「ここの生活には慣れたか?」

午後の空き時間。人の少なくなった食堂で新聞を読んでいると、コーヒーカップに視界をさえぎられる。
顔をあげて、ありがとうとそれを受け取ると差しだし人のサッチは、何枚かお皿の乗ったトレイとともに脱力した声を出しながらとなりに座った。

「毎日快適だよ。それは遅めの昼食? 早めの夕食?」
「昼メシ!」
「なるほど。四番隊はいちばん忙しそうだよね」
「そうでもねェよ? メシどき以外はわりと……おうマルコ! おまえもこっち来いよ」

サッチの視線を追った先にいたマルコ隊長は、厨房のほうへ足早に向かいながら、こちらを一瞥した。

「いや。遠慮しとくよい」
「おっ、もしかして虫の居どころでも悪ィ?」
「いいや」
「んー、エースあたりがやらかしたか? サッチくんが聞いてやるから、とりあえずこっち来いって〜!」

不愉快きわまりない表情になったと思ったら、即座に方向転換をして私たちの元へ向かってくる。
サッチの強引さが勝ったようだけれど、面倒なことはさっさと済ませたいという想いがよく伝わってきた。

「なんだってんだよい」
「おいおい、ここんとこやたらと不機嫌だよなァ。なんでそんなイラついてんの?」
「苛ついてねェ」
「いーや。イラついてるね」
「まあまあ、サッチ。誰だって疲れてるときとかさ、ほら、あるでしょう。忙しいから大変なんだよ。そんな感じですよね、マルコ隊長」

マルコ隊長は本当に鬱陶しがっているように感じたし、サッチのからかい口調は挑発のように感じた。
なんとなく、これ以上押し問答が続いたらと想像すると嫌な予感しかしなかったため、穏便に済むよう私なりにあいだに入ったつもりだったけれど。
すこしの沈黙のあと、マルコ隊長はなにも言わず踵を返し、出入り口のほうに向かっていく。

「………………よォマルコ」
「まだ何かあんのかよい」
「……てめェがイラついてんのは勝手だけどな。おまえがそんなだと周りの奴が気ィ使うんだよ。鬱陶しいったらねェわ」

私の必死のフォローも失敗に終わり、険悪な雰囲気。マルコ隊長がそれ以上返さず、すぐに出ていったところが唯一の救いだ。

「チッ……感じ悪ィな……。何なんだあれ」

小声でぼやいているけれど、サッチも苛立っている。
なんて声をかけるべきか、いや、たったいまそれで失敗したんだから余計なことは言わないほうが賢明か、なんて悩んでいると私の存在を思い出したのか、はっとこちらを見たサッチは、悪かったな巻き込んで嫌な気分にさせちまったなと眉を下げて笑った。やさしい男だと思う。マルコ隊長を呼び寄せたのだって、新入りの私にコミュニケーションを取らせようとしただけだろうに。

「……あのさ、ちょっと思うことがあるの」
「なんだ?」
「マルコ隊長が不機嫌な理由って、私が原因のような気がするんだよね……」
「んん? どういうことだ?」

半月前のことだった。私の乗船が決まって、初めてマルコ隊長と会って挨拶を交わしたとき。
こちらが喋れば喋るほどマルコ隊長は、眉間のしわを深くさせて相づちひとつ打たずじっとにらみ続けるものだから、ああ、このひとは私が船に乗ることを良く思っていないんだ、と感じた。

「たとえたったひとりにでも、そんなふうに思われてるのに乗船するのって嫌でしょう? だから後日改めて聞いたの」
「おやじに?」
「うん。本当に、私の乗船に反対や否定的な意見はなかったのかって。そしたら、あるわけねェだろって言うから今度はピンポイントで聞いてみたの」
「うんうん」
「一番隊の隊長も本当に賛成していたのか、あなたを前に自分の意見が言えなかっただけじゃなく、本当に、心からの賛成だったかって」
「うん。それで?」
「当たりまえだろ、あいつがおれに無駄な気を遣うなんざありえねェ、って」

