要は、臨←←←←←甘vs静という臨也が愛されてる話。



 
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