夜の雨の中、帰路を辿る私の斜め前を男の人が歩いている。
斎藤一さん。
激動の幕末を生き抜いた人だ。

どう言う訳か血塗れで私の家に突如として現れ、行く宛もなさそうなのでそのまま住まわせている。

その他色々紆余曲折を経て現在に至る。
今は仕事帰りの私を、傘を持って駅まで迎えに来てくれた帰り道だ。
家には彼が見様見真似で作ったというカレーが待っているらしい。

『…』

彼は恐ろしく寡黙だ。
聞かれた事に答えるだとか、必要な伝言をするだとか位しか口を開かない。
私もお喋りではないけれど、この沈黙はちょっと気まずく思う。
でも何を話したらいいかが思い付かないので、結局そのまま家に着いてしまった。

斎藤さんが合鍵を使ってドアを開ける。
私も後に続いた。

『わあ…』

食欲をそそるカレーの香りに私は感嘆の声を上げた。
斎藤さんがこちらを振り返り、ちょっとだけ笑ったのが見えた。
彼の笑顔は貴重だ。
不覚にも私はキュンとしてしまった。

『先に着替えて来い。
その間に鍋を温めておく』

『はい。お願いします』

彼の方が年下だけど、何となく敬語になってしまう。
オーラがそうさせるのだ。

雨に湿った服をハンガーに掛けてその辺に干し、私は部屋着に着替えてリビングに向かった。

物覚えが良い斎藤さんは、ちょっと教えただけで現代の家財道具一式の使い方をマスターしていた。
炊飯器でご飯を炊き、コンロに鍋をかける。
席に着いた私の前に見事なカレーライスが出て来た。

『いただきます』

斎藤さんが席に着くのを待ち、私は両手を合わせていただきますをした。
因みに彼はスプーンも使える。
互いに左利き同士で、左利きならではの苦悩なんかを話して共感した事もあった。

『…どうだ』

一すくいを口に入れてもぐもぐと動かす私を、斎藤さんが穴が開く勢いで見てくる。
真剣な様子は可愛らしいが、流石にこれはちょっと食べにくい。

『んー…』

悪くないと思う。
野菜もきちんと火が通ってるし、肉も下処理して余計な脂が落としてある。
美味しい、んだけど何かが足りない。

『これ、味付けは何でしてあるんですか?』

私が尋ねると彼は市販のルーのみだと答えた。
それだ。
家カレーというものは、その家庭ごとに隠し味というものがある。
それが足りないのだ。

『どうしたら良い』

向上心の高い斎藤さんは不足があると必ずリカバーしようとする。
何に対しても諦めないという考えは尊敬に値する。

『あのカレーにちょっとおまけを足しましょう』

出されたカレーは、これはこれで有り難く胃に収め、私たちはキッチンに立った。

隠し味に使われる具材は色々あるが、今日はブイヨンとコーヒーを入れる事にした。
私は甘いのが好きなのでケチャップとチョコを入れるのが好きだ。
でも甘い物が苦手な斎藤さんに配慮して、今日は入れないでおく。

彼は私の一挙一動を見逃すまいと目を鋭くしている。
私が苦笑いをすると、解せない、という顔をされた。



『…』

完成したカレーを口にした斎藤さんが目を見開いた。
がらりと味が変わったので驚いているのだろう。

『どうでしょう?』

『あ、ああ…。
確かにこちらの方が味に深みがあり、旨いと感じる』

明日にはもっと美味しくなる事を告げると、斎藤さんは心底驚いていた。
カレーというものは奥が深いものだ、と唸る姿が面白かった。

二杯目のカレーをぺろりと平らげて、私たちは食事を終えた。
食事のお礼にと私は洗い物を買って出て、斎藤さんにはリビングで寛いでもらった。

ソファーに座れば良いのに、彼はいつも床に正座をする。
その姿勢の良さに、惚れ惚れする。
居住いが美しい。

洗い物を終えて緑茶をいれる。
私は湯呑みを二つ持ってソファーに腰掛け、斎藤さんに並んで座る様促した。
始めは何やら渋っていたようだけど、私の無言のプレッシャーに耐え兼ねたのか、ついにはソファーに上がってくれた。

『はい、どうぞ』

『…すまない』

彼は居辛そうに肩を小さくして、手渡された茶を啜っている。
私は少し笑ってチャンネルを回した。
お気に入りのバラエティー番組が映ると、リモコンを手放して背もたれに体重を預けた。

