十四
『あっ、』
千賀が声を上げた。
童が裸足のまま庭に下りたからだ。
雨にその身が濡れるのも構わずに、童は庭の開けた場所まで行き、天を仰いだ。
何をしようとしているのか、ナマエと長女はその様子を見守った。
童は息を大きく吸い込み、大気を震わせるほどの雄叫びを天に向かって上げた。
『!!』
目に見えぬ衝撃が童を中心に波状になって駆け抜けていく。
並の幼子には決して出す事は出来ない大きさで、且つ大型の獣のような雄々しい声であった。
それはびりびりとした刺激を身体に与え、建物や木々をも震わせた。
ナマエは長女を庇う様にして抱き締めた。
『ナマエ!』
波状の衝撃が去ってすぐ、夫の声が飛んで来た。
後ろに長男を従えて、風間は険しい顔で現れた。
『今のは、』
『あの子の咆哮です』
短い問いに、彼方を指差しながらナマエが答える。
雨の中立ち尽くす童を見て、風間は大体の状況を理解した様だった。
次に家族の身を案ずる言葉を口にしようとした時、突如として強い光と轟音が間近で起こった。
『!?』
一同は咄嗟に身を庇い目を閉じた。
辺りが元の暗さを取り戻した事を感じて恐る恐る目を開くと、童の側に佇む男の姿があった。
見た目から、而立(じりつ)の年の頃のように思える。
高貴な雰囲気を漂わせた男は古の貴族の服の様なものを纏っていた。
その周囲を水煙が取り巻き、彼の持つ霊妙な気を更に際立たせていた。
男は童に向けていた目線をナマエ達に移し、少しすまなそうに笑んだ。
『…許せ。少し急いでいた』
驚かす様な真似をした事を言っているのだろう、とナマエは察した。
重厚感のある声は畏れを抱かせるものではあるが、決して恐ろしさを感じさせるものではなかった。
男に敵意は無い。
ナマエは自然と跪き、一度頭を下げた。
それを見た男は応えて頷き、辺りを見回した。
ほう、という感嘆した声を上げると、
『珍しいな。此処は鬼の里か』
と言った。
突然跪いた母に倣って長女も座し、次女は言い付け通りに三女とその乳母と共にいた。
長男は風間の後ろに隠れる様に立ち、父の顔をそっと盗み見た。
存外涼やかな顔をした父を見て、それまで緊張していた長男は、心が静かに凪いでいく思いがした。
母もまたゆったりと構えて慌てた様子は無いし、三つ子はそれぞれ、これは怖い事ではないかもしれないと感じ始めていた。
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