高級靴店で働く女


「終わりだ。おれとお前が会うことは二度とない」

夢か冗談かと思った瞬間だった。けれど目のまえにいるのは間違いなく実物の彼だし、こんな安っぽい冗談を言う性格でもない。
なにより、いつもの鋭い瞳はしっかり私を見据えていた。


「なん、で……」

返事をしないまま立ちあがり、部屋を出ていく彼。追いかけるべく小狭い玄関に散乱した靴を大急ぎで履いてアパートの階段を走り降りた。待って、と無視して歩きつづける彼にすがりつく。人目なんて気にしていられない。


「ねえ、一体どうしちゃったの?とにかくもう一度よく、」
「最初から愛していなかった」
「嫌よ待って!」

彼を追って通りを何本も渡り公園を横ぎり、いくつものショーウィンドウの前をかけぬける。同じ単語を繰りかえしながら、ついさっきまであんなに傍にいたのに今の距離が縮まることはもうないのかと考えたら涙が溢れでた。
愛した人からの突然の別れを簡単に受けいれられるわけもなく、ありったけの力で腕を掴んで引きとめる。
返ってきたのはその何倍もの強い力だった。
建物の壁に押しつけられた身体に走ったのは、悲しみでも痛みでもない。
初めて感じる、言いようのない恐怖。


「もう一度だけ言う。終わりだ。……いいか、おれはその気になればお前を殺すことだってできる」

彼が手をあてた先のコンクリートが音を立てて砕けるのがわかった。怯えながらも、最後の足掻きとばかりに離れていく黒い背中に叫ぶ。
もう無駄だというのはとっくにわかっていた。


「っ……!待ってルッチ!!」







朦朧とする意識。
力なく歩みをすすめているけれどどこへ向かっているのかなんてわからない。
足元に軽い衝撃が走って躓く。
脱げた片方のヒールが無残にも折れてしまい、堪らずに声をあげて泣いた。
これを初めて履いた日に私と彼は出逢った。「これ素敵でしょう?」「よく似合ってる」なんて言葉も交わしたのに。
恋と同じ運命を辿ったハイヒールはいま世界で一番哀れな靴。そしていま世界で一番哀れな女は、私。


「っ、どうして……」
「あーあー。大丈夫か?」


この状況に不釣り合いののんきな声。顔をあげると見るからに海賊といった感じの男が、私の顔を見て驚くのがわかった。
改めて全身を見てから、今度は不思議そうなものに変わる。無理もない。下着一歩手前のバカみたいに無駄にかわいらしい部屋着を着てるくせに、足元はエッジの効いたクールなサンダル。甘辛ミックスだなんてよく言ったものだ。
片方は脱げ、しかも壊れている。顔は涙と落ちたメイクでドロドロ。


「ぶっ……ははは!おいおい一体なにが起きたんだ!?あ、おい待て大丈夫か!」


返事をする気力もない。
おぼつかない足取りで近くのベンチに座って膝を抱えた。
こんなに晴れた気持ちのいい日、並んだ木々からの木洩れ日を浴びていても気分は地獄。


最初から愛してない。その意味が、わからない。
じゃあ一緒に過ごした時間はなに?
なぜ今になって別れを告げたの?
疑問ばかりが頭のなかをぐるぐるまわる。


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