十九

布団を窓の縁へ干した所で、仲居が朝餉を持って現れた。
彼女は相変わらず自分の仕事だけを淡々とこなし、さっさと去っていった。

普通ならばなんと愛想の無い事だといって腹の一つでも立てる所だが、今の二人には反って有り難かった。
長居をされては昨晩何をしていたかがばれてしまいそうだったからだ。

仲居が襖を閉めていった後、山崎とナマエは思わず顔を見合わせて笑ってしまった。



食後に温い茶を啜る。
ナマエが窓辺で風を受けている様を眺めながら山崎はぼんやりと考え事をしていた。

屯所へは夕刻に戻る事になっている。
此処から屯所まで、二人の足をもってすれば二刻と掛からないだろう。
刻限までまだまだ余裕がある。

『…ナマエ、』

ナマエを呼ぼうとして何の気なしに口をついて出たのは、彼女の下の名であった。
ナマエは目を丸くして山崎を見た。

『どうかしたか?』

呼び掛けただけで何故驚かれたのかが解らない山崎は二三度瞬きをした。

『いえ、その…』

ナマエが恥ずかしそうに言い淀む。
山崎は沈黙を守る事で続きを促した。

『…名を呼んで頂けるのは、昨夜限りの事かと』

言われてから気が付いた。
確かにその様に言われた覚えがある。
行為の雰囲気に呑まれてふわふわと浮いた気分であった事もあり、自分の事もまた下の名で呼ぶ様に頼んだ。

だがそこでふと気がついた。

『それを言うなら君こそ、先程俺を起こす時に名を呼ばなかったか?』

『!』

指摘を受けてナマエが肩を跳ね上げた。
図星であった。

『あれはその、つい、と申しますか…』

ナマエは目を泳がせながら必死に言い訳をした。
別に責めるつもりは無いのでその様に困らなくても良いのだが、どぎまぎしている彼女の姿が新鮮且つ愛らしく、山崎は何も言わずにただ柔らかい眼差しを向けた。

『…けじめがついていないと、お思いになりましたか』

僅かに肩を落とし、沈んだ様子でナマエが零した。
山崎は慌てて首を横に振った。

『いや、そう思っているなら俺も君を名で呼んだりしない』

否定の言葉に安堵の色を浮かべて顔を上げると、山崎が優しい表情でこちらを見つめており、ナマエはのぼせた様に顔が熱くなった。

想い人から同じ想いを返される事の何と甘美な事か。
胸の中心が苦しくなり、ナマエは上唇できゅっと下唇を食んだ。

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