靴を買い漁る女


「これも素敵ね。もうワンサイズ小さいのをいただくわ。あと向こうに飾ってある珍しい色をした、そう、それもお願い。それとさっき履いたパープルの、」
「お客様。お客様はとても綺麗な脚をされているので、そちらよりもカットが深いこちらのタイプを選ばれたほうがより美しさが引きたつかと思います」


彼女にはこれまで何度も接客されているけれど、こんなふうにはっきりと意見してきたことなんて一度もなかったから驚いた。
先日は今にも倒れそうなくらい顔色が優れなかったのに、今日の彼女はちがう。瞳が自信に満ちて輝いていた。


「いかがですか?どうぞお試しください」
「……たしかに綺麗ね。すごく気に入った。こっちをいただくわ、どうもありがとう」
「ありがとうございます。すぐに新しいものをご用意いたしますね」

人生がなにか変わったのかもしれない。幸せそうな可愛らしい笑顔が私の幸せも深くしてくれた気がして、いつもより晴れやかな気分で店をでた。
両手が塞がったまま向かうのはお気に入りのカフェテラス。そこで一息ついていたら隣席の人間が不意に言葉を投げてきた。



「その大荷物、向こうの通りにある高級靴屋だろ?」

首を動かしてまず目に入ったのは、不健康そうだけど整った顔。長い脚を組んで両腕を投げて座る様はどこか威厳があった。


「これ?そうよ」
「全部自分の靴か?」
「ええ」
「二本しか無いんだ、そんなに買っても履ききれねェだろ」
「ロマンがないわね」
「これでもそのへんの野郎よりは持ってるつもりだ」
「そのびっしり入ったタトゥーもロマンなの?」
「まァな」
「そ、まあ男と女だもの。分かりあうのは難しいわ」

言うと彼は、喉を鳴らして「そうだな」とつぶやいた。
話が一段落したところで煙草に火をつけるけれど道行く人たちをうつす視界の隅には、未だ大きな態度で視線を寄越している彼がいて。最初はなんとも感じなかったけれどあまりにも続くものだから、どうにもこうにも気になって仕方がなくなる。


「まだなにか?落ちついて煙草も吸えやしない」
「聞くが……」
「なに」
「そんなに買ってどうする?」
「どれだけ興味持つの?」
「いや、純粋な疑問」

なんかすっごく疲れる……!
もう少し顔が崩れていれば無視できるのに、と自分の弱さを責める。


「買ってどうするかって?履くに決まってるでしょ」
「お前がいま履いてるのも、馬鹿みたいに山ほど買ったうちのひとつか?」
「ええ」
「それでなにかは埋まるのか?」
「…………見ず知らずのあんたに私の靴事情をこれ以上おしえる必要はないわ」


不気味なくらい鋭い男。
主人が根回した人物?と一瞬勘ぐるも、あの人の関心が私に向くなんてありえない。
短くなった煙草を灰皿に押しつぶして席を立ち、荷物を抱えて店をでる。隣席の男の関心も失せたのか、視線はもう感じなかった。



自宅エントランスに入っても使用人に荷物を渡すことなく真っ先にシューズルームへ向かう。あそこへ行くことはセラピーに行くよりもずっと効果があるのだ。
まばゆい照明。一定の間隔で美しく並んだ色とりどりの靴たち。中心で周りを見わたせば気分が落ちつく。
その快楽を得るのにあとわずかだったのに、扉を開けると主人と見知らぬ女性が服を乱して、私とはまた別のスリルに満ちた快楽を求めあっていた。


「…………きゃっ、やだ!」
「おまえっ……!」
「ねえ、お願いがあるの」


取り乱したりするほどこの人への気持ちはない。
返事を聞かずに続ける。


「この部屋は世界で唯一の私の居場所。だけど今はもう、ちがう」
「……すまない」
「新しい私の居場所を」
「……ああ。わかった」
「あの、私っ……!」
「ちょうど置き場所が足りなくなってきたところだったの。気にしないで」

失礼したわね、と扉を閉めてまたエントランスを抜けた。
怒りも悲しみもない。本当に、ない。
行くあてもなくぼんやり歩く。あのテラス席には先ほどの彼がまだ大きな態度で座っていた。まるで私が戻ってくることがわかっていたかのように。


「ねえ、やっぱりおしえる」
「…………」
「実際はなんにも埋まらない。満たされる錯覚に陥るのはほんの少しのあいだよ」
「悲しいな」
「そうね、悲しい。だけどこうしていくしかない。今さら独りになっても、知恵も財力も若さもないから生きていけない。独りになった私に残るのは靴の山だけ」
「…………」
「幸せになりたい」

こんなときは街行くすべての人が幸せに見えて孤独を感じる。いつだって独りなのはわかっているけどそれがもっと強く、突き刺さるように、お前は世界で一番孤独な人間だと知らされているような気がして堪らない。



