スニーカーを選ぶ女


だいたいのことは順調だった。今日の天気もこの旅もたくさんいる家族との関係も、マルコとの関係も。
たいした障害もなく歩いてきたからこそ良からぬ事態への免疫がなくて、巨大な壁に道を塞がれた日にはこうしたパニックに陥ってしまう。


「ちょ、落ちつけって!マルコは悪くねェんだ!」
「ああそうだ!!おれらが無理やり連れてっただけでしかも、」
「私はマルコに話してるの黙って。そうだとしても本当に嫌ならあんたたちに怪我を負わせてでも逃げたはずよ、だってうちの一番隊隊長は誰?自分でしょうマルコ!もうこんなの信じられない!今までもあったの!?私が気づかなかっただけ!?」

マルコは船番だったから私はひとり気ままに街を歩いていた。そしたらうちの男共が大好きな歓楽街があったからちょっとした悪戯心が芽生え、待ち伏せして出てきたところを驚かせて、からかってやろうと思った。
エースにサッチに皆の見慣れた姿に混じっていたのは居るはずのないマルコで、驚かされたのは私だった。


「待てよい!悪かった、とにかく、」
「触らないで私は今までマルコを疑ったことなんて一瞬もなかった!よく聞きなさい後ろのあんたたちも!これは完全な裏切り行為よ白ひげ海賊団鉄の掟に値するほどのね!」


逃げるように船へ戻り私室の扉を乱暴に閉めてまずしたのは、鍵をかけること。向こう側の声に黙れと一喝すること。耳栓を探して思いっきり耳につっこむこと。ベッドにダイブ。そしてなんの色気もないスニーカーを脱いで扉にぶち投げた。
金銭が絡んだ商売、そんなの実際私のなかでは浮気なんて低レベルなものには入らないほど、下の下のそのまた下の行為。
じゃあどうしてこんなにも苛だつのか。

思いたったように起きあがり、扉の向こうへ叫んだ。耳栓で音は聞こえないけれど居ることはわかっている。


「私だって武器を持つときもあれば普通に女の子らしくいたいときもある!だけどいつ起こるかわからない戦闘がはじまったら、長い髪もスカートも踵の高い靴もぜんぶ邪魔!医術を持ってないかぎりこの船に普通の女の居場所はない!強くなきゃマルコのそばには居られない!それなのにマルコは女らしい魅力を持った普通の子を求めた、こんなのってあんまりよ!!」

なにも考えずただ勢いに任せてヒステリックを撒き散らすけど、すぐに後悔。
マルコの行動は完全な裏切り、私の必死の努力への。なんて、こんなの被害妄想とか八つ当たりとか自分勝手で幼稚すぎる考え。
外の声を聞こうか迷った。
だけど、もしかしたら呆れて黙っているかもしれない。もう愛想を尽かして去っているかもしれない。
私はいつからこんなに欲ばりになったのだろう。海にでて世界一の船に乗って最高の家族とパートナーにかこまれて、それでも不満を抱えてしまう自分がどうしようもなく嫌な奴に思えて仕方ない。自分のなかに留めておくならまだしも、こんなかたちで盛大に披露してしまうなんて。







いつのまにか眠っていたらしく、時計を見たら深夜。こんな状況でも眠れる自分にまた少し呆れつつ、身体だけでもリフレッシュできるように備えつけの簡易浴室へと向かう。
外した耳栓を放り投げると、予想もしない扉の向こう側からの声がするから。


「…………ずっと廊下にいたわけ?」
「おれの勝手だよい」

扉を開けた一瞬しかマルコの顔を見れなかった私は、なにを恐れているのだろう。自分の間違った考えを指摘されて、また呆れらてしまうことが恐いのかもしれない。
背を向けたまま部屋の隅に飾っている、クリスタル・ガラスでできた手のひらサイズのオーナメントにそっと触れた。先端のほうにリボンの形をあしらっている女性用の靴は、誰が見てもあの童話を思いだす。
何年も前になんとなく惹かれて購入した明確な理由が、近頃わかるようになった気がする。


「こんなのおかしいよね、わかってる。……ごめんなさい」

この道を選んだのは誰?私自身だ。
不満を抱きはじめたら御託を並べて人のせい?子供の行為だ。
誰がどう考えても、あんまりなのは私。


「悔しかったの。なんでマルコは私の気持ちをわかってくれないの、って」
「なあ、」
「また努力する。強さを失わず女らしくいられるようにね。海賊、特に女は欲ばりだから、まあマルコが嫌じゃなければ気長に見守ってほしいな」

力なく笑ってクリスタルを元に戻す。冷えた手に今度触れたのはマルコの手のひら。その温度が恋しくなって、もっと感じたくて抱きつくと普段どおりなにも変わらず背中に腕をまわしてくれた。



「……ごめんねマルコ」
「謝るのはおれだろい」
「でも、」
「悪ノリしてあそこに行ったのは確かだよい。だけど情けねェことに女と二人きりになったとたん、怖気づいて出てきちまった」
「う、うっそだぁ……そんな上手い話、」
「まァおれが逆の立場なら同じこと思うよい。信じてくれとは言わねェ」
「…………」
「お前の気持ち、なにひとつわかろうともしねェで悪かったよい」
「……なんとなくそうだろうと思ってたけど……情けない……怖気づいたなんて……!」
「うるせェよい」
「耳栓貸す?」
「お前なァ……」

道を阻んでいた壁が少しずつ消えていく。いつもの障害のない道に戻っていく感覚は幸せだった。


「髪、伸ばせよい」
「うん」
「余計なことは考えないで好きな服買って、」
「うん」
「靴屋にも行こう」
「うん」
「靴屋といえば、そういやァいつものお前宛ての手紙が届いてたよい」
「じゃ今回のことが良いネタになる。あはは」
「……バカ言うなよい」

その後マルコは、強くても弱くても関係ないと言ってくれた。お前が笑って隣にいてくれるだけで多分おれは嬉しいんだと、本当に嬉しそうに笑っていた。

私の道はこれからも時々なにかに阻まれることがあるはず。それでも、私の大切なものはすべてその道の先にあるから進むのを諦めることはきっとできないんだろうな、そんなことをマルコの腕のなかで思った。



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