秘書が抜けた穴をただの事務員だった私が埋めるというのはなかなか大変なもので、ましてや状況が状況。一部の街と世界一の造船所本社は壊滅。復興のため早朝に出社し夜まで駆けまわり、帰って倒れるようにして眠る。ひどいときは玄関で意識を手放してしまう。
この状況がアクアラグナと、仲間の裏切りによって招かれたとなればただの繁忙期とはわけがちがった。

「ンマーナマエ。明日は休んだらどうだ?」
「いやいや、こんな状態なのに休めませんよ」
「しかし「忙しいほうが助かります。嫌なこと考えなくて済むから」

仲間の裏切りは恋人の裏切りでもあった。
彼らが潜入捜査としてこの街に来たのが五年前。私とカクが付きあいはじめたのが四年半前。それが情報を得るためだったと思うには十分すぎる現状。いま気を抜いてしまったら怒り、悲しみ、あらゆる負の感情に支配され、それこそ倒れてしまうのではと思っている。
なにより腹立たしいのは、こんなことになっても彼らの生死が気がかりだということ。戦いの場だったエニエスロビーにはバスターコールが発動され、島は全壊したと聞いている。彼らは無事保護されたのか、しかし敗北した諜報部員をあの非情な政府がお咎めなしに許すとは考えにくい。
不要と判断され、命を奪わてしまうのではないか。こんなことを思ってるなんて誰にも言えない。



ある日、資材不足の問題がいよいよ浮き彫りになってきたとアイスバーグさんから伝えられた。想定外の規模のアクアラグナに加え、これまた想定外の本社崩壊となれば当然のことだった。

「ンマーそれでお前にセント・ポプラへ行って木材の発注をしてきてほしいんだが」
「わかりました。明日朝一の海列車で行ってきます」
「気が向いたら一泊してきても構わないぞ」
「この忙しいのになに言ってるんですか」
「ンマー……嫌でもいつかは向き合わなきゃいけねェ時がくる」

諭すように告げたアイスバーグさんに、私はなにも返すことができなかった。



◇◇◇


春の女王の町、と言われるほど美しい街並みが自慢のセント・ポプラ。天気はあいにくの大雨だけれどメインストリートは多くの人で賑わっている。
ちょうどサーカス団かなにかが来ているのか、いくつかの場所で猛獣ショーやキリンのすべり台などの催し物が行われているためだろう。楽しげな笑顔を横目に私は町のはずれにある木材の卸売市場を目指す。
発注が無事終わった頃には、さっきまでの大雨がうそのように空は青く染まっていた。
裏道を探索でもしながら帰ろうと歩いていると、見知った人物がひとりで向こうからやってきた。彼女の趣味とは到底思えないデザインの服はすごく傷んでいて、さっきまでの大雨に打たれたのかびしょ濡れになっている。それでも、おなじく濡れたブロンドのロングヘアは太陽の光できらきらと輝き相変わらず美しかった。

「ナマエ……こんなところで何を、」
「…………カリファこそ何をしてるの」
「……逃亡劇ってところね」

その返事で大体の事情はわかった。他のみんなはと聞けば、ルッチが負傷して入院中とのこと。その治療費を支払ってきた帰りだと言葉少なめに語った元・秘書は、慣れた手つきで煙草に火を点けた。

「煙草、吸うんだ」
「ええ」

あんなに親しかったのに、知らなかったことがたくさんあったのだと思い知らされる。当然なはずなのに胸は痛むばかり。もし私が彼らの本来の姿に気づいたら、こんな事態にはならなかっただろうか。なにかが変わっていただろうか。

「…………ねえナマエ。私思うんだけれど謝罪なんて、なんの意味も無いわ。あなたの気持ちを複雑にさせるだけ」
「……そうだね。ただの自己満足に過ぎないからこれ以上の勝手はやめてほしい」
「でもこれだけ言わせてちょうだい」

“あの島での生活は楽しかった”
そう言いながら困ったように、弱りきったように笑う元・秘書。カリファ。親友。これは私が目にする本当の意味での、彼女のはじめての笑顔かもしれない。そう考えたら、釣られておなじように笑うことしかできなかった。

