2018/12/23 Sun

タクシーを降り、ドアマンに荷物を預けてロビーに入るとそこには、ヨーロッパ製のオールドムービーで観た世界が広がっていた。
おもわずその場で立ち尽くしてしまいそうになったのは、タイムスリップでもしたのかと思ったからだけじゃない。
老舗ならではの圧倒的な品位。それでいて野暮ったさのかけらすらない、洗練された様。戦前から今日までどんな時代もここに在り、この国と人々の物語をただただ静かに見つめてきた佇まいに感動したから。
となりにマルコさんがいたら、きっと私はこの感動を必死にささやいているはず。待ちあわせ場所のラウンジに行っても、その雰囲気にまたひっそりと感動する。


「悪い、待ったか?」
「お疲れさま!そうでもないよ」
「そりゃよかった。どの道も混んでて、まいったよい」
「たしかに混んでたね。私も早めに出たつもりだったけど……どうしたの?」

少し遅れてやってきたマルコさんは、笑いながら向かいに座ったと思ったらきょとんと目を丸くさせた。もしかして、やり残した仕事でも思い出したのかと心臓がこわばる。

「……めた……」
「え?」
「目が覚めた。綺麗だよい」
「え。ああ、ありがとう。……待って。眠かったの?」
「渋滞してたから眠くなっちまってねぃ。ずっとぼんやりしてたんだよい」
「うそでしょ。ここに来て感動とかなかったわけ……!?」
「だから今、あまりにも綺麗で感動した」
「そうじゃなくて……!」

話が噛み合わない。けれど、褒めてくれているのだからこれ以上は野暮だ。そう思ってあらためてお礼を言うと、チェックインは済ませたから食事に行こうかと促され席を立つことに。
マルコさんは濁していたけれど、食事の場所はぜったいに館内の有名ダイニングだと思っていた。なのに、外へ出ようとするから。
まあタクシーに乗れば行き先を告げるし、それで検討がつくかと考えていたらそう甘くはなかった。どうやらドアマンに手をまわしていたらしく、行き先は私たちが乗り込む前に、ドアマンによって運転手に告げられていた。そのスマートさというか、用意周到さ、私も見習いたい。

「ついにどこに連れていかれるのかわからなくなった」
「そうだねぃ」
「ねえこの服で大丈夫……!?それとこのマノロ、傷つけずに帰ってこれる……!?」
「ジャングルにでも連れていかれる気かよい」
「マルコさんならやりかねない」
「おれをなんだと思ってるんだよい……」

タクシーの速度はわりとすぐ落ちた。降りた先の角を曲がると、海に浮かんだ豪華な船が視界を埋め尽くす。
まさかディナークルーズッ!?と歓喜しながらとなりを見上げると、マルコさんはなにも言わず得意そうな視線を向けてきた。

「すごい!初めて!!」
「転覆しないかぎりマノロの無事は保証するよい」
「それと、はしゃぎすぎて海に落ちでもしないかぎりね」

心のなかで小躍りしながら近づいていく。飛行機はまだしも、船なんて間近で見る機会はそうそうない。いちばん身近な船といったら某有名テーマパークの、海のほうにある船上レストランくらいだ。
ホテルのクラシカルさとは真逆の、近代的でシャープさが目立つスタイリッシュなフォルム。制服姿で出迎えてくれる船員が、また雰囲気を盛り上げる。
中に入り、周囲に人がいないのをいいことに抑えていた興奮を、存分にぶちまける。

「ねえねえねえ見て天井高い……!シャンデリアもおっきいし……!」
「本当だ。船にしちゃ高い天井だねぃ」
「船のなかとは思えない……!すてき……!きれい……!」

そうこうしているうちに、颯爽と現れた船員に案内され階段を昇っていく。

「こちら本船の最上階です。この階のみ本日はプライベートエリアとなっております」

にこやかな笑みを保って黙っていたけれど、心のなかでは「待って、いまなんて言った?」とはっきり聞き返した。おかげでそのあとに喋っていたことがまったく頭に入らず、船員はあっというまに去っていき私とマルコさんのふたりきりになる。

「どうする?デッキに出てみるか?それとも、出港してからのお楽しみにしておくか?」
「いまプライベートエリアって言ってたよね」
「ん?言ってたねぃ」
「まさか、マルコさん、ここ貸し切ったの……!?」
「って言ってもこの階だけだよい。下には他のお客もいる」
「うそでしょ」

おどろきと困惑で、みじかい笑いがこぼれた。
マルコさんはそんな私を気にもせず、手を引いてひとつの扉を開ける。クラシカルな内装のプライベートダイニングには、お上品にカトラリーやグラスがセッティングされていて、もう、なにも言えない。

「デッキは食後の楽しみにしておくよい」

満足そうに、おだやかにほほ笑んだマルコさんに勢いよく抱きつく。

「もー……!ありがとう……!!すき……!」
「ははっ、おれも好きだよい。喜んでくれてよかった」
「喜ばないわけないじゃん……!でもこれ贅沢すぎるよ……!」
「いいんだよい。忙しくてなかなか遠出もできないし、これくらいしないとねぃ」
「気にしなくていいのに……!でも本当、ありがとう……!」

リップメイクが崩れない程度に、みじかく唇を合わせる。困惑はようやく消えたけれど、今度はまた高揚感がやってきてテーブルについてもそわそわが止まらない。

「あーもう食事もデザートも楽しみっ」
「味も評判いいみたいだよい」
「そうなんだ!ますます楽しみ。……ねえ、これ一面の窓だけど、出港したらブラインドが上がるのかな」
「だろうねい。楽しみが増えたな」
「ねー!食べ終わったらデッキに出て……あーはやく出港してほしい。おなかも空いてきた」

