家族でも血のつながりはない。なくても、家族は家族だ。目の色がちがっても、肌の色、髪の色がちがってもこの船の乗る者たちは家族。
その一員を好きになってしまったら、不道徳ということになるだろうか。

いつから、なんて覚えてない。気がついたら目で追っていた。なにかってときは自分よりもあいつのことが気がかりだし、嬉しいことがあったとき、いちばんに伝えたくなるのがあいつだった。おいしいものを食べたとき、あいつにも食べさせたくなる。きれいな景色を見たとき、並んで一緒に見つめたいと思う。
ただでさえ不毛な恋だというのに、たたみ掛けるようにしてあいつは誰彼かまわず愛想をふりまき、陸地に上がれば真っ先に歓楽街へ向かうような男だった。

「もー……なんで好きになったんだろ」
「なにが?」

独り言だったのに返事がくるから驚いた。でももっと驚いたのは、それがサッチの声だったから。
振り返ると、のんきな笑顔が私に向いている。

「びっ……くりした……!」
「え、そんなに驚くか?」
「いやだって、浮かれて船降りてったじゃん……!」
「へ?買い物に出ただけだぜ。この島はおれが好きな銘柄の酒の産地だから、楽しみにしてたんだ」

え、ああ、そう。
そんなつまらない言葉しか出てこない私に、サッチはとびっきりの笑顔を振りまいてくる。ヒマしてんなら一緒に飲むか、と。

「ナマエは降りねェの?」
「あした降りるよ。サーラと買い物に行って、宿に泊まる予定!」
「サーラ……ああ! あの新入りか」
「そうそう若い子」
「ハキハキしてて感じ良いよなー」
「言っとくけど十代にちょっかい出したら海に沈めるよ」
「おま、さすがに十代には出さねェよ……! ましてや家族なんてもってのほかだっつーの」

最後の一言に心臓がちくりとする。
だよねえ、なんてまたつまらない返事になってしまうじゃないか。

「それよりさ、なーんか最近元気なくねェ?」
「え、私?」
「そう。わたし」
「なんで? 元気だよ」
「ふとしたときになー元気ないように見えんだよなァ。おれの勘違い?」
「勘違いだと思う」

それなら良かったと安堵するサッチと同様、ごまかせて良かったと私も安堵する。
翌日、仕事を片付けているサーラを待つあいだ街なかでひとりお茶をしていると、目の前をマルコが通りがかった。視線に気づいたのかガラス越しに目が合い、時間があるならこっちにおいでよの意味を込めて、手まねきをする。

「ひとりで買い物?」
「そうだよい。インクの書い足し」

マルコはメニューを見ず、水を持ってきた店員にアイスコーヒーをひとつ注文した。

「宿には泊まらないの?」
「仕事が片付けば泊まりたいんだけどねぃ」
「サーラといいマルコといい、みんな働き者だね。たまには息抜きしたほうがいいよ」
「夜は飲みに出てるよい。ここは酒がうまい」
「サッチもそんなこと言ってた」

名前を出すと、いろんなことが浮かんでしまうのは恋特有の症状なのか。

「サッチに言われたんだけどさあ、私元気ないように見える?」
「見える。サッチが好きなんだろい」

コーヒーを噴き出すまでにはならなかったけれど、おもいっきりむせた。
なんで知ってるんだとかなんでこのタイミングでぶっ込むんだとか誰にも言わないでとか、言いたいことや聞きたいことは一瞬であふれかえったけれど、店員がアイスコーヒーを運んできたおかげでひとまずぐっと耐えることができた。
彼女がテーブルから離れていったのを確認して、まずはいちばん重要な質問を。

「さ……参考までに聞くけど、それってバ「バレバレじゃねェから安心しろよい。おれくらいだろう、気付いてんのは」

返す言葉が見つからない。
まあ、知られている相手がマルコなだけマシだ。いちばん話が通じる相手なのだから。

「家族を好きになっただなんて、軽蔑するでしょー……」
「しねェよい。むしろ自然じゃねェか? サッチはよくおまえを構ってたし、おまえもサッチになついてたしねぃ」
「まあ仲は良い……かも」
「さっさとくっついちまえ。見てるともどかしくなるんだよい」
「絶対言えない。それはだけはムリ」

ため息をひとつ吐くと、ガラスの向こうの通りにサッチが歩いているじゃないか。しっかり、ちゃっかり、となりに見知らぬ女性を連れている。

「うわさをすれば」
「あの野郎……」
「言えるわけないの、わかってくれたでしょ」
「あー……ねぃ」

気まずそうなマルコはそのあとサーラと入れ替わるようにして船へ帰っていった。
女ふたりで夜までショッピングを楽しみ、一度宿に戻って着替えてから夕食に行くことになり、準備万端でロビーに出ると。

「よっ」
「サッチ。どうしたの?サッチもここ泊まってるの?」
「いーや。おまえらがここに泊まってるってマルコから聞いてな。飯でもどうかと思ってよ」
「そうなんだ、じゃあ三人で、」
「あ! 私まだ仕事残ってるの忘れてました……!」
「えっ!?」
「ちょっと戻って片付けてくるんで、食事はふたりで行ってきてください!」

