十九

草木も眠る丑三つ時、という頃だろうか。
辺りを伺いながら鈴代は薄闇の中で怠さの残る身体を起こした。

『…』

隣で伏して眠っている山崎の顔を見る。
自分より幾らか若いこの青年の無邪気な寝顔は、実の年より随分幼く見えた。

彼の背には先程己が立てた爪の痕。
鈴代は苦笑しながら赤くなったそれを撫で、それから彼の頬を撫でた。

自分を穿ちながら苦悶の表情を浮かべるその様を、薄く開けた瞼から覗いていた。
眉を顰め、時折堅く目を閉じる面持ちの何と色っぽい事か。
だがその顔は、後ろ暗さを感じながらも押し寄せる快感に逆らえずにいる事に因ると鈴代には思えた。

自分はこの花街で生きる者。
彼とはどうにもなりはしない。
なってはいけない。

幸いまだ、恋い焦がれて仕方ない訳ではない。
戯れに身体を重ねて満足出来る域にある。
それに、恋に破れて苦い想いをするのはもうまっぴら御免。

素の自分を見せたりして、全く何をしているのやら。
深い溜め息を吐き、鈴代は山崎の頬を撫でる手を止めた。

からかいがいがありそうだったし、したかったから、しただけ。
ただ、それだけ。
萌え始めた新芽を摘む様に、彼女は心を一つ殺した。



『山崎はん、起きとくれやす』

『…?』

せっかく気持ち良く寝ているのに、自分の身体を揺すって起こそうとする者がいる。
山崎は怨めしそうにそちらを見た。

『まもなく夜が明けますえ、はよ帰らんと』

霧が晴れる様に段々と頭が働き出す。
にこやかにこちらを見る女性が鈴代であると認識した時、山崎は急激に羞恥心を覚えた。

勢いよく身体を起こし、辺りを見回す。
山崎は泥の様に寝こけてしまった事をひどく焦った。

『そない用心せんでも大丈夫どす。
とりあえず、服でも着はったらどうどすか?』

『!』

鈴代の視線が一点に注がれている事に気付き、山崎は慌てて布団を被った。
そして楽しそうに笑う彼女に背を向け、もそもそと着替えを済ませた。

『…ほな、情報が入り次第文を送りますさかい、待ってておくれやす』

部屋を後にする山崎を見送りがてら鈴代が声を掛ける。
廓言葉に戻っているのは、晩の名残を断つ為であろう。
様々な思いを胸に、山崎は重々しく頷いた。

『有難う。頼りにしている』

昨日の今日で照れくさいが、目を逸らさずに鈴代へ微笑み掛ける。
彼女から同じ表情が返ってきたのを見て、山崎は別れの挨拶もそこそこにこの場を去った。

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