仕事帰りの金曜日。女ともだちと食事をしながら上司の愚痴や自他の恋愛話、芸能ゴシップやSNSで話題のカフェ、流行りのファッションなどここ最近の情報を共有して楽しんでいたところ、となりの席から声をかけてきたのが彼だった。約束していた友人が来れなくなり、ひとりじゃ退屈だから良ければ一緒にどうか。もちろん、ごちそうするからと愛想のいい笑顔を向けてきたのをよく覚えている。
感じが良かったのと、なにより最後の一言に打たれた私たちは同席を快く了承した。
特別な美男ではないけれど聞き上手で、女が好む気遣いも行きわたっていた。そうなれば自然と二軒目でも一緒に過ごし、なんとなく連絡先を交換して、後日なんとなくやり取りをして、そのまた後日にはなんとなくふたりで飲みに行くことになって頻繁に会うようになれば、辿りつくところはひとつ。なんとなく付きあいはじめるようになる。
私は今さら、浮き沈みの激しい情熱的な恋愛なんてものは求めていない。一日の時間をたっぷりと、愛や恋のためだけに使えていた十代のころと今はちがう。
私生活と仕事のタスクは山のようにあり、どう優先順位をつけるか、どうすればそれらをすばやく、効率よく片付けながら最良な場所へ持っていくことができるか。どうしたら評価が上がるか、嫌なことを上手く切り抜ける方法など、様々な計算もしなくてはいけない。
世知辛いこの時代をうまく渡り歩くことに必死だというのに、そこに恋愛のいざこざが絡んでこようものならとんでもなく面倒で、環境も自分の精神衛生も最悪なことになる。
だからおだやかでいて自然な、年相応の関係や付き合いを恋人には求めるし、彼との出会いで私はそれを手に入れたつもりでいた。


私が愛した男は、救いようもない馬鹿で、そして、どうしようもないくらい、優しい男だった


硬派な男ではない。そんなのは出会いの時点でわかっていたけれど、詰めが甘いのはどうかと思う。
メッセージアプリ、届いた文章の冒頭を表示する設定はオフにしようよ。女の子とのデートでしか絶対使わないようなレストランに、男の上司と行ったっていうバレバレの嘘はやめようよ。
今までもなんとなく疑問に感じる出来事は多々あったけれど、今回に関してはあまりにも綻びが目につく。しかも私が勘付いている事実に、この男はまったく気づいていない。
元からのんきな性格だとは思っていたけれど、果てしなく幸せでバカな男だということが追加で判明し、もはや怒りとあきれを通り越して、なんとも情けなくなり、それが一周まわって情けなさに対して怒りが込みあげてくる。
「お願いだから私だけを見て。一生離れないで」なんて言わない。多少のお遊びは大目に見るよ。でも、せめて、こちらが気づくことのないように、せめて、最大限の努力をすることが私に対する礼儀ってものじゃないのか。

「あのさ」
「ん?」
「大騒ぎするほどのことじゃないから黙ってようと思ったんだけど」
「どしたー?」


「そののんきな姿見てたら、むかついてきたから言わせて」
「? 急にどうしたんだよい」
「ふらふら遊び歩いてるの知ってる。そっちがそうなら私も好きにさせてもらう。以上、今日はもう帰る」
「……え、おい、待っ……!」


入ったばかりの部屋を飛び出す。エレベーターは使ったばかりだったから、すぐに乗ることができた。
知りあって3か月。付きあってほぼ3か月。魔の3か月。これっきり終わってもいいし、終わらなくてもいい。
私の言動はきっとたいした執着がないからこそできることで、それは追いかけてもこない彼も同じなのかもしれない。
そんなことを思っていたけれど、自宅に帰り一夜明けて寝室から出ると、キッチンのほうで物音がしている。この家に居てもおかしくない人間といったら、ただひとり。

「サッチ。なんでいるの」
「んー合鍵持ってるから」
「そりゃそうだ。じゃなくて、なんで来たの」
「昨日ナマエ帰っちゃったから。それよりほら、ナマエが好きなフレンチトースト作ったんだ! 見ろよ、うまそうだろ!?」


「マルコ……なにしてるの」
「見りゃわかるだろい。朝飯作ってる」
「そうじゃなくて。昨日あんな話になって、よく平然と来れるね……!?」
「あんな話になったから来たんだよい。とりあえずもう終わるから座れよい」


なにもなかったような顔で。声で。態度で。当然のように溶け込もうとしてくるから、問い詰める気が失せてしまう。
食卓に並んだ品々は、見た目も味もなかなか良い。毎週日曜に家でおいしい朝食が食べられるなら、付きあい続けるのも悪くないかも、なんてことが頭をよぎるのは、寝起きだからか。
コーヒーカップに口をつけながら、さあどれからいただこうかと吟味していると向かいに着席した彼が、姿勢をぴんと正しながら突然声を張った。

「ナマエ、ほんっとごめん! おれが悪かった! でも食事しただけで、それ以上のことはなんっもねェから……!」

「悪かった……! 嘘ついて、他の女たちと食事に行ってたのは事実だよい。でもそれ以上のことは一度だってねェんだよい……!」

おだやかに晴れた気持ちのいい天気。勢いよく謝罪と言い訳を並べる彼は、こんな日曜の朝の雰囲気にはまったく似合わない。
添えられたベーコンを放り込み、咀嚼しながらそんなことを思った。

「や、いいけど」
「へ……怒んねェの……?」
「怒られたいの?」
「無関心がいちばんキツいわ……」


「や、いいよ」
「怒らねェのか……?」
「怒られたいの?」
「無関心が一番効くよい……」


「事実いまは無関心だよ。この際だから言うけど、私がこう思うのも大きな気持ちがないからなのかなって。それじゃ付きあってる意味もないだろうから、別れるのもアリかもね」