私の勘違いだったか、それなら心置きなく乗船できる、と安堵した。そしていざ乗ったはいいけれど、挨拶しても気持ちよく返してくれない、こっちが話しかけてもそっけない、視線だってろくに合わせてくれない、まともな会話なんてもってのほか、そんなことが何度もあった。だから、ああ、一匹狼気質なんだろうな、相手が誰でもきっと同じだろうな、と解釈していたけれど。ある日、それは間違いだと知ってしまった。
マストで見張りをしていたときに見かけたマルコ隊長は、みんなでとても楽しそうに喋ってお腹をかかえながら笑っていた。私のとなりにいたハルタにそれとなく、マルコ隊長は人見知りなのかと聞いてみたら、そんなの見たことも聞いたこともないけど、と即答された。
つまり、私にだけああいった態度をとっていることが判明したのだ。

すべてを打ち明けると、サッチは唖然としていた。

「……あー……悪い。おれ今けっこう混乱してる」
「私がいちばん混乱してるよっ……! あーなんでこんなことに……」
「ちょっとおれ、部屋戻ってゆっくり考えるわ……」
「え、なに。サッチがそうなるほどに深刻ってこと……!? やっぱ私がなにかした……!?」
「んー……まだわかんねェけど、たぶん、大丈夫だと思う」
「なにその曖昧な感じ……!」

いつのまにか綺麗さっぱりになっていたトレイを残したまま、サッチはふらりと食堂を出ていってしまった。
それより、マルコ隊長が私をなぜ嫌うかだ。性別、実力、不信感、ただ気に食わないだけ、それ以外のなにか。まったく見当がつかない。おなじ船に乗る者同士、ましてやこの船では、クルーは家族だ。そこに惹かれたのも乗船を決めた理由のひとつだっていうのに、この状況。私に悪いところがあるなら改善する努力をして、マルコ隊長と仲良くやっていきたい。
そう考えたら止まらなくなり、これはもう本人と直接話をするしかないという結論を出した。
中身を飲み干したカップと、サッチが置き去りにしていったトレイをすばやく厨房に返して食堂を出る。そして、マルコ隊長の部屋の扉をたたく。扉の前で言葉を発しなかったおかげか、あっさりと入室許可がおりた。

「入れよい」

私の姿を見て、少し眉間にしわが寄ったけれど怯んでたまるか。
これまでは、まだ乗船して間もないし私よりもずっと年上だし、なによりあんな態度をとられているのに馴れ馴れしく接するのは……と気が引けて、態度も言葉も遠慮がちだったけれど。もはやそんなもの不要だ。真正面からぶつかってやる。

「単刀直入に聞くけど、私のどこが気に入らないの……!?」

闘志を燃やす私とは正反対に、マルコ隊長の目はみるみるうちに丸くなっていく。
鋭い目つきか、眠そうな目つきしか見たことがなかった。こんな顔もできるのか。

「お願いだから、おしえて。たしかにこの船に乗って日は浅い。でも乗っている以上、私はみんなのことを、マルコ隊長を家族だと思いたいし思ってもらいたい。ただそれだけ……!」

少しの沈黙が終わると、ぽかんとした表情が徐々に切り替わっていく。
どこか居心地が悪そうに、ばつが悪そうに視線を逸らしながら、よく意識していないと聞き逃しそうなほど小さな声で返してきた。

「あー……いや、悪かったよい。そんなつもりはまったく無かった。……無意識だったよい」
「…………む……無意識……、」

ついさっきの出来事もあり、最悪怒鳴られるんじゃないかと思っていたけれどちがった。肩透かしを食らったけれどそれ以上に、マルコ隊長の一言はとてつもない衝撃だった。

「……以後気をつけるよい」

ああ……ハイ……じゃあ失礼しました……
よく覚えていないけれどそんな感じで部屋を出ていったと思う。
無意識。意識せず、避けてる。つまり細胞レベルで嫌っていたなんて、あまりにもショックで立ち直るのに一晩かかったけれど、気をつけるって言ってくれてたしまあ徐々に距離は縮まっていくだろう、と期待していたけれど。
それからもマルコ隊長の態度はさほど変わらず、いよいよ悲しみを通り越しそうなところまできて、ずっとこんな関係のままなのか、もう諦めるしかないのか、とまた頭を悩ませていた。

二度目の決心がついたのは、宴が開かれたある夜のこと。
船内は大騒ぎ。みんなも私もマルコ隊長も、人それぞれ差はあれど、誰もが身も心も開放的になっているそんな状況から、少し力を借りてみた。

