塔に響きわたる足音。
気配を探るまでもなくそれが誰のもので、何に対してどんな気持ちを持っているのかすぐにわかる。それは私が諜報部員だからではない。あちらがわかりやすすぎるのだ。
そのまま私室のデスクで報告書を書きつづけていると、予想どおりノックもなしに勢いよく扉が開いた。

「おいナマエ!! お前、あの息子と別れたんだって!? 聞いてねェぞ!?」

室内の様子には目もくれず、まっすぐこちらに進みながら怒号を放つ長官。せっかくだから、おととい模様替えをしたことに気づいてほしいのだけれど。

「そりゃ言ってないですし」
「バカかお前!! おれの昇進がかかってたかもしれねェのに何してくれんだっ!」

政府のお偉い役人の息子と付きあっていた私に、なにかを期待していたらしい。まあ、それも予想どおり。
ちなみに彼とは、政府関係者たちのちょっとした集まりで出会ったけれど政略的なものではなく、ごくふつうに惹かれあって付きあいはじめた。

「なんっで勝手に別れちまうんだよチクショウ!!」
「あのね長官。そんなの私の勝手でしょ。べつに昇進に貢献できるようなものはなかったですし」

仮にあったとしても、それが長官に与えられるとはとてもじゃないけれど思えない。とは言わないでおこう。

「黙れっ! どうせお前のことだ、大方面倒にでもなってフッたんだろ。ったく何様のつもりだっつーんだ……! とにかく土下座でも何でもしてヨリ戻せ!! 長官命令だぞ、いいな!?」

何様はどっちだ、とも言わないでおこう。それにしてもこの突き抜けた下衆っぷりには、つくづく感心する。
来たときと同じ音を立てて出ていく長官の背中を見送ることなく、また報告書に視線を戻した。
ほどなくすると、今度は使用人の気配が。当然だけれど彼はきちんとノックをして丁重に挨拶をしてくる。

「執務中申し訳ございません、ルッチ氏がお呼びです」
「あーごめんなさい。いま手が離せないって伝えてもらえますか」
「それが必ずお連れするようにと……」

ボスがボスなら、リーダーもリーダーだ。今に始まったことじゃないとしても、頻繁に手を止められるとストレスが溜まる。




「なに? いま報告書が溜まってて忙しいんだけど」
「おれは退屈でな。息抜きにどうだ、もてなしてやる」
「へー気が利く。この部屋でいちばん上等なの出してね」

図々しい注文も、快く承諾してくれる今日のルッチはどこか機嫌がよさそう。

「ボスが随分とお怒りだったな。塔中に聞こえてたぞ」
「まさか、それを言うために呼んだの?」
「いいや」

グラスを手渡してきたその口元は愉しげに歪んでいるから、まったく説得力がない。

「おれから見ても申し分ない男だったっていうのに、なにが不満だった」

やさしいひとだった。育ちがよく、品行方正。将来有望で端正な外見。誰にでも分け隔てなく接し、人望も厚い。彼のまわりにはいつも人がいて多くの信頼と愛情を受けていたし、彼もまわりの人をよく信頼し愛していた。完璧という言葉はきっと彼のための言葉だろう、と何度か本気で思ったことがある。

「……そんなのじゃないし、べつに話すこともないよ」

でも、彼じゃだめだった。
彼は私に与えるものすべてに、他の誰よりも深い愛を込めてくれていたのに、私の気持ちが一定を超えることはついになかった。

「…………ねえ、なんで嬉しそうにしてるの」
「心外だな。憐れんでいるさ」
「ものすごく笑ってるよ」

目の前にいるこの男と、彼は正反対だったということ。それが不満だったのかもしれない。


「ナマエ、お前が誰かと幸せになるなんておれには微塵も想像がつかない」

そっと私の頬に添えた手は、血が通った人間とは思えないほどつめたかった。
過去も今も、きっと未来も、どんなに誰かを愛し幸せを感じようとも、必ず違和感は訪れる。そのたびに、ルッチの存在をつよく感じる。いつもこの男が邪魔をするんだ。
私のそれが「愛情」なのか、それとも幼いころからの「基準」としているものなのかはきっと永遠にわからない。

「所詮ごっこ遊びだろう。どうせ駄目になるのに、いつまで続けるつもりだ?」
「わかってるから、それ以上なにも言わなくていい」


愛を語るのだけはやめて

嘲笑うように、髪にくちびるを落としてくるこの男は私の奥深くにあるものを見抜き、こうして弄び、目に見えない支配をする。
それは甘美でちょっぴり切ないなんて可愛らしいものでは決してなく、忌々しくて、嫌気がさすほどの支配。




ちゃこちゃんへ


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -