ひとつのベッドで、向かいあって寝そべる老夫婦。そのせまい場所でひっそりと、出会いからこれまでの愛を惜しみなく語り合い、眠るようにしてふたりとも息を引きとった――。
涙で視界がゆがみ、流れはじめたエンドロールはまったく見えない。

「うう……なにこれ名作っ……! これは、泣く……!」
「泣きすぎだろ」
「泣かないほうがおかしいよっ……! こんなの、悲しすぎるけど、でも最高に幸せな結末っていうか、とにかくもう無理……!」
「おいおい……そんな顔で撮られたらどうすんだ」
「私は一般人だから顔は載りません……!」

この世に生まれた瞬間から、伝統芸能の世界で生きるイゾウと付きあいはじめて一年。週刊誌にすっぱ抜かれたのは、付きあって一ヶ月が経ったころ。
この世界きってのモテ男のスキャンダルにざわつくマスコミたちに、イゾウはファックスを通して関係をすんなりと認めた。お行儀の良い文面のなかには、よくある「相手は一般の方なので、あたたかく見守っていただけたらと思います」とお決まりの一文も。そこから、私たちの関係は世間に公となっている。

「どうする? 軽く飲んで帰るか?」
「ううん。久々に会えたし、はやく家でゆっくりしたい」
「家で他の観りゃよかったな」
「えーでもたまには外デートもしたいし」
「どっちだよ」

あきれた声はやさしさに満ちていた。
稽古やトレーニング、取材など多忙な毎日を送っているうえに、今回のように地方公演が続くとなればふたりで過ごせる時間はごく限られる。だから、こうした束の間の時間がとても大切なのだ。

「イゾウさん、こんばんは。長い公演お疲れさまでした。少しだけお時間いいですか?」

その大切な時間に邪魔が入ったのは、駐車場に着いたとき。
現れた中年男性は続けて名乗り、どうやら誰もが知っている有名週刊誌で記者をしているらしい。

「あー遅くまでご苦労さん。話すことはなにもありませんよ」
「話すというか、感想を聞きたいんですけど……これ、来週発売の他社の記事です。もうご覧になられましたか?」

歩きながら半ば強引に差し出してきた紙面には「イゾウ、深夜の高級焼肉店で浮気デート」なんてどうしようもないほど安っぽい見出しが書かれ、大きな写真には見慣れたイゾウの姿。そこにぴったりとくっついて座る、やたら胸の開いた服で谷間を強調した女性が写っていた。彼女の目元は隠れているけれど、あきらかに美女だ。

「イゾウさん、この土地で公演する際にはいつもこの方と夜一緒にいますよね?ナマエさんはご存知でしたか?」

……存じているわけないだろう。心で返事をして実際は無言を貫く。

「くだらないにも程がある。話にならねェよ」
「それはどういうことですか? いわゆる現地妻のような存在だと解釈してもよろしいでしょうか?」
「ナマエ、はやく乗れ」
「あ! 待っ……ナマエさんはどう思われますか!?」
「おいナマエに触るな。とっとと失せろ」

張りつめた空気のなか助手席に乗り込むと、記者は最後のあがきとばかりにフラッシュを浴びせた。顔を隠してくれるとわかってはいても、気分のいいものじゃない。

「怪我してねェか?」
「うん、大丈夫」

ゆるやかに発進する車。それから少しして、流れ星のように駆け抜けていく街灯を窓越しにぼんやり眺めながら、さっきの誌面を思い返す。
イゾウが身を置く世界では、こういったことを芸の肥やしと言って成長の糧としているのだから、喚いたりするようなことじゃない。なにより、イゾウがどんなに私を大切にしてくれているか、どんなに想ってくれているか、私がいちばんよくわかっていることだ。あんな記事は誤解、もしくはでっち上げ。取るに足らないような不安はあるけれど、そんなものは相手が誰であろうとつきものだ。それより私はイゾウを信じている。地方から帰って、まっさきに会いに来てくれるこの状況こそがすべて。




「あーやっぱ家が落ちつく」
「着替え、寝室に置いてあるよー」
「はいよ」

帰ってきたのは私の部屋だけれど、自宅のように思ってくれていて嬉しい。
私も着替えるため、あとを追うようにして寝室に入ると、ベッドにうつぶせで寝そべるイゾウがいて心臓が跳ねる。どうしたの!と声をあげれば、力ない手まねきで呼ばれた。おなじように、となりに寝転がって顔を寄せあう。

「びっくりしたー変な発作でも起きたのかと思った」
「言うまでもねェが、誤解だ」

一瞬、なんのことを言っているのかと思ったけれどすぐに理解した。
あれは先輩方のお馴染みの女性で、彼女がふざけた瞬間を切り取られただけ、ついでに同席していた先輩方も見事に切り取られている。そう簡潔に話すイゾウは、心を痛めた子どものようにしょんぼりとした表情をしていた。

「わかってるよ。大丈夫」
「不安にさせちまったよな。悪かった」

頭をやさしく引き寄せられたかと思ったら、目元に唇がおちてくる。

「……っとに……疲れる…………」

ため息をついて呟いた声は弱々しい。表では毅然とした態度でいても、実際はそういったくだらないことにほとほとうんざりしているのだ。それを私にはどうしてあげることもできない。とてももどかしくて、自分の無力さを改めて思い知らされる。

「明日は一日ゆっくりしようね。さ、お風呂のお湯ためてくるから待ってて」

身体を起こすと、腕を引っぱられた。視線をイゾウに戻せば、さっきまでとは打って変わり表情には力強さがあふれている。今日はなんだか、様子がおかしい。

「どうしたの?」
「……無性に行かせたくねェ」
「すぐ戻るよ」
「そうじゃねェ。一緒にいたい。ケッコン、してくれよ」
「…………は……」
「梨園の妻なんてめんどくせェことだらけで大変だし、ナマエに苦労かけちまうのは承知してる。でも一緒にいたい。初めておまえに会ったとき、」
「待って!」
「……あァ?」
「だめ、だめ。ベッドでそんな、出会いからの愛を語ったら、さっきの映画みたいになりそうでやだ」
「……おまえ何言ってんだ」
「返事は、はい、私でよければ。それ以外にない。だからそこで、」


愛を語るのだけはやめて

突然のことに動揺したときには、取るに足らない不安なんてものは消え去っていた。
そのあと、いつになっても指輪の登場がないことを不思議に思って問い詰めると、口をついて出た本音だからそういうのは今はないと言われた。うそでしょう!と抗議したけれど考えてみれば、逆に嬉しいことなのかもしれない。
心が弾んでいるのは、そのせいか、またはどこのブランドをリクエストしようかな、なんて考えているからか。


まいかさんへ


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