「マルコ隊長、ちょっと食堂行ってふたりで飲もう」

有無を言わさず私の片手には酒瓶数本、もう片手でマルコ隊長の腕を引いて、半ば無理やり食堂へ誘導した。騒がしさから少し外れた甲板や船尾でも良かったけれど、あまりにも静かでひと気がないとせっかくお酒でゆるんだマルコ隊長の心を、かたくさせてしまいそう。それを考慮して、酒の肴づくりに勤しむ一部の四番隊たちの気配と行き交う声が、ほどよく伝わってくる食堂を選んだ。

「な……突然なんだよい」
「マルコ隊長とだけ、なんだよね。ゆっくり会話したことがないの」
「……ああ、そういうことか」

酔っているようには見えないけれど、いつもより雰囲気がやわらかい。そう安心したのも束の間、お酒の影響は思わぬところにやってきた。
他愛のないおしゃべりを繰りひろげるのは当然私。マルコ隊長も当然、ただ短い相づちをごくたまに発するだけだし、なにか質問を投げかけても、いまいちはっきりしない答えしか返ってこない。それどころか目だってろくに見ようとせず、これじゃあ最初となにも変わっていないじゃないか、と日々のもどかしさがここにきていっきに膨らんでしまった。
お酒でどこか気が大きくなっていたことも重なり、その想いはついに破裂。そう、私は酔っていた。

「…………ちょっといい加減にしてよ隊長っ!」
「……は、」
「あのとき隊長、悪かった気をつけるって言ってくれたよね。そりゃ細胞レベルで嫌ってたらむずかしいのかもしれないけど、私だって親しくなれるように努力してるんだからそっちだって、もう少し歩み寄ってくれる努力をしてもいいんじゃない!?」

なんで私ばっかりこんな想いをー、家族なんて一生無理だー、こんなことで悩むなんて思ってなかったー、と、本音をぶつけた。いや、愚痴を垂れながした。

「わかった、わかったから! ナマエとりあえず落ち着けよい……!」
「……あ……名前……」
「……なんだ?」
「名前、はじめて呼んでくれた」

真っ黒だった心が、とたんに明るくなるのが自分でわかった。
マルコ隊長はうつむいて額に手をあて、長いため息をついて沈黙する。

「もう一回呼んで」
「いや。他に言いてェことがあるんだよい……」
「……! そうそう、待ってましたそういう歩み寄り! 嬉しい! で、なに?」

じっと見つめると、またうつむいて額に手をあてた。あきれているんだろう。もうこの際、嫌われなけれなんでもいい。

「……あれだ」
「うん」
「その、す…………」
「す?」
「す…………、…………なんだ、よい」
「……ん? ごめん聞こえなかった。なに?」
「っだから!……すっ……!」
「す…………?」
「……そのー…………」
「……………………」
「……………………」
「待って。ふざけてるの?」
「違ェよい! あー……もうあれだ、好きだ」
「うん。……………………え?」



◇◇◇


「あんときおれ、おまえらにツマミ持っていこうとして近くにいたんだよ。そしたら急にマルコが好きだとか言いだすからよォ! マジで笑えた……!!」
「てめェはいつまでもうるせェんだよい」
「その話題、この船にいる人間全員もう100回は聞いたよ」
「ぶっ……! だってマルコおまえ、好きだから冷たい態度になっちまうなんて……キャラじゃねェだろ! くっそ腹いてェ……!」
「5年も前の出来事を思い出してこんなに笑えるなんて、幸せな男だよい」
「笑えねェほうが可笑しいっての……! くくくっ、あーもうだめだ……!」

あの、世にも奇妙な流れからの告白のあとわりとすぐ、私たちは付きあいだした。
それにしても、細胞レベルで嫌われている勘違いってどんなだ。と今になっては思う。

「……待って、いま思い出したっていうか気づいたっていうか、マルコあのとき無意識だったって言ったよね!? でも最終的に好きだとか言って、いったいどのタイミングで私を好きになったの」
「あー無意識だったってのは咄嗟についたウソだよい。ンなことより今そこに気づいたってどういうことだ」
「ん? 待って。ウソってことはつまり……」
「…………ひ、」
「……ひ?」
「ひとめ惚れだった……よい」

額に手をあてる姿を久しぶりに見て、なつかしい気持ちになる。最後の最後で、シンプルかつストレートに攻めてくるところは今も昔も変わっていなくてなんだか私も笑えてきた。
馬鹿にしているんじゃないよ。嬉しくて、笑うの。


口説き文句はシンプルに



バジルさんへ



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