五
自分には医術の心得があるからとか、副長に御報告すべき事がおありなのではとか、山崎は矢継ぎ早に尤もらしい事を言っていった。
そしてついに、斎藤に口を挟む余地を与えないまま彼をこの部屋から追い出してしまった。
そうしたやりとりの最後に、すう、と襖の閉まる音がした。
『…』
一連の彼の行動がどうにも解せず、ナマエは目を大きくして山崎を見て、それから一度瞬きをした。
視線を感じた山崎はむっとした顔でナマエへ振り返ったが、背の傷から滲む血を目にし、哀れむ思いの方が強くなった。
『向こうを向いてくれ。続きをする』
ナマエの背後に腰を下ろし、山崎は布切れに焼酎を含ませ始めた。
『…はい』
何だかよく解らないが、先の治療の続きを山崎がやってくれるらしい。
ナマエは言われた通りに前へ向き直った。
痛むぞと声を掛けて、ナマエの背へ布切れを当てる。
彼女は一度身体を震わせて痛みを堪(こら)えていた。
改めて近くでナマエの肌を目にし、山崎は息を呑んだ。
遠目には気付かなかったが、ナマエの身体にはおびただしい量の古い傷跡があった。
女子の身体では無い、というのが山崎の正直な感想であった。
ナマエ程の優秀な忍びであってもこれほどの傷を負うとは、一体どれ程危険な目に遭ってきたというのか。
普通の娘であったら花盛りの頃であろうに、ナマエはその間ずっと闇に身を潜めて生きてきたのだ。
労りの思いを込めてナマエの背に薬を塗っていく。
それは細部にまで気を遣う手付きとなって、彼女に伝わった。
几帳面且つ丁寧であり、斎藤の治療は決して荒くなかった。
だが、山崎のこれは何処か優しいと、ナマエは感じていた。
『…終わりだ』
布を幾重にも巻いて、治療は終了した。
巻いた布の端をナマエに手渡し、ナマエはそれを胸前へ捩じ込んだ。
『お手を煩わせてしまい、申し訳ございません。
有り難うございました』
ナマエはいつも通りに振舞い、何事もなかったかの様な顔をしていた。
本当は傷が熱を持ち、脈打つ様な痛みに苛まれているはずである。
心配そうな山崎の表情に気付き、ナマエは少し笑って口を開いた。
『どうか御心配なく。
切られたとはいえ、たかが掠り傷ですから』
慣れっこだと言わんばかりのナマエの口振りが山崎の胸に刺さった。
辛い時はそう言って欲しいと伝えてあるのに、まだ隠そうというのか。
『…たかがとは言うが、されど傷だ。
油断していると化膿するかもしれない。
…きちんと快癒するまで、君の身体の管理は俺がする』
自愛をしないナマエならば、その身体を自分が気に掛けようと山崎は思った。
当のナマエはそのように言われるなどとは思っておらず、何故そこまでするのかと、驚きのあまり言葉を失くしてしまった。
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