「なァ、こっち来て」

優しくしっとりした声に誘われて近くまで行くと、捕まえたとばかりに抱え込まれて。それは一日の中で最も安らぎと笑顔に満ちる瞬間だった。

「今日の夕飯うまかったか?」
「うん!私の好きなものばっかりで美味しかった」

そのままソファに倒れこんで、ジョークのような軽い口づけを交わしていると部屋の隅から聞こえてくる間抜けな着信音。

「・・・あ、電伝虫、」
「んー後でいい」
「出なよ」
「いい」
「何言ってんの。ほら、早く」

恨めしげに私を見下ろすから、これで最後ね。早く出て。の意味を込めて唇をぶつけるとサッチは私の上から降りて部屋の隅に向かっていく。私も起き上がって服と髪をさっと直し、受話器を上げたサッチを置いて部屋を後にした。
ダイニングへ行くと奥の方ではエースとハルタを筆頭に何人かのクルーが盛り上がっていて、手前ではイゾウとマルコが静かに談笑していた。
私に気付くなりイゾウは、意味ありげに唇を歪めて向かいの彼にアイコンタクトを送る。
振り向いたマルコは呆れ顔だ。

「なにその顔・・・!言いたいことは分かってるから言わないで」

マルコに代わってイゾウが口を開く。いや、わざわざ指令しなくてもマルコはきっと何も言わなかったに違いない。相手を間違えた。

「何処行くんだよ。まァ座んな」
「嫌。どうせろくな話題じゃないもん」
「兄ちゃんたちが話聞いてやるってのになァ」

聞きたいの間違いでしょ。と捨て台詞を吐いてキッチンへ行き、飲み物をもらって甲板へ出た。
さてどうしようか。部屋に戻っても退屈だし、イゾウの誘いに乗っておけば良かっただろうか。


「見ーつけた」
「サッチ」

私の逃げ道を塞ぐよう、腕を伸ばして手すりと体の間に閉じ込められる。その口に咥えられた煙草の煙を視線で追うと、真っ黒な海を背景にゆらゆら漂い気付けば跡形もなく消え去っていく。私も何かのときは、こんなふうに静かに消えたいなと思った。


「お。満月じゃん」
「ねー!綺麗!」
「おれ狼男になっちゃうかも」
「ちょっと、吸殻は海に捨てないでっていつも言って、」

首筋に降りてくる唇。下から忍び込んでくる手。甘い言葉と感触にどんどん酔わされていく感覚。
こんなふうに支配されたら何も言えないし、思考も止まる。
幾度となく堪能しているはずなのに飽きることがないのは、この関係が完璧とは程遠いものだからか。

「部屋行こうぜ。それともここでする?」
「あははっ、くすぐったいよ」
「なあ」
「バカなこと言わないで」
「お願い」
「ん、分かったからっ、」
「ヨシ!おれの勝ちだな」

そうして翌朝起きるとサッチの姿は消えていた。
朝の時間帯に部屋にもキッチンにもいないということは、この船にはいないと意味している。
彼は時折こうして船を空け、故郷へ行ってはまた船に戻るのを不定期に繰り返している。期間は大体二、三日。長くて一週間ほど不在。それは私がこの船に乗った頃からで、ある時ふと理由を聞いてみると本人より先に周りのクルーが「こいつ故郷に恋人がいるんだ」「会えない時間は電伝虫で埋める!健気な愛だよなァ〜」と冷やかしながら教えてくれた。
素敵な人だな、なんて他人事のように思っていたのが気付いたらこんな関係になっているのだから笑える。





「何処行くんだよ。まァ座んな」

今夜のイゾウは面白がっていない。どこか気遣うような笑顔を浮かべ、昨日は黙っていたマルコも「座れよい」なんて言い出す始末。私も、憎まれ口は叩かずお礼と断りを述べてダイニングを後にし、昨夜のように甲板に出る。

今頃サッチは仮初めではなく本物の幸せに満たされているだろう。
彼が私をどう思っているのかは知らない。そんな話はしたこともないし聞かれたこともない。逆に私が彼をどう思っているのかも同じだろう。
それでも私は、いつか自分を選んでくれるんじゃないかなんて淡くて馬鹿で最低な期待をしている。

今夜はつまらない。そう思ったのはサッチがいないからだろうか。それとも、今日の空も昨夜に劣らず悪くないと思えたからだろうか。
ああ、なんだか皮肉なものね。


あなたが傍にいなくても月は綺麗


thanks/RALME
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