「私、バカだよね。本当は街を代表してあんたたちを罵って、責めなきゃいけなのに。そんなことできそうにない」
「……大馬鹿者ね」
「カクのことだって……」
「その続きは本人に話した方がいいわ」

私の向こう側を見つめたカリファにならって振り向くと。

「……ナマエ……!?」

私の名を呼ぶその声を、姿を、ずいぶん懐かしく感じる。最後に言葉を交わしてからまだそんなに経っていないはずなのにどうして。ああ、きっと、あの五年を夢のように感じていたからだろう。

「こんなところで何を……」

かつての仲間。そして恋人。彼らは五年間ものあいだ、最初から最後まで、私たちを騙していた。最後は命どころか会社、街、私たちのすべてを奪おうとした。これ以上憎むべき相手はいないというのに、駆け寄ってきた姿を見て私が思ったことは――。

「……生きてて良かった……」
「ナマエ……」

すべてが崩れたあの日からずっと堪えていた涙が、ついに溢れ出してしまった。ずっと悲しくて、寂しくて、心配で。どうして私はなにも気づくことができなかったのだろうと自分を責めてばかりいた。苦しくて苦しくて堪らなかったんだ。



「あの街で生まれ育って、標的からの信頼も厚い。お主と親密になるのは……情報収集に最適だと思った」

落ち着きを取り戻した頃、カクは私との付き合いについて口を開いた。淡々と、でもどこか少しだけ苦しそうに。懐かしむように。

「任務期間が長くなることは分かっておったし、どうせなら楽しみたい気持ちも相まってのう。ただナマエの……嘘がなく飾らずに生きる姿がワシとは正反対で、憧れたと同時に惹かれたんじゃ。一緒にいればいるほど好きになった」

ワシの気持ちに嘘はなかった。これだけは信じてくれとカクは強く懇願したけれど、そんなこと言わなくていい。これ以上私を苦しめないでほしい。いっそ、お前のことなんて好きでもなんでもなかった、と言ってくれたほうがずっといい。そうすれば私は恨みに恨んでカクを嫌いになれる。すぐに忘れられる。そのほうがずっと楽だ。

「カリファはね、一言だって謝らなかった。私の気持ちを複雑にさせるだけだからって。彼女はいま自分ができる最大限の償いはそれだと思ったみたい」
「…………」
「私はそれを理解したし、同感もした。なのにカクは……なんで今そんなことが言えるの?」

睨みつけるように視線を投げた。油断をすればまた涙が溢れてきそうだったから。
そんな刺々しさを気にもせず、カクは私を強く抱き寄せた。

「愛してるからじゃ。今さらなりふり構ってられん」
「…………っ、」
「ナマエ。こんなこと言えた口かって自分でも分かっておる。でもなにも考えず正直に言わせてくれんか」

“一緒に来てくれ”

カクは本気で私を想ってくれていた。四年半のあいだ、そして今も。たぶんずっと頭では分かっていたけれど、彼らが去ったあの日に受けたショックが大きすぎて心が追いつけずにいた。
でももう大丈夫。いまの一言で、心の淀みがすっと溶けていく。

「……私もカクを本気で愛してた。いまも気持ちは変わらないよ」
「ナマエ……」
「ね。ふたつだけ、約束して」

背中にそっと手を伸ばして、久しぶりの体温を感じる。少し痩せたみたいだ。

「二度とウォーターセブンに手を出さないで」

私たち自身はあの日々となにも変わっていない。それなのに、私たちを取り巻く世界は変わってしまった。

「元気に、生きて」

そんな世界で一緒にいることは、もうできない。私にもカクにも捨てられないものがあって、一緒にいるにはどちらかが捨てたくないものを捨てなければいけない。そんなの誰も幸せになれない。愛の力でどうにか、なんて思えるほど純粋な子どもでもない。

「……カクと、みんなと過ごした日はどれも宝物だよ。ありがとう」

そう笑うと、泣きそうな笑顔が私を見下ろしていた。いま思えばその存在に不審な点は多々あったかもしれないけれど、カクが私に向ける笑顔はいつでも本物だった。それがすべてだ。
愛しているけど別々に生きよう。

宝箱に隠しきれないほどの美しい思い出を君はくれたよね


たいちさんへ


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