「お前が言ってるのは甘ったれたガキの台詞だ。幸せになりたい?笑わせるな。お前の事情は知らねェが可能性を自ら否定するような奴は到底幸になんかなれねェ」

「欲しいなら自分で掴みとれ」と作られた物語みたいな捨て台詞を吐いて、彼は椅子を鳴らした。
遠ざかっていく後ろ姿。一瞬の出来事に呆然となる。
なにも埋まらないと知りながら楽な方へと身をまかせてしまう。それで自分は孤独だから、幸せになりたいだなんてあまりにも考えが甘い。
言われたことは正しい。
そして何故かそう言ってもらえたことが嬉しかった。



「待って!!」

あとを追って、叫んだ。
意外にもすんなり止まってくれたからそのまま背中に向けて言葉を放つ。


「あの、……ありがとう」

このまま無視されるかもと不安になったけれど、彼は静かに振りかえって少しだけほほ笑んだ。


「あ、良かったら食事でも一緒に……」
「ふつう見ず知らずの男に貶されたら、泣くか怒るかだろ」
「だってあなたが言ったことは正しいもの。それがよくわかって、自分が恥ずかしくなったわ」
「変わった奴だな」
「もっと話がしたい。食事、行かない?」


埋まらない日々でなにを感じてなにを考えているのか、見ず知らずをいいことに全部吐きだした。どこまで甘ったれなんだよと彼は呆れていたけれど、それでも私の目を見て真剣に聞いてくれるからつい饒舌になってお酒もすすむ。


「しっかりしろ。置いてくぞ」
「もう一軒行かないの?」
「行かねェよ。これ以上酔っ払いの相手続けるほどひまじゃねェ」
「ノリわるいなあ」
「近々出港だからやらなきゃならねェことが多い」
「ああ、さすが海賊!それにしても海賊って見た目じゃないわよね。ガラのわるい兄ちゃんて感じあはは」
「口動かす前に足動かせ」

この時間独特の空気が火照った身体にすうっと染みて気持ちがいい。さらなる心地良さを求めて、華奢な踵をした歩きにくい靴を脱ぐ。


「バカか。怪我するから履け」
「いーやー」

おどけた声で、10万ベリーはするそれを近くにあった噴水に投げると軽快な水音がふたつ、黒い闇にのまれていった。
そうしておとずれた静寂のなか、ぽつりとつぶやく。


「ローありがとう。自分で幸せを掴む決意ができたよ」


靴がないので少し遠くなった距離。だけどこうして低いところから見たほうが、瞳が帽子の影で見え隠れせずクリアになって良い。
視線を逸らさずにじっと見据えあって、次になにが起きるかはお互いきっとわかっていた。
彼の唇はとても冷えていて、アルコールのせいで熱をもった私は一層それを求める。キスにかぎらず与えられ、求めるなんてことはずいぶんと久しぶりのような気がする。






「明日出ていくわ」「そうか」たったのこれだけ。
昨夜彼と別れてから、今までの生活に自ら幕を引いた。自分の可能性は今からだって、いくらだってある。諦めて楽な方ばかりに甘えるなと、きっかけを与えてくれた海賊の彼に心から感謝しなくてはいけない。
エントランスを抜けて振りかえることなく、大きなゲートから一歩踏みだした。なんて清々しい朝だろう。


「わ、びっくりした!」
「昨日あんなこと言ってたからまさかとは思ったが……行動が速すぎねェか?」
「なっ、甘ったれんなとか速すぎとかどっちなの!?」
「それより行く宛てあんのかよ」
「とりあえずここじゃない街に行くわ。ホテル暮らししながら仕事を探す」

どうしてか向きあって話すのが怖くて。背中を向けて歩みをはやめても、後ろの声が遠退くことはない。


「おい。幸せになりたいんだろ?」
「そうよ!だから今あのバカみたいにデカイ家から出てこうしてる。ていうかついて来ないでよ……!」
「おれの船に乗れ。一緒に行こう」
「海賊になれって?バカなこと言わないで」
「お前のすべてが埋まる。おれといれば、必ず」


思わず立ち止まって振りかえる。
予想もしなかった朝イチの競歩に私の呼吸は乱れまくってるというのに、それについてきた目のまえの男は涼しげな顔でいるからなんとなく腹だたしい。


「……本気で言ってるの?」
「靴の山はどうした?」
「……これからの私にはきっと、必要ない、はず」
「そうか。で、幸せになりたいんだろ?」
「なるわ。必ず」
「じゃあ自分で掴みとれ」


促すように腕を伸ばして、はじめて見る顔で笑った男はハートの海賊団船長、トラファルガー・ロー。私は自分と、彼の可能性を信じて男のロマンが詰まっているらしいタトゥーびっしりの腕をつかむ。
私が持っていく女のロマンは、いま履いている1足。
昨日あの店の彼女が選んでくれたこれだけで、十分だと思えた。



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