※オフィスシリーズのスピンオフ
2nd-05直後の内容


なにかあったわけじゃないのに一人でバーに行く女なんて、よほど洗練された女かよほど寂しい女かのどっちかだと思ってる。
一応言っておくけど私はその「なにか」があったからこうして一人で飲みに来たわけで、決して寂しい女ではない。

「ロシーさん聞いてよ!」
「おう、いらっしゃい。どうした?」
「失恋したっ……!」
「ええっ!?」

お気に入りのバーのマスターは、驚きの声をあげると共にグラス破壊音を響かせた。彼は究極のドジなのでグラス程度は日常茶飯事レベル。特に心配はない。
階段を猛ダッシュで駆けあがってきた代償の息切れを落ち着かせるため、するりとカウンター席に座って突っ伏す。なにも言わないのにドリンクを作りだしてくれる居心地の良さが、この店の好きなところ。
そうだ訂正。「なにか」もあったし「寂しい女」というのも正しい。


「ほ、ほら!とりあえずこれ飲んで落ち着け!なっ!?」
「ううう……ありがとー……」

顔をあげて華奢なグラスを手にしたとき、ウッド調のドアが軋んだ。強めのアルコールをひとくち流し込みながら目の前のマスターを何の気なしに見ると、ドアのほうに向いたその表情がパッと明るくなったので思わず私も振り返る。

「ロー!久しぶりだな!」
「週末だってのにずいぶん人が少ねェな」
「今日はたまたまだよ」
「へェ。とりあえず生くれ」
「生?うちでビールなんて珍しいな」

長身の男は、私の隣ひとつ分を空けたカウンター席に静かに座った。
どんな飲み方をする人か知らないけれど常連さんのようだし、私ばかりマスターを独占するわけにもいかなそうだ。この暗い気持ちを少しでも晴れやかにするため、色々話をしたかったのにと思うと男が少し疎ましくなる。
そんな私の気持ちを知らず、マスターはサーバーのコックを引きながらご機嫌な顔で男に問いかけた。

「最近どうだ?仕事は順調か?」
「失恋した。さっき」
「「ええっ!?」」

私とマスターの声が揃った。男と視線がぶつかり、しまった!つい!と思う隙もなくマスターが質問を続ける。

「おまっ、会社のあの子か!?」
「マルコと付き合いはじめたらしい」
「マルコ!?あーっと確か……顧問弁護士!」
「ああ。……ったく散々だ」
「そ、それはそれは……!」

気まずそうにグラスを差し出すマスターを不憫に思う。たった五分のあいだに失恋報告を二度も受けてしまうなんて、バー店員というやつはなんとも面倒な職業だ。
横目でちらりと男の様子をうかがうと、やけに整った顔をしていてとても失恋をするようなタイプには見えない。イケメンの恋が上手くいかないんだもの、私の恋が上手くいかないのも当然ということか。人生公平なのか不公平なのか、はっきりしてよ!と自棄な気分が高まり、その勢いで隣の男に手を伸ばした。

「私も失恋した!仲間だね、乾杯しよっ」

グラスに口づけようとしていた動きが停止して、その鋭い視線がまた私を捕らえる。これは失敗したかな?と一瞬暗雲が立ちこめるも、グラスを掴んでいた腕はこちらに向かってゆっくり伸びてきたので胸を撫で下ろした。
私たち二人は、終わりを告げる寂しくて虚しい鐘を鳴らす。


「聞いて聞いて。しかも似てるの。相手は会社の人で、その人が付き合いだしたのも同じ会社の女の子」
「へェ。そりゃ奇遇だ」
「油断してたらあっという間に掻っ攫われた感じ」
「わかる」
「ほんとイヤになるよね」

行き場を失った恋心はどうなるのか。ハイじゃあ次にいきましょう、と頭では分かっていても気持ちがついていかない。今はまだこれでいい。でもそうしているうちに離れられず、ずっとずっとこの場所でつらく長い年月を過ごさなければいけないのかもしれないという不安に襲われる。いやそんなことはないと分かっていても、こんなときは気分ががっくりと沈んでしまうのが当然で。でも同じ気持ちを共有できる誰かがいると、不思議と気持ちが軽くなる。