ぱーっと去っていく華奢な背中を眺めながら、マルコってばおれくらいしか気付いてないとか言って、うそじゃん!と盛大に心のなかで叫んだ。

「なんだあいつ……」
「……ね。働き者だよほんと」
「まァいっか。適当にそのへんの店入ろうぜ」
「うん、そうしよ」

ほんの少し。このシチュエーションになにかを期待をしてしまった自分を、心底馬鹿だと思う。
酔いがまわって鬱陶しくなってきたサッチの相手をしながら、ひっそり自嘲するんだ。

「ちょっと飲みすぎ! そんなんで帰り道歩けるの?歩けなかったらここに置いてくからね」
「だーいじょうぶだっての! もうおまえと飲んでると楽しくてよォ」
「はいはい分かってるよ」

おもわず苦笑がこぼれる。期待していたことはなくとも「楽しい」がどんな意味であろうと、嬉しかった。

「な、おっまえさあ、やっぱ元気ねェって」
「うるさいな……! 昨日からなんなの……!」
「悩みあんなら話してみろよ」
「ないよ。ほんと、なにもない」

そう完全否定したにも関わらず、サッチは「ある」前提で話を続けた。

「ナマエを悩ませてんのは何なのか、もしくはどこのどいつなんだってずっと考えてたけど」
「だーかーら! なにも、」
「おれだよな」

最後の一言に不意をつかれた。
酔っぱらいの戯言だったはずなのに、そこだけ妙に冷静な口調で。

「はは、ほんと飲みすぎ。言ってること、わけ分かんなくなってきたよ」
「マルコがそれっぽいこと言ってきた」
「………………」
「………………」
「…………あー……も、マルコのやつなんで言うかなぁ」

ごまかしが通用しないなら、観念する他ない。

「……いまの関係壊したくないからさ、気にしないで。伝わっちゃたならもう思い悩んだりもしないだろうし。ほんと、ごめん」
「ナマエ、」
「さ、そろそろ帰ろ! 一日遊んでたから疲れてきちゃった」

宿まで送る、大丈夫だよ、そんなやり取りを何度か繰り返して私が折れるかたちになった。
サッチからなにか言われるのがこわくて、通りすぎるお店のディスプレイがかわいいとか、宿の部屋が少しせまいとか、ひたすらどうでもいい話でバリケードを張る私はとんだ臆病者だ。
戸惑わせてごめん。好きになってごめん。

「サッチは今日は船? それとも宿?」
「船だぜ。今夜はうちの隊が船番だから、夜食でも作ってやるかなーって」
「そっか。あ、じゃあ宿も見えてるしこの辺で大丈夫だよ」

ありがとねーおやすみ。
最後にちらりと顔を見れば、じっとこちらを見据える瞳とぶつかる。

「ナマエ」
「ごめん、今はサッチの話聞く余裕ない。ほんと、その、好きになったことは謝る。ごめん。でもお願いだから、これからも今までどおり……ほら、なにもなかったようにしてほしいっていうか……!」
「できねェってそんなの」

もっとも恐れていた辛辣な返事が届き、今はもうその顔を見ることができない。一刻もはやくこの場から逃げたい。

「……だよね、勝手なことばっかり言ってごめん」

ショックで速まる鼓動を感じながら、踵を返したのに。

「ぶっ……はははは!」

何歩か進んだところで背中の向こうから、この状況に似つかわしくない軽快な笑い声が広がった。
反射的に振り向くと、顔をくしゃっとさせていつものように笑うサッチがいて。酔いすぎてどうかなってしまったのか、と驚かずにはいられない。

「おま、さっきから謝りすぎ!」
「は……」
「なにをそんなにビビってんだ?」
「え、なにって……」
「なにもなかった、なんてできねェっつーの」

サッチの言葉に頭が追いつかない。
なにを言ってるんだ、やっぱり酔ってるのか、いや酔ってるのは私なのか。

「おまえの元気がねェなーって思いはじめたときに、マルコに探り入れたんだよ。あいつの言葉は遠まわしだったけど、あーおれが原因かって気づいちまった。だいぶ前だぞ」
「え、うそ」
「そんで、まァ……単純だってのは分かってんだけどさ、よくよく考えたらおれもおまえと同じ気持ちかなーって」

大逆転の結末を察知して、いっきに気が抜けた。

「ちょっ……なにその曖昧なかんじ! だいたい昼間女の子と一緒に歩いてたじゃん」
「な……あれは道案内してもらってただけだっつの! おまえの気持ち知ってから女遊びはきっぱり辞めたわ」
「女の子ダイスキなあのサッチが……!?」
「女の子は大好きだけどな、いなくても生きていける。でもピンポイントで、ナマエがいないってなると無理」
「……!」
「クッソ……! 慣れないこと言わせんなよ酔いがさめちまった……!」

居心地悪そうに頭を掻いたかと思えば、無防備に両腕を広げて、どことなく情けない笑みを浮かべて。

「まーアレだ。とりあえず、こっからまたちがう関係を築いてくってのも、悪くないと思わねェ?」

こんなときも私は、つまらない返事しかできそうにないから代わりに、笑ってそこにおもいっきり飛び込もう。


おいで、抱きしめてあげるから


むつみさんへ



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