不知火にとってナマエは今までに会った事がない性質の鬼だった。
底抜けに明るく、長である不知火に対して妙に礼儀正しくしようとしない。
口調こそ敬い言葉ではあるが、それだって他の民達から比べたら随分と砕けたものだ。

不知火は目の前の混血の女鬼を、面白い、と思っていた。

『なあお前、こんな離れた所に一人で暮らしてて、不便だとか寂しいとか感じねえの?』

おかわりを装って貰った椀を口一杯に掻き込んで不知火が尋ねる。

『ちっとも。
だって、此処なら幾ら大声を張り上げたって、誰の何の迷惑にもならないですから』

不知火が意味を問おうとすると、ナマエは腰を上げ、部屋の隅に立て掛けてあった細棹の三味線を手にとった。

『私は歌うのが好きでして、母に教わった三味線を弾きながら歌っている時が、一番楽しいと感じるんです』

弦の一本を爪弾いて、不知火に笑い掛ける。
その笑顔には、何か彼の心を強く惹く魅力があった。

『…何か聞かせろよ。
さっき俺、川でお前が歌ってるの聞いて、凄ぇ上手いなって思ったんだ』

『そうだったんですか!
ふふ!嬉しい!』

有り難うございますと、面映ゆそうに礼を述べてすぐ、ナマエは何かに気付いた様に表情を消した。

『…もしかして、崖の上に隠れてたのって、私の歌を聞くためでしたか…?』

恐る恐る尋ねるナマエに、不知火は一瞬間を空けてから、にやりと笑って応えた。

『おう。あん時は驚いたぜ。
まさかいきなり水をぶっかけられて、石を投げ付けてやる、とか言われるたぁ思わなかったからな』

『それは、あの、大変失礼を致しました…!』

ナマエは身体を小さく丸めて伏して詫びた。
その全身からは申し訳なさが滲み出ており、別に謝らせたくて言った訳ではない不知火は、少し言い過ぎたか、と思った。

『詫びの代わりって訳じゃねえけど、何でも良いから弦歌やってくれよ。
そうだな…何か、座敷でやる奴みたいのとかやれるか?』

不知火の問い掛けにナマエは頭を上げた。
弾き語りはナマエの得意な事だ。
彼の顔に咎めや怒りが全くない事が解り、ナマエはにっこり笑って、はい、と言った。

正座をして調弦を施す。
では、と言ってナマエは息を吸い込んだ。

『!』

不知火は思わず握っていた箸を落としそうになった。

彼女の口から美しい調べが紡がれる。
先ほどと打って変わって艶やかな雰囲気を纏い、その表情も大変色がある。
ナマエが歌っているのは、芸妓の淡い恋を唄った歌だった。

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