欲望をありのままに口にしたところで、失礼いたします、とウェイターがやってきた。はっとして、そわそわスイッチをオフにし姿勢を正し、歓迎の言葉と挨拶を受ける。

「それでは、まもなく出港となりますのでもう少々お待ちください」
「はい。ありがとうございます」

ウェイターが出ていき、マルコさんと顔を合わせる。

「飲み物は出港してからなのかな?ホテルに着いてから興奮してばっかりだからノド渇いちゃったんだけど」
「くくっ……」
「……どしたの」
「変わり身のはやさがすげェ」
「え!?……ああ、だって、こういう場所だから人前ではお上品にしてないと……!」
「アイスバーグさんが仕込んだと思うと妬けるよい」
「いや、あー……まあそうなる、かな……!」

他愛もない話をしているうちに、出港となった。揺れはほとんど感じずとても快適。それからまもなくウェイターがやってきてシャンパンが注がれたところで、ブラインドがゆっくり上がっていき待ちにまった夜景が現れた。
近代的なビル群。異国情緒あふれる古い建物。そもそものあかりに、この時期ならではのイルミネーションで飾られた港町を海から眺めるのはとても贅沢だ。
そして、贅沢なのは向かいの景色だけじゃない。
美味しい食事にシャンパン、大好きな恋人、これ以上の環境はないと思えるほどロマンチックなシチュエーションだとおもう。
ドルチェまできれいに食べ終え、そろそろオープンデッキに出てみようかとコートを羽織る。お酒であたたまってきた身体の熱を冷ますほどの海風に、私たちは歓迎された。

「うわー!最高……!」
「すごいな!」

船内とはまたちがう、隔てるものがなにもないパノラマの世界。美しくて幻想的な景色が広がり、きらめくベイブリッジがまたそこに華を添えている。
船首まで進んだときに、有名映画のワンシーンが頭をよぎった。氷山にぶつかって沈没する、豪華客船が舞台のアレ。主人公が船首で「世界は俺のものだ!」と叫ぶシーンを再現したい欲望が抑えられず、控えめに再現してみせて、ふたりで笑う。

「いや、そこはローズが手を広げてジャックがうしろから支えるシーンだろい」
「あれは定番すぎてダメ。恥ずかしい」
「じゃうしろから抱きしめるのもナシだな」
「それはアリかな」

基準がわからねェ……!と苦笑しながらマルコさんは腕をまわしてきた。寒さがやわらいで、このまま眠ってしまいたいと思うほど、この腕のなかは心が休まる空間だった。

「……とき、」
「ん?」
「あのとき、おれを選んでくれて本当によかったと思ってるよい。一度断られたときのあの絶望感はトラウマもんだ」
「そ、その節はほんとうにごめんなさい……!」
「いまが毎日幸せだから、それでチャラにするよい」

私もしあわせだよ。そう返して身体を反転させ、唇を重ねる。



◇◇◇


クルージングを終えたあとは、ホテルのバーでまた何杯か飲んで部屋へ入った。もちろん、そこでもまた私が歓喜したのは言うまでもないので割愛する。

「たった一晩でこの部屋とか、贅沢すぎる……!寝たらもったいないから一晩中起きてたい……!」
「じゃ起きてようかねぃ。朝までずっと」
「……あ。そういう意味じゃ、」

しまった、と思ってももう遅い。するりとドレスに忍び込んできた手は器用に素肌を這い、私のお気に入りの場所をお気に入りの方法で攻めてくる。

「……っ、マルコさ……」
「ん?」
「待って、」
「……無理だよい」
「ちがっ……そうじゃなくて、ちょっとだけ、」

パフォーマンスの「待って」じゃないことが伝わったらしい。どうした、と手をゆるめてくれたからするりと腕を抜けて、荷物を置いた一角からある物を持ってきた。

「?ゴムならおれが持ってるよい」
「!?ちょっと!雰囲気こわさないでよ……!」
「え?だって……」
「はい、クリスマスプレゼント。いつもありがとう」

語尾にハートをつけた声で、綺麗にラッピングされた箱を手渡す。

「おれに……?」
「もちろん!」
「開けていいか?」
「もちろん!」

ラッピングをほどき、箱に刻まれたブランドネームを見たマルコさんは唖然としている。

「……うそだろい」
「あはは、そんなに驚かないで。開けてみて」

悩んだ結果、時計を贈ることにした。

「……!しかもヴィンテージかよい……!どうやって手に入れた……!?」
「ないしょ。気に入ってくれた?」
「めちゃくちゃ気に入ったよい……!ありがとう……!」

このホテルを見たときに改めて思った。新しいもので溢れかえる今の世の中でも、古き良きものは普遍でいて絶対的な価値があり、美しい。その一点に歴史を感じ、未来を見据える。なんてロマンチックなアイテムだろうか。

「こっち来て」
「はいはい」

マルコさんは私の手を引き、そのまま身体をきつく腕に閉じ込めて左右に揺らした。
アーーーありがとうーーーとめずらしくわかりやすく浮かれていて、可笑しくなってしまう。そんな様子を見ていると、なにを贈るか悩んだことも入手までの困難もぜんぶなかったことになり、心から私もうれしくなる。

歓喜のキスが大量に降ってきて、夜は長いなと覚悟を決めた。


to be continued






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