「片思い期間は?」
「さあな。気づいたら目で追ってた」
「私もー」
「なにか行動はしたのか?」
「特になにも。周りにバレないようにって普通に親しくする程度。そっちは?」
「それなりには、な。けど一切本気にしてもらえなかった」

自嘲の色を浮かべて笑った横顔は、どこか儚くて綺麗だった。

「あ、ちなみにこいつ、その子ここに連れてきてレディ・キラー飲ませたんだぜ」
「コラさん。余計なこと言うんじゃねェよ」
「ほんとに?それで落とそうとするのもどうかと思うけどねーあはは!しかも失敗したんだ?」
「思いのほか酒に強かったんだよな!ははっ!あんときのローはカッコ悪かったぞ〜。タクシーで颯爽と帰られちまったあとに、肩落として戻ってきてさ」
「ほんっとお前ら失礼だな。くそ」
「まあまあ、らしくないから元気だしなよ。今日は飲もう、こんな日はとことん飲まなきゃね!」
「友達かよ。顔合わせて五分だぞ」

呆れ顔の男と調子づいてきた私。名乗りあって軽く自己紹介をしたところで、カウンター越しのマスターが豪快に笑った。


「同じ日に失恋した男女が出会う。映画なら恋が始まるな!ははは!」

なに言ってんの。
なに言ってんだ。
呆れた私たちの声が重なった。そんな彼は放っておくことにして、二人で失恋話に華を咲かせる。相手とどんなエピソードがあったか、しまいには仕事の愚痴や他愛もない話題で盛り上がり、それに比例してお酒のペースもあがっていくし気分も晴れやかになっていく。ああーお酒って素晴らしい。












「あれ……」
「起きたか」
「うっそ。私寝ちゃってた?いま何時?」
「六時」
「ろくじ?!朝のっ!?」
「夜だったらおれはとっくに帰ってる」
「ご、ごめん……!いつ寝たか全然覚えてない……!」
「散々嘆いた挙げ句寝た。起きねェし家知らねェしここに置いてくわけにはいかないだろ」
「ご……ごめん!ほんと、」
「いい。今日休みだし予定もねェし」
「……ありがとう」

ちなみにコラさんは予定があるらしくておれに鍵預けて帰った。とのこと。やらかしてしまったーあとでお詫びの品を持ってこよう。


「目ェ腫れてるぞ」
「えっ私泣いたの!?」
「泣いた泣いた。うるせェくらいに泣いてた」
「うっわ恥ずかしい……!」
「おかげでこっちの泣きたい気持ちが吹っ飛んだよ」
「はは……良かった。じゃあローの分も泣いてあげたってことで」

そう笑うと目の前の彼もふっと笑った。
少し馬鹿にしたような、それでもどこか嬉しそうな表情で私の心がじわりと満たされた気がした。


「腹減ったな。飯でも食って帰るか」
「うん。付き合ってくれたお礼に奢る」
「その前に化粧直すか落とすかしてこい」

そんなにひどい顔してんの!?と焦りながらスマホアプリのミラーを起動する。ああもうほんっと私ってばどこまでも最低だ。

「あァそうだ。そこに連絡先入れておいたから」
「え、なにが、誰の」
「おれの」

手にした画面にはヨレヨレのメイクで、マヌケな表情を浮かべる自分が映っている。ひどい有り様だ。こんなだから失恋したの?


「どんな映画になるか気になるだろ」
「……映画?」

突拍子もない単語に寝起きの頭がついていかない。必死で回転数をあげると、あのときのマスターの言葉が浮かんできた。

なにもせず一夜を共にした初対面の、失恋した者同士。
この奇妙な出会いはロマンスになるのかコメディになるのか、意表をついてアクションになるのか。
うん、私もちょっと気になる。


愛は僕らを救うのか

thanks/マダムXの肖像
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