No where.
言葉はたったのワンフレーズ。
しっかり私の心に届いたそれは、心臓に根深く突き刺さってすべての回路を停止させた。言葉はもちろん動きすらも止まった。もしかしたら本当に心臓が止まっていたかもしれない。
「驚きすぎだよい」
「・・・・・・」
「Name?」
「は!い・・・」
また聞こえてくる笑い声。そこに混じって「帰るか」と離れていった体だけれど、来たときと同じように手のひらだけは繋がっていた。
この手をこれから先も掴んでいくのかどうかなんてそんな大切なこと、今の私には到底判断できない。
53階から地上までのエレベータ内は無言。タクシーに乗り込む直前、マルコさんは私の頭をひと撫でして「いつでもいいよい。返事、聞かせてくれ」とまた笑っていた。
昨夜の出来事が延々と頭を離れないまま、部屋で静かに過ごす。今日が休みで良かったと心底思う。
食欲も湧かず、掃除や洗濯など何も手をつけていない。カーテンすら開けずソファに寝転がってテレビ番組を見ていても内容なんて全然入ってこない。ああそうだ、再来週から例の企画が徐々に動き出すから諸々リサーチをしたり、資料をまとめなければ。社長の今後のスケジュールも今日中に考えて、明日の朝一で各方面に連絡しなければいけない。そうだ、呆然としてる暇は私には一切ないんだ。
「・・・そういうこと、か」
好きなのか、憧れなのか、恋愛なのか、そうじゃないのかなんて分からない。きっと一生分からない気がする。
分かっているのは、いまの私には恋愛にうつつを抜かす余裕はこれっぽちもないこと。やらなければいけないことが、山ほどある。すべて自分で決めたことだ。
そう思うとなぜか心が晴れた。
「おはようサッチ!」
「なんだエラくご機嫌だな」
「そう?来週から企画動き出すから、気合い入ってるのかも」
「おーそりゃ頼もしい」
いつも通りコーヒーショップに寄って、オフィスに上がり一日が始まる。
お昼間近になるとマルコさんが現れたので、帰りがけに呼びとめて空いてる会議室へ招いた。
「すみません。勤務中にこういった話はいけないって分かってるんですけど、次いつ会えるか分からないし・・・早めに伝えたくて」
「・・・いい予感がしないねぃ」
自嘲したマルコさんに何も言えず、話を切り出す。
「マルコさんの気持ち、嬉しい気持ちも驚いた気持ちもあります。私もマルコさんのこと好きですけど、それは多分・・・憧れとしての好き、です。私みたいな女が、何様だよって自分でも思っちゃうんですけど・・・気持ちに答えることは、できません。ごめんなさい」
「・・・予感的中、だよい」
「まだ言ってなかったんですけどサッチのサポートとして、企画を任せてもらえたんです。上手くいけば大きな利益が出ます。キャリアアップにも繋がります」
社長が直々に私の名前を上げてくれたので期待に答えたい。だから私はいま、仕事をしたいんです。
そうありのままを伝えた。
「・・・分かったよい。話してくれてありがとな」
「本当にごめんなさい」
マルコさんは、背を向けて扉に向かって歩みを進める。ドアノブに掛けた手が止まったかと思うと、真剣な表情でこちらを向いて一言。
「・・・仕事が好きか?」
「・・・好きです」
自然と笑顔がこぼれた。
「そういうところが好きなんだよい」
私以上に笑顔を見せて部屋を後にしたマルコさんに、もう一度心の中で深く謝罪する。
これでいい。これが今の正直な気持ち。変に嘘をついたり、曖昧なことを言うのはあまりにも失礼だ。
気分はすっきりした。仕事、がんばろう。好きだと言ってくれたマルコさんに恥じないように、何より自分のため、会社のために。
◇◇◇
「サッチ!資料のここ、こっちの方が良くない?・・・オッケーじゃあこっちで打合せ進めておく」
「無理!?どうにかならないの?・・・そう、じゃあサッチに報告しておいて。それと代わりの会社いくつかピックしてくれる?」
「社長、ゲームしてる暇はありませんよ。今からドフラミンゴ社長と会食ですから移動します」
「ごめん、社長の予定が長引いて・・・!うん、今から会社戻るつもり。え?大丈夫大丈夫、サッチは先帰って」
「ルッチ!社長の時間、明後日の六時から一時間取れたからそのつもりでお願い」
「ごめんキッド、お昼買いに出るなら私の分もお願いしていい?二食分よろしく!・・・え?違うよ、夜の分」
企画が動き出すまでの一週間と、動き出してからは人生で一、二を争う忙しさだった。
早朝に出社し、家に帰宅するのは良くて日付が変わった頃。終電を過ぎることも普通にあった。
日中はアイスバーグ社長のほうの仕事をしながら、空きを見つけて企画の仕事。外出先でも電話とタブレットが手放せず、休みなんて概念はどこかに吹っ飛んでいたけれど不思議と気分は良かった。余計なことは考えず、仕事に集中するこの感覚は嫌いじゃない。
マルコさんとは変わらず定期的に社長室で顔を合わせる。
以前のようにランチに行ったり、個人的な付き合いはもちろん他愛もない世間話をすることもかなり減ったけれど、関係はとても良好だった。今までが近すぎただけで、これが本来の距離だと思う。
「なァ、おまえ・・・働きすぎじゃね?」
「でも辛くないよ」
「それなら良いんだけどよォ。なんか・・・その、悩んでんじゃねェのか?」
「・・・私が?何を?」
「いや、そこはわかんねーけど」
「悩んでる暇なんかないよ、心配しないで」
ありがとねと告げても、サッチはいまいち腑に落ちない表情を続ける。
周りに居たローやキッドも怪訝な顔つきでこちらを見ているから、なんだか悪いことをしているみたいで居心地が悪い。視線を振り払うようにして自分のデスクへと戻った。
to be continued.