ドレスを脱いだ私も愛して

You never know,maybe that's the day she has a date with destiny. And it's best to be as pretty as possible for destiny.

―― Coco Chanel
その日、ひょっとしたら、運命の人と出会えるかもしれないじゃない。その運命のためにも、できるだけかわいくあるべきだわ。



朝からワークアウト、打ち合わせ、フィッティング、撮影、すべて別件の仕事をこなして家路につく車中。心地良い疲れのせいか、まっすぐ帰るのはなんだかもったいない気がして、スマートフォンのアドレスを追う。
毎夜どこかでパーティを楽しんでいる友人は多くいるけれど、大勢で騒ぐほどの気分ではないなと思い、すぐに画面をブラックアウトさせた。


「ルッチ。どっかで一杯飲んで帰りたいな」

となりに訴えれば、タブレットに這わせた指の動きを止めることなく「家で飲め」と辛辣な返事が。

「味気ないからやだ。ルッチ付きあってくれないし」
「おれはオフィスに戻って会議だ」

これ以上話をしても無駄だとわかっているので、今度は運転席に向かって訴える。

「ねークザン、良さそうな店のところで降ろして」

それも無駄だとわかっていたけれど、おとなしく従うのも癪だった。案の定返事は、運転手からではなくとなりから。いまだ指は動きっぱなしだ。

「駄目だ。この時間に囲まれると面倒で仕方ねェ」
「見つからないようにするからー!」

いいじゃん一杯だけ、駄目だ、そんなやり取りを何回か繰り返したときだった。信号に引っかかったわけでもないのに軽快だった車の速度が落ちて、ゆっくり停止。後部座席の私たちはそれを即座に察知。
ルッチは、おい、と強めの声をだし、私は座席に放置していたチェーンバッグを掴んで、ドアノブに手をかける。

「クザン。何のつもりだ」
「その角にクラブがある。ここで待ってるから一杯だけね」
「ありがとうクザン!」

気を利かせてくれたクザンに感謝。すぐさま車を降りて、足早に角を曲がった。


「何を考えてる。奴らはすぐに嗅ぎつけるぞ」
「周りは騒がしいし、中は暗い。一杯なら大丈夫だよ。それに……当たり前のことができないなんて、可哀想じゃないの」



◇◇◇



エントランスを抜けると、体にずっしりと響いてくる重低音。朝まで過ごしたくなってしまうけれど一杯だけの約束だ。
バーカウンターでアルコールをひとつ注文。そのまま片隅でぼんやりフロアを眺めながら、グラスを傾ける。
たとえわずかな時間であろうと、こうして何気ない時間をひとりで過ごすと自分はモデルである前に、いたって普通の人間なんだと実感することができる。みずから望んだ世界、恵まれた状況だとわかっているけれど、あらゆるものに追われる毎日にはどうしたって疲労が溜まる。
日常に溶けこむ真似をすることで、疲れきった心がリセットできるような気がした。


「おい嘘だろ! 君、エマ……!?」

通りすがりの男性が、目を見開いて歩み寄ってきた。
まだリセット中なんだけど……!と心でつっこみを入れつつ、軽くうなずいてひとさし指を唇にあてる。男性も察してくれて、同じように軽くうなずいた。

「あーえっと、いつも応援してるんだけど写真いい……!?」
「もちろん! どうもありがとう」

男性は、インカメラを起動させたスマートフォンを持って腕を伸ばし、私は彼により添い笑顔で収まった。

「ありがとう! 会えてめちゃくちゃ嬉しいよ!」
「こちらこそありがとう!」
「あ、一人なの? 良かったらあっちに友達いるから一緒に飲まない?」
「せっかくだけど外にエージェントを待たせてるの。これ飲んだらもう行かなきゃ」
「じゃあそれ持っておいでよ! 飲み干すまででいいからさ」
「あー本当ごめんなさい、一人で飲みたくて寄っただけで……」
「でもこんな機会二度とないし、」

面倒だなと思いはじめたころ、となりからかっさらうような形で肩を抱かれた。


「さ、そろそろ帰るぞー」

あいだに割って入ってきた男。
薄暗い店内なのでとっさに、様子を見にきたクザンかルッチかと思ったけれど違うみたい。まあこの状況から逃げられるなら、なんでもよかった。
エージェントだと勘違いし、諦めた様子の男性に「ごめん」とアイコンタクトを送って私は見知らぬ男に肩を抱かれたまま、フロアを出る。

「あー……困ってるように見えたから助けたんだけど迷惑だったか?」
「ううん、助かった。どうもありがとう」

視線をあげると、左のこめかみから頬骨にかけての傷跡。妙な顎ひげ。

「良かった。女が困ってたら問答無用で助けろって昔からおやじに言われてんだ。ははっ」

こぼれるような人なつっこい、あたたかい笑顔に目を奪われた。
ほんの少し熱を持ってしまった自分の心を冷ますように、声高らかに笑顔を向ける。

「じゃあお父様にもありがとうと伝えて!」
「おう! んじゃ美女を助ける任務は完了。 あ、おれ結構ここに来るから、また困ったことがあったら探し出してくれな!」
「あはは、わかった」
「じゃ気をつけて帰れよ」
「本当にありがとう。いい夜を!」

手を掲げて去っていく背中を見つめながら「エマ」を知らない人で良かったと安堵する。いや、気を遣ってくれたのかもしれない。どちらにしろ親切な男性に変わりはなかった。


「お待たせ。ちゃんと一杯で戻ったよ」
「楽しめた?」
「すごく!」
「アララずいぶんご機嫌だな。良い出会いでもあったのかねぇ」

楽しげなクザンの声に、内緒!と返事をしているあいだ、ルッチの鋭い視線がずっと突き刺さっている。

「おい。面倒な男には引っかかるなよ。付きあうなら業界人にしておけ」
「どうして?」
「勝手がわかっているから楽だろう。何かと好都合だ」
「ふうん。余計なお世話」
「ジェイは申し分ない相手だったってのに、勿体ないことをしやがって」
「ルッチあなたってほんと嫌な奴」

応戦してシートに背中をあずけた。
それからほどなくして自宅に到着する。カメラマンたちはこんな時間でも待ちかまえていて、呆れよりも感心してしまう。

「エマおかえり。お疲れさま!」
「おかえり! 今日もハードだったね」
「ゆっくり休んで、エマ」
「明日も仕事かい?」

「もちろん仕事だよ。遅くまでありがとう。気をつけて帰ってね!」

おやすみ、と闇夜に浮かぶフラッシュのなか笑顔を浮かべてみせ、中まで荷物を運んでくれたルッチとも挨拶をして別れる。
それにしてもさっき出会った彼は何歳なのだろう。なにをしている人なのだろう。どこに住んでいるのかな。あーお気に入りの服を着ていてよかった!そんなノンキなことを思いながらバスルームに向かった。


to be continued.

Afterword


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