「はあっ!? うそだろ!」
「サッチだって似たようなもんでしょ」
「おれはナマエが好きだよ!」


「んなサラッと言うなよい……!」
「マルコだって私と変わらないでしょ」
「おれはナマエが好きだよい!」


じゃあなんで嘘までついてデートなんかした、とつっこみたいところだけどきっと男という生き物、少なくとも目の前の彼にとって、恋人がいることと他の女の子とデートをするということは別の話なのだろう。
気を取りなおして食事を続けると、テーブルの中心に置かれた花に目がいった。
花屋に行けば年中並んでいるような、なんてことない種類。小さなブーケになったそれは可憐に愛想を振りまいていて、まるで私と、目の前でうなだれている彼の仲を取り持つようにしている。

「なァ、ほんと……」
「やめて。とりあえず今はその話はしたくない」

私が手に入れたと思っていたものは嘘だったのか。それとも、本質に気づくことができていなかっただけか。
こういう事態は本当に面倒だ。「わかったよ、じゃあサヨナラ」で済んでくれたらどれほど楽か。


「……じゃあさ、今日はどうする? 買い物でも行くか?」
「今日は家で掃除とか色々やるつもり」
「んじゃおれも手伝う」
「いいよ帰りなよ……!」
「そんなこと言うなって。あ、ついでに模様替えとかしちゃう? ソファをあっちの位置にずらせばもっと広くなると思うんだけど」


「……そういえば行きたいって言ってた映画、昨日から公開してるみてェだよい。これ食べたら観に行くか?」
「や、今日は部屋の掃除とか家のことやりたいの」
「じゃあおれも手伝うよい」
「え、いいよ帰りなよ」
「男手があったほうが楽だろい」


どうにかしてここに留まらなければ、といった執念を感じ、なにを言っても無駄だと思ったからそれ以上帰宅を促すことはしなかった。
軽くも重くもない空気が流れるなか、時々言葉を交わしてはもぐもぐと口を動かす。

面倒なのは、この日だけではなかった。

週明けの月曜。立ち寄り後出社すると、同僚がすれ違いざまに「怒るのもほどほどにして、許してあげたら?」と声を掛けてきた。
先週末、社内の誰からもミスの報告は受けてないしましてや腹を立てていることもない。なんのことかわからないままデスクまで行くとそこは、大きなバスケットに詰められた花と、デコレーションされた色とりどりのバルーンに浸食されていた。まるで3歳のバースデー・パーティかのように。

「今朝届いたみたいだぜ」

近くの席の同僚が、ヘッドホンを外しながら親切におしえてくれる。
なにかの間違いであることを祈りながら、差し込まれたカードを見ると謝罪のメッセージが一言と、送り主の名前。予想はしていた。
ファンシーな空間で仕事をこなして退社すると、ビルの出口にはパーティの主催者が待ちかまえていた。なんでいるの、とはもう聞かない。

「ナマエおつかれ!」
「花ありがとね。でもあの花屋は二度と使わないほうがいいよ。センスのかけらもない」
「えっポップで可愛くねェ?」
「訂正。今後誰かに花を贈る場合は店員にまかせたほうがいいよ」


「おつかれ。今日は早いんだねぃ」
「うん、花ありがと。ひとつ疑問なんだけど、なんであれを選んだの」
「カラフルでポップなほうが前向きな気持ちになると思ったんだよい」
「なるほど。逆効果になるかもってことは考えなかったわけね」


私があきれていることをまったく気にせず、店予約したから飯食いに行こう、とご機嫌を取るのに必死。

「あのさあ、なんでここまでするの?」
「好きだから」
「なんで? なんとなく知りあってなんとなく付きあって……たった3か月じゃん」
「ナマエは全部、なんとなくの流れって思ってるかもしんねェけどおれはひとめ惚れだったよ。あのとき友達が来ようが来まいがどっちにしろ声かけてた」
「は……そんなの初めて聞いた」
「言ってねーもん。あ、それと女の子とつるんでるのは事実つったけど、それもたぶん誤解してる」


「ナマエと付きあってから食事行ったり連絡取り合ってるのはどいつもこいつも、昔からの馴染みか職場の同僚だけだよい。恋愛感情は過去も今も未来も一切ない」
「や、待って。じゃなんで嘘ついたわけ」
「本当のこと言ったらナマエが悲しむかもしれねェだろい」
「じゃあそれをはやく……なんで今まで黙ってたの……!?」
「すぐに訂正したら怪しまれるかと思ってねぃ」
「いやいやいや……!そうやって余計な気をまわすから話がややこしくなるんだよ……!」
「そうかもしれねェが、おれなりに大切にしたかったんだよい……!」


やることなすこと、すべてが裏目に出るとはこういうことだと思った。そして嘘には聞こえなかった。それならあっさり離れていかないことも、ここまで必死になることにも納得がいく。

「……勝手に誤解して責めてごめん」
「ナマエが謝ることはねェから。うん、絶対的におれが悪い」


「これでもまだ好きにするって言うのかよい」
「……ううん。でも、」


「……嘘はついてもいいけど、バレないようにして」
「そこは嘘つくな、だろ」
「どっちでもいい」


「ナマエがここまで怒るなんてねぃ。妬いてくれてちょっと嬉しくなっちまった」
「お……怒ってないし、妬いてないし、そういうことじゃない……!」


一周まわってなんだかもう可笑しさが込みあげてきた。それと同時に、ちょっと、いとおしくも思えてきたり。

おだやかじゃなくてもいいし、おとなな関係じゃなくてもいい。自然な、私たちらしい付きあいをしていきたい。
いつか「お願いだから私だけを見て。一生離れないで」そんなふうに思えるように。



サキさんへ



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