ドレスを脱いだ私も愛して

Courage is like love; it must have hope for nourishment.

―― Napoleon
勇気は愛のようなものである。育てるには、希望が必要だ。



「おれはこのまま別件の打ち合わせだから、先に帰れよい」

とあるオフィスでフィッティングの仕事が終わり、黒塗りナビゲーターのドアを開けながらマルコはそう告げた。寄り道はナシだ、と追加発言がでたので、早くこの場を去るためにふたつ返事でうなずく。
発進した車内は運転席にクザン、後部座席に私のふたりきりだ。

「……ねークザン」
「わがままは聞かねェよ」
「このあいだの店で降ろして!」
「ハイ予想的中。おいおい……もしかしてマジで良い出会いがあったの?」
「そういうのじゃないよ。ただもう一回会いたいなって」
「ふーん。どんな男かあとで教えてくれるなら降ろしてあげるよ。マルコとルッチには内緒ね」

フロントミラーを見ると、そこには丸型サングラスの部分だけがちょうどよく収まっている。それを見て秘密を共有するのだと思ったら、孤独な殺し屋と孤独な少女の名作映画が頭をよぎった。



◇◇◇



相変わらず体の芯に響いてくる重低音。この高揚感は、こういった場所でしか味わえない独特のものだといつも思う。
来てはみたものの、たいしたアテもない。とりあえずバーカウンターに近づいていくと、見覚えのあるアッシュブロンドの後頭部が視界に入り、まだ確信もしていないのに音楽とはまた別のなにかが体の芯に響いてくるような気がした。
その後頭部はカウンター越しに店員と話をしているので、当然こちらにはまったく気づいていない。
距離を詰め、確信して。ぽん、と肩を叩く。

「ん? あっ……先週の!」
「うん! この前はありがとう。あのね、「えっやだ! エマじゃない!?」

振りかえると、同年代くらいの女の子ふたりが「本物!!」と飛びついてきた。

「信じられない! 大好きなの!! 大ファンよ!」
「どうしてあなたがここにいるの!? 嘘でしょう!? あっラストショウもテレビで見たわ最高だった!」
「本当!? ありがとう!」

勢いに釣られて、こちらも感情が昂ぶる。プライベートであろうと応援してくれる人とこうして直接触れあえるのは、素直に嬉しい。

「ねぇエマ、写真いい?!」
「もちろん!」

彼女たちは未だ、こんな場所で会えるなんて夢みたい、今日のスタイリングもあなたを参考にしたのよ!と叫びながら、そばで言葉を失っている彼にスマートフォンを押しつけた。

「なにしてるの早くシャッター押して! エマは忙しいんだから!」
「えっ……ああ、わかった! じゃあ三人とも寄って」
「綺麗に撮ってちょうだいね!」
「…………おーし撮った! 連写で撮っ「エマ本当にありがとう……! ずっと応援するわ。大好きよ」

こちらこそありがとう、とふたりにハグをして別れる。依然フロアでは音楽が鳴っているけれど、どことなく嵐が去ったあとの静けさに似た空気感だけがそこに残った。


「えーっと、ごめんなさい。それでなんだっけ……そう、この前言われたとおり困ったことがあったから探し出したの! 実は、あなたの人の良さそうな笑顔が頭から離れなくって!」

本音半分、冗談半分といったところだけど、おどけた言い方をして笑いを誘ってみたのに彼は無反応というか、またも言葉を失ってぽかんとしていた。

「ちょ……大丈夫?」
「……もしかしてあのエマ? モデルの?」
「あ、知ってるの? このあいだなにも言ってこなかったから、知らないのかと思ってた」
「いや、ああ、なんっか似てるなとは思ったけどよォ、まさか本人が…………ん!? 待て!」
「どうしたの?」
「待て待て待て。え、じゃあなに。おれはこの前、エマの肩を抱いたってことか?」
「そうなるね」
「…………ははっ、ラッキー!」

大きな動揺も見せず、あっけらかんと笑う姿は私にとって新鮮な反応だった。
となりに座ってもいいか、と訊ねようとしたときに電話が震え、表示を確認すると親しみのある名前が出ている。

