出港してすぐのことだった。
甲板でベポと、島で買ったものを広げて整頓していると視界に入った見慣れた靴。

「何買ったんだ」
「ベポの服ー。見繕ってあげたの」
「アイアイキャプテン!」

可愛いでしょ!と私とベポの声が重なったことに呆れ笑いをこぼしたローは隣にのっそりと腰をおろした。多分暇なんだろう。

「よくそんなサイズ見つけたな」
「大きいサイズ専門のお店があってね、せっかくだから大量買いしちゃった」
「ナマエはおれ好みの見つけるのが上手なんだよ〜」

ベポに向かって短い相槌をうったローが突然こちらに何かを突きつけてきたものだから、反射的にそれを受け取って視線を落とす。
一冊の、子ども向けの本。とても懐かしい物だった。

「どうしたのこれ・・・」
「島で見つけた」

すぐ向こう側ではいくつもの笑い声やお喋り声が流れている。隣ではベポが不思議顔でこちらを眺めているだろう。そんな周囲を気にせずそっとページを捲ると現れた、綺麗な姫たちに遠い昔の思い出がよみがえる。
壊された私たちの故郷、家族、ドジなあの人。そしてこれを手に取ったローの気持ち。一瞬にしてあの日々にトリップしたような、哀しみだったり嬉しさだったり、不思議な感情が入り混じって涙が出そうになる。顔を上げると困ったように淡く笑ったローは唇をひとつ落としてきて、泣いてもいいよと言われた気がした。
でも泣かない。この新世界にネバーランドなんて場所はないしあの妖精も少年もいないから、いつまでも子どものままではいられないんだ。
私は、私たちは、あの日からガラスの靴を脱ぎ捨てて今日まで大人として生き、強くなければいけなかった。
少し切ないけれど今更それを嘆いても仕方ない。涙の代わりに笑顔を見せて、その首に腕を回す。

「ありがと!ロー!」
「痛ェ」
「覚えててくれたんだね」
「お前のことで忘れたことなんてあるか?」
「この前さ、部屋から出て行こうとして私がソファにいるの忘れて、電気消したの誰よ」
「えーなに二人ともずるい!おれも混ぜて!」

状況を把握しきれていないだろうに、そんなのはたいして問題じゃないらしい。大きなもふもふが私たちに思いきり覆いかぶさってくるから、声をあげて笑う。
よくこんな風にママとパパと抱き合った。ドジなあの人も私とローをよく抱きしめてくれた。やさしくてあたたかくて力強い腕に包まれてひどく安心するこの感覚が私は大好きでたまらなかった。
たとえば魔法の絨毯があるとしたら、会いたい人のところまで飛んでいくことができるだろうか。
たとえば魔法のランプがあるとしたら、この世界から哀しみを無くすことができるだろうか。
大人でいなければいけないのに、いくつになってもそんなおとぎ話に願いを重ねてしまう。


「お前ら重い」

文句を言いながらも強く私を抱きとめてくれるこの腕は、あの大切な人たちに代わって悪夢の日から何度私を救ってくれただろう。

「あーっなにやってんだベポ!ずるい!おれも混ぜろ!」
「おっれもー!」

次々に飛びついてくるクルーたち。重なる笑い声。
毒林檎を食べさせられたあの彼女も、七人の小人たちとこんな風に愉快な日々を過ごしたのかな。
ふと気付くとローは輪から上手く抜け出したようで、船の手すりに背中を預けて呆れ顔でこちらを眺めている。
するりと抜けて隣に寄ると、ぽつりと言葉を紡いだ。


「明日の朝おれはこの船を出る」
「そう」
「ナマエ。お前は此処に、」
「今さらそれ言う?」
「あの頃はガキだった」
「同じ経験をした私の気持ちが分からないローじゃないでしょ」

ずれてもいないのに、帽子を少し持ち上げて被り直すその仕草。困っているときのロー癖だ。

「・・・命の保障はない。分かってるのか」
「いいよ。それに安心して。ローがもし死んだら私も死んであげるから」

ジュリエットのように追いかけ、美しい悲劇の結末を一緒に迎えるのか。
それとも眠り姫のようにやさしいキスで目覚めて、幸せな道を歩むのか。
今なら、泡になったこの子の気持ちが分かる気がするなあ。ローからもらった本の一ページを見ながらそんなことを思った。


今夜は静かに抱き締めて

thanks/寡黙