十一
空が仄暗くなるにつれて、あちらの店もこちらの店も明かりを灯す。
格子の向こうから洩れてくる光と音に吸い寄せられる男共は集光性の虫のようだ。
そう思う自分も此処ではその虫の一匹なのだがと、山崎は己を嘲笑した。
外界での全てを忘れ、ひと時の夢を見せてくれる女と酒に酔いたいが為に毎夜毎夜此処には人が集うのだ。
だが、中にはそうでない者もいる。
此処には確かに、新選組に仇成す者がいるはずだ。
それを炙り出すのが己の誠の務めであると、山崎は店に入る前に目的を改めた。
そろそろ頃合か。
不意にそんな思いが湧いた。
通い慣れた馴染みの店を前にして、その敷居を、その暖簾を感慨深く眺める。
今ではすっかり山崎の好みが熟知され、料理も酒も自分が良いと思うものを出してくるようにまでなった。
此処へは遊びに来ているのでは無い。
あくまでも任務の一環なのだ。
此処をくぐればまたいつもの居心地の良い楽しい時間が始まるのだが、それを心から楽しめない事を少し恨めしく思う。
山崎は溜め息を一つ吐き、中へと入っていった。
『宜しゅうお頼申します』
逢状を出してすぐに鈴代が山崎の座敷に姿を見せた。
律儀に口上を述べ、たおやかに頭を下げて中に入ってくる。
今や定位置となった山崎の真隣にゆっくりと座り、擦り寄って膝が付くか付かないかという所まで近付いた。
山崎が少し彼女へ顔を傾けてはにかんだ様に笑うと、鈴代も女の表情で色っぽく笑んだ。
これも全て務めの為に偽っているのだと思うと気がだいぶ咎めた。
『うちだけ呼ばれるの、初めてやね?』
にこにこと嬉しそうな顔で鈴代がそんな事を言った。
そう、いつもは暁風と舞波と、三人一緒に招くのだ。
しかし今日だけはそういう訳にはいかない。
今夜山崎は勝負を仕掛けるつもりで此処へ来たのである。
懇ろ、かどうかは解らないが、今では鈴代から先程の様な表情を引き出すまでになれた、と思っている。
人間関係の構築の出来は悪くないはずだ。
あまり時間は掛けていられない。
こうしている間にも、不逞の輩は話を煮詰めているかもしれないのだから。
交えた視線を一度横へ外し、小さく息を吐く。
瞬きをゆっくり一つして、もう一度鈴代を見つめた。
『今日は、貴女に話があって来たんだ』
頭の中に筋書きは出来ている。
こう言われたらこう切り返すと、昼間に何度も思い描いて来た。
いつもの鈴代ならば“何やの?固い顔して”と尋ねてくるはずだ。
はずだったが。
『…そろそろ言わはるんやないかな、って思ってたらまあ、やっぱりやったわ』
と言われてしまった。
その口元には、にやり、という言葉がぴたりと合う、意地悪そうな笑みが浮かんでいる
予想外の答えに山崎の思考は一瞬止まった。
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