花街を後にして、常夜灯と月明りを頼りに帰路を行く。
家々の戸は皆閉じられており、しんと静まり返っている。

もし狙われるとすれば明かりの届かない小路か裏道。

山崎は警戒心を最大限に研ぎ澄ませながら大路を選んで髪結い床への道を歩いた。
幸い今夜は始終足音が自分一人だけであった。

普段着に替え、主に礼を言って店を出た。
更に歩いてから、漸く皆がとうに寝静まった屯所に帰って来た。
あちこちから聞き慣れた鼾の合唱が響いて来ると、煩く思いながらもやはりほっとする。

土方に今夜の事を報告しに行こうかと思ったが、珍しく彼の部屋に明かりが無い。
どうやら既に休んでいるらしい。
ならば仕方ない、明日にしようと、荷物を置きに薬品庫へ向かった。

『…!』

風呂敷を解いて衣紋掛けに変装の服を干し、山崎は鼻を一啜りした。
何処か気怠さを含んだ甘い香りが鼻先を掠める。
これは、白粉の香りだ。

こうして現実に戻ってみると、絢爛であった座敷での出来事が夢物語の様に感じる。
白粉の香りは、夢物語ではなく確かに現の事だと、芸妓等を忘れさせない為の証の様に思われた。

気配を殺して監察方の部屋に入る。
この部屋に入ると、帰って来たのだという思いが更に強くなる。
やはり此処が、ナマエと島田のいる此処が自分の拠点なのだと山崎は思った。

音を立てない様に細心の注意を払って寝間着に着替え、二人が敷いてくれたであろう布団に座る。
三人で寝る時はいつも山崎が真ん中だ。

『……』

二人とも深い息をしており、よく眠っている事が察せられた。
山崎は夜目を頼りにナマエに近付き、そっと頬に触れてみた。

酒が入っているからだろうか、今は気が少し大きくなっていた。
すぐ隣に島田が寝ているにも係わらず、ナマエの額を撫で、前髪を退け、唇を押し当てた。

うんともすんとも言わない彼女の寝顔を見ながら、そう言えば昨晩は一睡もしていなかったのだった、と内心で呟いた。

口を薄く開き、珍しく油断し切ったナマエの寝顔をじっと眺める。
紫の眼の奥に意志は無く、無であった。

何をするでも無く暫くそうしていた山崎は、思い立った様に彼女から離れて布団に潜り込んだ。
ナマエはついぞ目を覚まさなかった。

仰向けになって目を固く閉じると、少しだけ世界が回転している様な感覚を受けた。
酔ったのだと自覚し、自然と苦笑がこみ上がる。

これからは酒を飲みつけて耐性も備えなければ、などと考えている内に山崎の意識は闇の中に溶けていった。

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