すっかりリラックスムードの私の横で、斎藤さんは何処か落ち着きなさげにしていた。
ちらちらと私の顔を伺い、何かを気にしている。
普段のどっしり構えた彼とは違うその様子に私は首を傾げた。

『どうかしました?』

『ああ、いや…』

何か言いたげにしているので耳を傾けて待っていると、彼が耳を赤くして重い口を開いた。

『恥ずかしい事だが、お、女子とこうして並んで寛いだ事が無く…どうしたらいいのかが分からぬ』

持っていたお茶を落としそうになった。
もう女子という歳でもないんだけど…。
斎藤さんは初心だなあ。

『そんな、意識し過ぎですよ。
相手は私なんですから』

ほんのちょっと自嘲気味に言うと、斎藤さんは首を振って私の言葉を否定した。

『いや、隣にいるのがあんただからだ』

『…え?』

言葉の意味がよく解らなくて聞き返すと、斎藤さんはしまったと言わんばかりに口を手で覆って外方を向いてしまった。

『どういう意味です?』

『いや…何でもない』

『何でもない事ないでしょう。
教えて下さい』

にじり寄る私を耳を真っ赤にして斎藤さんが躱す。
異性とのこういう掛け合いが久々で何だか楽しくなった私は、わざと彼の膝に手を乗せて反応を見た。

彼はソファーから飛び上がる勢いで跳ね上がり、お茶を少し零した。

『っ!』

零したお茶は斎藤さんの腿に掛かり、染みを作った。
だいぶ冷めてはいたので火傷の心配はないが、濡れたままでは不愉快だろう。

私は立ち上がろうとする斎藤さんを制してタオルを取りに行った。

『…すまない』

『いいえ』

斎藤さんをソファーに座らせて、私は床に膝立ちになって彼の腿を拭っていた。
相当悪いと思っているらしく、このやりとりももう三回目だ。

今なら答えてくれるかもと、私は先程の答えを聞き直した。

『で、さっきの言葉の意味ですが』

そこまで言うと斎藤さんは目を宙に泳がせた。
何とかして逃れようとしているのが見え見えだ。
私はちょっと卑怯な手を使う事にした。

『…意外ですね。
私の知る“武士”というのはもっと潔いものだとばかり思っていました』

武士という単語にあからさまに反応し、斎藤さんは狼狽した。
悩んでる悩んでる。

暫く思いを巡らせた後、漸く観念して斎藤さんは口を割った。

『この時代の女子をあまり知らないが、あんたはその、他の者より…魅力的に、俺には見える』

たどたどしくも全てを言い切り、彼は盛大に溜め息を吐いた。

私は目を丸くした。
なるほど、そういう事だったのか。
彼程のイケメンにそう言われて喜ばない女はいないだろう。
私は嬉しい。

『つまり私を意識しているので、私と並んで座っていると落ち着かない、という事でしょうか』

私は事も無げにさらりと言ってのける。
彼は長い間の後に、ああ、と言った。

なんとまあ。
久々の恋の予感に胸を膨らませながら、同時に不安にも感じていた。
斎藤さんはこの時代の人ではない。
何かの拍子でこちらにきたということは、同じく何かの拍子であちらに戻る事も有り得るのだ。

でも、今だけと割り切って考えればいいか。
あまり深入りしなければ良い。
あの苦さはもう味わいたくない。
深入りさえしなければ、あの苦さを味わうことはない。

そんな荒んだ考えなどに気付くはずもなく、斎藤さんがこちらを窺ってきた。
私が急に黙り込んだからだろう。
彼の視線を受けて淡く笑うと、彼は再び目を丸くした。

『私も斎藤さんの事、いいなあって思ってましたよ』

嘘じゃないのに、自分の言葉が嘘くさく感じるのは何でだろう。
それはきっと浅ましい考えのせいだ。

『…そうだったのか』

斎藤さんはそう言って嬉しそうに目を細めた。
そして腰を屈めて膝立ちの私に顔を近付けた。

好きと解ったらすぐキスなの?
意外な手の早さに苦笑しながらも目を閉じると、静かに唇が重ねられた。

斎藤さんとの初めてのキスは、さっき食べたカレーの香りがした。
ムードもへったくれもないそのキスに、私は可笑しくて笑い出してしまった。

雨はいつの間にか止み、星空が広がっていた。







(歯磨きしてからにすれば良かった…)
(何がだ?)






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