ドレスを脱いだ私も愛して

The course of true love never did run smooth.

―― Shakespeare
真の恋の道は、茨の道である。



今日は老舗メゾンから出る、新作フレグランスの広告撮影。
ノリのいいBGMが流れるスタジオ。中央にはカメラ、後ろには確認用のモニタやPC、照明、その他撮影機材が雑然と置かれ、スタジオは多くのスタッフであふれかえっていた。

「おれの可愛いエマ! 半年ぶりだな!」

ソファでスタンバイしている私の元に、カメラを担当する初老の男性が両手を広げてやってきた。業界で知らない者はいない、大御所フォトグラファーだ。

「久しぶり! まさかこのタイミングで一緒に仕事できるなんてねー!」
「ほんとだよ! あっそうだ覚えてる? 初めて僕らが一緒に仕事をしたとき君はエンジェルズに入ったばかりの頃で、」
「あっちょっと! その話はやめ、」
「水着の撮影で肩ひもがほどけて、大慌てになった事件!」
「お、おぼえてるけどそれ以上は言わないで……!」
「ははっ! あのエマが今じゃトップモデルだ! よろしく頼むよ、エンジェルでなくなった君とも仕事ができて光栄だ」

来たときと同じように、はっはっはと豪快に笑いながら去っていった。となりで一緒に待機していた、今日のパートナー兼モデル仲間のローが、ぽつりと口をひらく。

「肩紐がほどけた後どうし「聞かないでっ」

ため息をついてソファに座りなおすと、いたずらな視線に捕まる。そんなふうに見たって言わないからね、となにも言われていないのに念を押した。



◇◇◇


撮影スタートの声がようやくかかった。私とローは羽織っていたローブを脱いで下着姿になり、セットの中央に置かれたキングサイズのベッドに横たわる。
シーツの微妙な乱れ加減や、流れた髪の毛一束の位置、そしてフレグランスボトルが置かれる場所、向き、角度、カメラに映るものすべてに緻密なチェックが入り手直しされていくため、ここから撮るまでがまた長い。
ローとの撮影はこれが2回目だけれど、モデル仲間以前に友人で、よく知った仲。それに職業柄お互いこういったことには慣れている。
こんな恰好で同じベッドに入ろうと、まるでカフェにいるかのようにとりとめのない会話を楽しんでいた。

「ローってさ、ひとめ惚れしたことある?」
「ねェな」
「…………。質問を変えるわ。よく知らない人のことを好きまではいかないけど、気になることがあったらどうする?」
「そいつとは寝たのか?」
「ちょっと! よく知らないのに寝るわけないでしょ!」

セットが崩れるのでおおきく動けない。よって横目でちらりと睨めば、またいたずらな視線が向けられていた。

「人が真剣に聞いてるのに……!」
「そうだな……よく知らない奴か。まずは食事に誘うところからだろ」
「だよね」
「電話一本すれば済む話だ。おまえともあろう女が何をそんなに戸惑うんだ?」
「や、連絡先知らなくて……」
「へェ。おもしれェ」

おもしろいとはなんだ。そう反論しようとすると、今度こそほんとうにスタートの声がかかる。
今回は冷たい表情のダークな画と、おもいきり笑っているポップな画ふたつの種類を撮るらしく、じゃあ最初はダークなほうからとの指示に従い、表情をつくっていく。
シャッターが切られているあいだは真剣そのもの。それが止まり、セットの修正やデータチェックが行われるあいだにはおしゃべりを続けた。

「とあるお店で会って、」
「ああ」
「しつこく誘われてたところを助けてくれて、そのあと“迷惑だったか?”って」
「ありがちだな」
「うるさい」
「ロー! エマー! 撮るぞー」

今がダークな撮影で良かったと心底思う。

「で、お礼言ってそれっきり」
「一般人だろ? エマだって気づかれなかったのか?」
「うん。知らないんじゃないかな」
「理解できねェ。今の時代この国でどうやったらエマを知らずに生きていけるんだ」
「おおげさだよ」

私の腰に絡みついていた刺青だらけの手が、輪郭に移動してきた。
ふと、これがあの彼だったらと考えたら途端に緊張で体がこわばる。いけない。これは仕事なんだから集中しなければ、と必死で邪念を振りはらうけれど、整ったその顔が首筋に埋まったとき、触れた唇が妙に冷たく感じたのは私の体が熱を帯びていたからなのかも。すぐにオーケーの声が掛かって妙に安堵した。

食事、休憩、スタイルチェンジの時間を挟んで、もう一方の撮影がはじまった。
今度は起きあがった体勢で撮りたいらしく、とりあえずベッドの中心にふたりで適当に座って待機。スタッフたちは周囲のインテリアや、小物たちの最終チェックをしている。

「エマ」
「なあに」
「スタート掛かったらおれをその男だと思ってみろよ」
「無理。全然ちがうもの」
「まァそうだよな」
「そうそう。緊張しちゃうから煽らないで」
「じゃあそいつだったらおまえとこんな状況になったとき、なんて言うと思う?」
「えー想像できないよ。それくらい彼のことなにも知らない」

釘を刺したそばから、またくだらないことを言いはじめる。知った仲との撮影はろくなことにならない。

「“エマ”」
甘い声で呼びながら胸元の毛先をそっとすくい取る。
「はは、全然似てない」
「“迷惑だったか?”」
「あははっ! もーほんと、変なこと言わないでよ!」

こちらに伸びている手首を掴んで、まったく似ていない、そしてバカらしい行為にげらげらと笑っているとオーケーの声が。どうやら今のやりとりを撮っていたらしく、フォトグラファーの彼は「まさに自然体で完璧な仕上がりだ!」とかなんとか言って興奮している。
そのあと改めて撮影をスタートするも、一回目の半分にも満たない時間で終了。そのくらい不意打ちで撮ったものが良かったらしい。


「確かにこれが一番良い雰囲気だな」
「ほんと。ローも釣られて笑ってるし」

大口開けて盛大に笑っている私。ローも私までとはいかないけれど笑っていて、とても楽しそうにじゃれあっている。

「ロー、エマ、いいかよく聞け。ベッドの向こう側にスタッフのうしろ姿が映ってるってところがリアルで、お前たちが待機中つまり自然な瞬間だってのが見る側に伝わる。さすがおれの腕だ! はっはっは!」
「ジジイ相変わらずだな……」
「はじまったよ……長い解説」
「官能的な下着姿ととびっきり明るい雰囲気のギャップ! それがまた味を出してこのフレグランスの、」

撮る写真の繊細さや美しさと、あなたのその豪気な性格こそがなによりのギャップだ。私とローはそれぞれ同じことを思っていた。


to be continued.

Afterword


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