十二

『…姉様は千鶴が生きていて、今は新選組の中にいるのを知ってる?』

ナマエは薫へ目だけを向けた。
彼は臆する事無く、むしろこの状況を楽しむかの様に妖艶な笑みを浮かべていた。

『ええ。知ってる。
こないだ会って話したから』

ナマエがそう答えると薫の笑みは深くなった。

『なら解るだろ?
あいつは昔の事を一切忘れてる。
自分が鬼だって事も、何もかもだ。
…僕や姉様が辛く苦しい日々を送っていた間、あいつだけはのうのうと幸せに育って来たんだ』

薫の表情がみるみる内に般若面の様に歪んでいく。

『それを知った時、“俺”はあいつを酷く憎んだよ。
同じ血を引いているのに、どうしてあいつだけ、って。
…でもそんな時、綱道のおじさんに出会ったんだ』

薫の内心から滲み出る感情が、いつの間にか己を指す言葉を変化させている。

ナマエは薫の言葉に耳を傾けながら辺りに注意を払った。
先程から解らない何かが綱道の背後にたくさん群れている気配を感じるのだ。
彼は先程から黙したままこちらのやり取りを窺っている。

『おじさんは千鶴を“手駒”にしたんだ。
時が来たら、意のままに操れる様にするために。
それを聞いたら思わず嬉しくなったよ。
…あいつにも、俺が味わって来た苦しみを与える事が出来るんだって』

ナマエは言葉の端々に強い憎悪を感じて顔をしかめた。
ここでようやく、以前薫が垣間見せた深淵を理解した。
彼は、千鶴に不幸を与えるために行動していたのだ。
そしてそのために綱道に近付き、手を組んだのだ。

『…ねえ、ナマエ姉様。
俺と綱道のおじさんがしようとしてる事、姉様が考えてる通りだったら…どうする?』

そう言って近付いて来る薫の柔らかい歩き方は自然な女の仕草。
長い事そうしている内に、身体に染み付いてしまっているのだろう。

『私は、』

ナマエが口を開くと距離を詰めていた薫の足が止まった。

『私は、千鶴をそんな事のために利用するなんて、どうしても良い事だと思えない。
たとえ相手が薫や綱道様でも、私は貴方達が企みを押し通そうとするのなら、
…全力で阻止する』

強い眼差しで薫を見据える。
ナマエの言葉は彼らとの決別を意味していた。
同胞と言えど信じるものの道が違えたのなら、仕方がない。
敵をとり、対するまでの事。

千鶴を彼らの手に渡してはならない。
あの子には鬼とか人とか、そういうしがらみに左右されないあの子だけの人生を歩ませてあげたい。
ナマエはそう思った。

『…そんな事呼ばわりするんだ、俺達がしようとしてる事』

嘲笑ぎみに薫が言う。

『どうして解ってくれないのかなあ?
だって、千鶴だけ何の苦労も感じずに今まで生きて来たなんて、あまりに不公平じゃないか。
だからあいつにも俺達と同じ所まで堕ちてもらう…それの何処がいけないって言うんだよ?』

目を剥きながら口元は笑っている薫を見て、ナマエは何とも言えない悲しい気持ちになった。

根本がもう違うのだ。
これ以上の話し合いは不毛な行為だろう。
ナマエはふと視線を薫から外し、何もない横へと逸らす。

その瞬間、一気に間合いを詰めて来た薫の顔が目の前に現れ、考える間も無く鳩尾に強い衝撃を受けた。

『…っ!?』

鬼の姿をとっていたおかげか、ほんの僅かばかり衝撃を逃せた。
ナマエは気力で後方へ飛び退いたが、崩れるように膝を付いた。

『姉様なら解ってくれると思ったんだけど…残念だなあ』

耳に障る、間延びした口調。
ナマエが動けない事を見越して薫がわざとゆっくり近付いて来る。
ナマエは意思に反して人の姿に戻ってしまい、あまりの衝撃から意識が朦朧として来た。
息が上手く入って来ない。

『本当なら計画の邪魔になるから殺しちゃいたいんだけど、姉様は特別に生かしてあげるからね…』

薫の手がこちらに伸びて来るのが見えるが、身体が動かない。

駄目だ、捕らえられる。
覚悟を決めたその時、



『我が妻に触れるな!!』



まるで獣の咆哮の様な、愛しい人の声がした。

ナマエはその声を耳にすると、地に倒れながら気を失ってしまった。

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