Musa
目が覚めて、時計を確認。
今は静まり返った船内もあと1時間すれば途端に騒がしくなる、そんな時刻だった。
着替えはおろか、顔も髪も整えないまま鏡の前すら素通りで自室から食堂に行くと、厨房ではコック達の大戦争が一足先に始まっていて飲み物を貰うにも申し訳ない状況。それに大声を出して呼びかけられるほど、目覚めきっていない。どうしたものかと頭を捻るのも一瞬、付近のテーブルに転がっていた酒瓶を掴み、そのままデッキへと出た。
船首の前で、進行方向を見つめ立ち尽くしているシャンクスの姿を見つける。
のそのそと自室用スリッパを引きずりながら、近すぎず遠すぎない、その後ろ姿が視界ど真ん中に収まる距離まで行って座り込んだ。
「おはよー」
「おう、おはよう」
眠くて眠くて仕方がないのに、部屋に戻る気はなかった。
今日は島へ着く予定もない。朝食を食べたらシャワーでも浴びて、部屋の掃除をしてベックに借りていた本を返しに行って、その後は寝るなり何なり好きに過ごそう、などと頭の中でプランを練るのだけれどそれにしても眠い。さっそくプラン変更でもうひと眠りしようか。
「腹減ったなァ。メシはまだか?」
「んー・・・あと1時間くらい」
眠さのあまり、ゆるい返事を。
まだまだじゃねェかと呟くシャンクスの顔を、私は本日まだ一度も見ていない。
それにしてもただ突っ立っているだけの後ろ姿、どうしてこんなにも雰囲気があるのだろうか。
男は背中で語るだか語れなんて言葉があるけれどこの背中ならなんだって語れそうで、冴えない頭でぼんやりと「かっこいいな」なんて単純なことを思う。
事実これまでに、あんなに素敵な人が傍にいて惹かれない?自分だけのものにしたいって思わないの?そう同性に何度も同じことを聞かれてきた。確かに大きな力もあって、男のすべてが詰まったと言っても絶対に過言ではないこの人に惹かれないわけがない。
だけど傍にいるからこそわかる、力や地位以外の人間としての魅力。
何に縛られることも、何を縛ることもせず生きるこの人に、自分のエゴとも言える欲望をぶつけるなんて到底出来なかった。
まだ正面を見つめているシャンクスに、私は曖昧な質問を投げる。
「ねえ。そこからは何が見える?」
やっと振り返って、少年のような無邪気さと歳相応の説得力、どちらも垣間見える顔で
「なんでも見えるさ」
と笑ったシャンクスはやっぱりかっこよかった。
今朝の海は、藍色に朝日が反射し繊細な煌めきを放つ。
目の前の黒い背中と真っ赤な頭部は景色に紛れて、まるで薔薇の花びらが海原に浮いているみたいに綺麗で。今はもう世界屈指の美術館で作品を眺めている気分だ。
吹き抜ける潮風が、優しく徐々に私を目覚めさせてくれる。
海賊だけどここは一般的なルールに従い、ただ静かに。誰が手掛けたわけでもないこの美しい名画を、静かに観賞しよう。
fin.