暫く歩くと水の匂いがするようになってきた。
河原が近いのだ。

茂みを掻き分け、獣道をなぞる様に踏み締める。
段々と聞こえてきた水の音に、不知火は幼少の頃、この川で魚捕りをした記憶を思い返していた。

久方振りにやるか。

上手くいけば今夜の晩酌の肴(あて)になる。
不敵な笑みを浮かべて足取り軽く川を目指すと、やがて水の音に混じって別の何かが聞こえてきた。

一度足を止めて耳をそばだてる。
良く聞くとそれは女の歌声だった。

この川は里の女鬼達が洗濯をしによく訪れる。
それの誰かだろうとは思うのだが、これが中々、思わず聞き惚れる程朗々としていて上手いのだ。
もっと側でよく聞きたいと、不知火は歌声の聞こえる方へと進路を変えた。

歌声がよく聞こえる様になって来た所で崖に出てしまい、それより先に進めなくなった。
そう遠くない眼下に川と河原が広がっている。

おお、居た居た。

歌声の主である女が川縁で洗濯をしている姿があった。
何とも気持ち良さそうに歌っており、聞いているこちらまで楽しい気持ちになってくる。

崖は傾斜が緩く大して深くないため、滑り降りようと思えば出来る。
だが今音を立ててしまうと、恐らく女は歌うのを止めるだろう。
あともう少しこうして聞いていたいと、不知火は気配を殺して女の様子を眺めていた。

果たしてどれくらいの間そうしていただろう。
聞いた事のある民謡が次々と女の口から唄われて、不知火は一緒に歌い出しそうになるのをその都度堪えていた。

前のめりな気持ちが無意識に足を一歩踏み出させる。
すると崖の縁から小石が数個、高い音を立てながら転げ落ちた。

まずい、と思った瞬間に歌声は止み、代わりに鋭い声が飛んできた。

『曲者!!』

不知火が、違うという声を発しようと口を開きかけた時、

『!?』

顔面から水を被ってしまった。

何故だか分からず、瞬間混乱する不知火の耳に、引き続きとんでもない言葉が聞こえてきた。

『出てらっしゃい!
大人しく出て来ないと、次は石を投げ付けてやるから!!』

恐ろしく物騒な物言いに、不知火は慌てて崖から飛び降りて女の前に姿を現した。

『待て待て待て!
俺様だ、長州の頭領、不知火匡だ!』

『!!……不知火様!?』

ずぶ濡れの男の登場に面食らった上、それがこの里の長である事を知り、女は酷く驚いた。
そして手にしていた石を放り投げて、すぐさま土下座して詫びた。

『も、申し訳ございません!
不知火様とは露知らず、かような無礼を…!!』

かなり離れていたと思うのだが、この女は此処から自分に水をかけたと言うのか。

『こっ、』

とりあえず詫びが先かと、“こっちこそ脅かす真似して悪かったな”と言おうとした不知火の口から、真っ先にくしゃみが出てきた。
今の季節の川の水は、丈夫な鬼にとっても冷たかった。

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