朝起きてすぐ、脳も身体も目覚めきらないまま飲むコーヒーがすごく好き。ベッドから上半身を起こすと、笑顔とおはようの声と共にななめ上から降りてくるマグカップ。ミルクたっぷりなのに甘すぎない味は淹れてくれる本人にしか出せなくて、ごく希に自分で淹れたものなんか不味くて半分も飲まずいつも捨ててしまうくらい。分量も方法も教えてもらった通りでなにも違わないのに、どうしてだろう。
毎回そう思わずにはいられなかった。
「おーいメシの時間だぞー。まだ寝てんのかァ?」
この船のキャプテン。
返事をしてもしなくても彼は多分扉を開けて入ってくる。予想通り、呑気な声を出しながら部屋に足を踏み入れてきた。目を開いていてもまだ起き上がる気にはなれなくて静かに木目の天井を見つめていると、視界の隅に赤毛が映りこむ。
「皆おまえを待ってるよ」
だけどあの人は私を待っていない。
この船のコックを担っていた彼。私の恋人だった、淹れてくれるコーヒーが世界一の彼。大人しい性格だけれど努力家で内には男らしい野心を持っていて、クルー誰からも厚い信頼を得る誠実な人。
つい昨日、新しい夢を掴むために彼は船を降りた。誰もが納得する円満退団。そこには当然私も含まれている。
きっと私は、新しい生活の始まりに少し戸惑っているだけなんだ。慣れない寂しさに、戸惑っているだけ。
別れを選んだけれど、私は彼の夢を心から応援している。
「うん、起きるよ」
「起きる気配がねェ」
「起きるってば」
あくびをひとつ。
苦笑混じりにようやく起きあがり、マグを手に取る。彼がいなくても習慣を変えることは出来ない。
「飲む?」
「酒?」
「マグで朝から酒飲む奴がどこにいんの。コーヒーだよ」
「ああ、もらうもらう」
「じゃあ煙草一本ちょうだい」
「この部屋禁煙だろ?前に吸いながら入ったらあいつに追い出されたぜ」
「あはは。私も外出るの面倒で隠れて吸ったりしてたんだけど、その度にバレてさ。料理人だから敏感なのかなー」
ねえ早く煙草出してよと自らのキャプテンを顎で急かした。これはきっと女の私だけに出来ることだろう。
小さなテーブルにふたつのマグ。
適当な場所に座って火を点けながら不意によみがえるのは、彼との他愛もないやりとり。別に悪いことじゃないけれど今は幸せな気持ちより寂しさが勝ってしまうから、もう少し時間が流れるまで大切にしまっておきたい。
頭のなかに浮かぶ映像と音声を振り払おうとシャンクスを見たけれど、そう上手くはいかなかった。
ふたりだけのこの部屋。
朝に、向かい合って美味しいコーヒーを飲む。目の前のシャンクスにあの姿が重なってしまう。だって仕方ないよ、こんなふうに優しくて前向きな別れは生まれて初めてだったから。
マグの中身を見つめた。
シャンクスはそんな私に、次の島に着いたら買い物に付き合ってやると言ってくれた。
「それよりさ、お祝いして」
「?なんの祝いだよ」
「たくさんあるよ。素敵な恋ができたお祝い、素敵な別れができたお祝い、それとこれはシャンクスにとっての理由ね。可愛い可愛い私がシャンクスの元を離れなかったお祝い」
「あーコーヒーが美味ェ」
私は相変わらずな味だと思うよ。
「ねえ、なんで今日に限って起こしになんか来たの」
からかいの口調と視線を向けると、別に早起きして暇で気が向いたから来ただけだ、と主張する。普段は馬鹿がつくほど正直者なくせに、変なタイミングで意地っ張りを披露するから可笑しくて仕方ない。
彼とは望んだ夢も選んだ道も違ったけれど、素敵な恋に相応しい素敵な結末だと思う。またいつか会ったときにはお互いが叶えた夢までの過程を、笑顔で話したい。話せるように、私はこの海を進んでいこう。
不味いコーヒーと
下手な気遣いと
12ミリのシガレッツで乾杯
thanks/ミザントロォプ |