あの夜つまみ食いした恋のこと
In the case of MARCO
抜け出そう。
そして何事もなかったかのように振る舞おう。私は何も知りませんよ夢じゃないですか?的な空気を貫こう。でもよく考えたら、この状態から抜け出すのは苦労がいりそうだ。私は抱き枕かってくらいマルコの腕と足がのし掛かっている。
すこーしずつ、すこーしずつすり抜けてもう少しで脱出成功ってときに。
「ん・・・Name」
掠れ声で呟いてきつく抱き寄せられたら、もう何もする気が起きなくなるよ。
諦めて、その華奢ながらも逞しい腕に包まれて再び眠りについた私が次に目覚めたとき隣にマルコはいなかった。
自室へ戻りシャワーを浴びてダイニングへ向かいながら、やぱり不味いことしたなと改めて感じる。どんな顔をして会えばいいのか。
「おうName!おはよう」
「おはよー」
見てみるとサッチの奥にはマルコが座っている。人の気なんて知らずに続けて話しかけてくるから、別の場所に行きようがなくなり仕方なく向かいに腰を下ろした。おはようと挨拶を交わす私とマルコは、至っていつも通りだったと思う。
「それでよォ、そこでエースが・・・あ、待った。コーヒーなくなったから取ってくる」
どこまでも空気が読めない男だ。
頭を抱えてしまいそうになるのを堪え、斜め前をちらりと見た。
「悪かったよい」
なぜか胸に刺さる言葉。
立ち上がってこの場を去るマルコの行動は、追い打ちをかけるよう私の胸をきつく締めつける。こんな風になるなら、あんな馬鹿な真似しなければよかったなんて後悔しても手遅れで。
自意識過剰なんかじゃなく、その後もマルコは以前と変わって私と二人きりになるのを避け続けるから「ああ嫌われたな」と思わざるをえない。それでも、余裕のない声、私を見つめる優しい瞳、あたたかい胸もマルコの香りも、時間が経つにつれて薄れていくどころか鮮明になっていくから困る。
まともに会話をしなくなってから一ヶ月。
私はついに行動に出たのだ。
「マルコ、いる?」
間を置いて部屋から出てきたマルコは、私の顔も見ずに廊下を歩きながら口を開いた。部屋で二人きりになることを避けたのは明らか。
「どうしたんだよい。今からオヤジに用が、」
あるんだよい。きっとそう続けたのだろうけど、私に届くことはなかった。
「子どもじゃないんだから、これくらいの事であからさまな態度なんて取らないでよ。お願いだから普通に接して」そう話したかったのに、なに一つとして言葉にできず涙が溢れてくる。今までの人生、どこの誰に嫌われようともまったく気にしたことなんてなかったのにこの有り様。嫌われることがこんなにも傷つくなんて初めて知ったのだ。
何故?家族で、とりわけ仲良くしていたのはもちろん私はいつのまにかマルコを、一人の男として好きになっていたから。
「・・・!おい、Nameッ」
何も反応が無いのを不思議に思い、振り返りでもしたのだろう。焦った様子のマルコがこちらに戻ってきて私の顔を覗こうとしている。
事情を知らない通りすがりのクルーたちが冷やかしの声を掛けていくのも気にせず、私はただただ目元を隠して俯いた。
「お前らうるせェよい!さっさと仕事に戻れ!・・・Name、ちょっとこっち来い」
あの日以来入ることのなかったマルコの部屋。顔は未だに伏せたままだけれど、何も変わっていないのが空気で分かる。
「Name、」
「私だって悪かったと思ってるのに!避けないで嫌いなら嫌いだってはっきり言ってよ!」
「おいおい・・・待てよい」
「そんなに嫌なら、私もうこの船を降っ・・・!」
抱き寄せられ、泣きじゃくりながら発していた言葉は遮られた。
部屋だけでなくマルコの香りも、あの日と同じまま。
「馬鹿なことを口にするなよい」
「・・・こんなことしないで」
消え入りそうな声で呟くと、後頭部にマルコの手が行き来する。
「Name。おれの間抜けな話、聞いてくれるか?」
「・・・なに・・・」
「あの流れは成り行きだったかもしれねェが、おれは元々おまえが好きだった。・・・でもなァ、歳食うと臆病になっちまうんだよい」
「・・・どういうこと」
「あの後もお前の存在が大きくなっていくのが分かったから、抑えを掛けてたんだよい。・・・Name、お前は若い。こんなオッサンに好かれたって迷惑でしかねェだろってな。でも結局お前を傷つけちまった。すまなかったよい」
強いマルコの意外すぎる一面を知ると、胸の淀みがすうっと抜けていく。考えもしなかった展開であまり頭がついていかないけれど。
「私だってマルコが好きだよ・・・迷惑か迷惑じゃないかなんて私が決める」
「おれでいいのかよい」
「マルコがいいの」
「怖ェなァ。捨てられそうだよい」
全然怖そうに思っていない、むしろ楽しげな口調。ようやく顔を上げた先にはマルコのやさしい笑顔があって、濡れた目元にひとつ、またひとつと唇を落とされていく。順番を間違えた上にとんでもないすれ違いがあったけれど、そんなことはどうでもいいと思える結末が迎えられて良かった。
あの夜つまみ食いした
恋のこと
(初めて男に泣かされた)
(・・・。分かった、次の島で何でも買ってやるよい)
fin.