「イゾウ? ちょっといま忙し……食事? 今から?……あー悪いけど、」
「メシならいいとこ教えるぜ」

一緒に行かねェか?なんて笑顔を向けられたら断れない。でもイゾウには悪いけど、食事に行くなら私は彼とふたりがいい。
目の前の彼にそれを伝えようと、決意する。

「じゃあ教えてもらおうかな! でもね、良かったら……その、ふたり「おっしゃ! 飯食うなら人数多い方が楽しいもんな! あ、場所は、」

え、ちょっと待っ、ええーなんなの……!精一杯の勇気だして誘ったのにっ……!
とは思っても言えず。引きつった笑顔を貼りつけながら、イゾウに待ちあわせ場所を説明するので精一杯だった。


「んじゃおれらはキャブで移動すっか! あっおれはサッチ。よろしくな!」
「エマよ。よろしく!」

まあ……うん。一緒の時間を過ごせることに変わりはないか、と気持ちをシフト。
こうなればイゾウと合流するまでの時間が、第一の勝負だ。ふだんはどんな生活を送っているのか、どんな仕事をしているのか、休日は何曜日なのか、好きなもの、嫌いなもの、聞きたいことはそれこそ街のイエローキャブの数ほどある。こんなことを考えていると、つかまえた車の色がピンクに見えそうだ。
車に乗り込み、サッチが運転手に行き先を告げると車内に突然奇声が響く。

「え……はああっ!? まさかエマ!? マジかよ信じられねェ!」
「あはは。マジだよ」
「うっそだろ! おれの彼女が君の大ファンで、釣られておれもファンになったんだ! エマを乗せるなんて超ラッキーだぜ!! そうだ最後のカタログとCMは最高だった! 終盤で着てるブルーの下着が、」

勝負時間わずか20分は、延々と私の好きなところや良かった仕事を挙げてくれるドレッドヘアの運転手に奪われた。でも途中サッチと目が合い「こいつ少し黙らせるか?」とおどけたジェスチャーをくれたのが可笑しくて。後部座席でひっそりと笑いあったのがなんだか嬉しかったから、良しとしよう。
到着したのはウエストヴィレッジのはずれ、中心部よりずっとのんびりした閑静な街。
交差点の一角で車を降りると、見慣れた黒髪がこちらに向かってくる。

「エマ」
「イゾウ。待った?」
「いや、さっき着いたところ」
「そっか良かった。紹介するね、こちら、」
「おう! 昨日の夜、超能力者のお前を見たぜ。先週見かけたときは冴えないフリーターだったってのに」
「ちなみに今日はスパイの任務をこなしてきた」
「成功したか?」
「どうかな。来年スクリーンで確かめてくれ」

軽快なやりとりに思わず顔がほころぶ。
私のときと同じように取り乱すこともなく、それどころかユーモアで場をなごませてくれる振るまいは、さらに好印象だった。

「サッチだ。よろしく!」
「よろしく、イゾウだ」

そこから店三軒ほど歩いた先、明かりが消えた飲食店の前で立ち止まったサッチは、ちょっと待ってなーと慣れた手つきで鍵をあけて暗闇を進んでいく。なにも知らない私とイゾウは、出入り口に突っ立ったまま頭に疑問符を浮かべていた。
店内がパッと明るくなると、8人掛けのウッド調の長テーブルがひとつ。4人掛けのテーブルがふたつ。厨房に面した奥の小さなカウンターにはみっつの椅子。入り口付近の道路に面した側にもカウンターとふたつの椅子。
そこはこぢんまりとした、典型的なアメリカン・ダイニングだった。特別な華やかさはなくとも、どこか心落ちつく空気につつまれている。

「うまい飯屋つったらココしかねェよ」
「ここは?」
「おやじの店だ。おれは店長兼コック!」
「わ、コックなの!?」
「意外だな」

おどろきを隠せない私たちを横目に、楽しげな表情で厨房に入っていくサッチ。

「なに食いたい? 腹減ってんだろ?」
「店のいちおしは?」
「んー表向きはハンバーガーだのステーキだの定番の物だなー。ま、実際は馴染み客がほとんどだからよ、メニュー関係なしにどいつもこいつも好きなもの頼むんだ」

車内ではなにひとつ聞けなかったけれど、好きなものだけは少しわかった。料理と、このお店。その誇らしげな笑顔を見れば一目瞭然だ。


to be continued.

Afterword


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