後から聞いたら「別にからかっていたわけではない」と否定していたけれど、そう言いながらも笑ってたから絶対嘘だと思う。 マウスを持つ手を重ねてきたり、さりげなく腰に手を回してきたり、握った手を離さなかったり、ああそう、一緒に電車に乗ったときもすごくドキドキさせられたな、と少し前の出来事を思い出す。 ◇◇◇◇◇◇ 「社長、私そろそろ出ますね」 「ンマー頼んだ。気を付けてな」 「外出か?おれも一緒に出るよい」 打ち合わせが終わり、社長と談笑していたマルコさんは颯爽と立ち上がって後を追ってきた。どこまで行くのかと聞かれたので、最寄から四駅先の場所を告げる。 「今日はタクシーじゃなくて電車で行こうと思って」 「珍しいねぃ。なんでまた急に」 「天気良いし運動がてらって感じです!歩くのはさすがに時間掛かるから電車で。マルコさんもどうですか?あはは」 なんて軽口を叩いたのが自滅への始まりだった。ちょうどその近辺に用事があるらしく、二つ返事で同意してきたことに少しばかり驚きながら最寄りの地下鉄まで歩く。その間話題はほとんど仕事のことだった。 長い長いエスカレーターに何度か乗ってホームが見えてくると、普段と違う雰囲気が漂っていて不信に思う。 「あれ。なんか人多くないですか?」 「遅延でもあったのか?」 電光掲示板のスライド文字を追うと、車両点検により遅延中とのこと。人は多いものの、混雑というほどごった返してもいない。 「マルコさん時間大丈夫ですか?それとも引き返してタクシーにします?」 「おれは大丈夫だよい。ナマエは?」 「うん、私も大丈夫です」 「乗れない程でもなさそうだし、このまま行くか」 「そうですね」 列に並んで数分待つと電車がやってきた。 車内もあまり混雑していないようで、人と人の間には充分な空間がある。乗車口の反対側にある奥のドア、その手前のつり革下にマルコさん、私は奥のドアに背を向ける形でマルコさんと向かい合い会話を続けていた。 先が詰まっているのか速度はゆっくりで、たまに一時停止をしてはまたゆっくりと走り出す、という不安定な運行だけれどお喋りが楽しいので特に不満はない。それに何気なくつり革を掴んだスーツの袖からちらりと見える、マルコさんの手首がまた妙に女心をそそってくるもんだから気分は最高にハッピーだ。もしこれが一人だったら苛ついて堪らないだろうに、私ってば単純。 やっと一つ目の駅に着いて向こう側のドアが開くと、先程とは打って変わって途端に人波が押し寄せてくるから、そういえばここはターミナル駅だったかと気付く。 一歩こちらに迫ってきたマルコさんに合わせて私も一歩後退り、背中に硬いドアの感触。 「人増えたねぃ。大丈夫か?」 「は、い・・・」 いや大丈夫だけど。視界には申し訳程度の距離でマルコさんの首筋とか顎とか唇とかネクタイの結び目とか広がってるから、なんだか心臓に悪い気がする。もちろん良い意味で。 そして混雑によって自然と会話もなくなるから、考えるのは余計なことばかり。 マルコさんに抱き締められるとしたらこんな感じの目線になるのか、いやもっと近いはず、とか。いつも綺麗なスーツ着てるな、とか、いろんな妄想・・・いや想像が脳内を駆け巡る。 「お、やっとまともに走り出したよい」 「ですね」 正直、電車の速度なんてどうでもよくって気になるのは頭上で小さく響いた低音。距離が関係してるのか、ボリュームが関係してるのかは分からないけれど聞き慣れていないその声に、私の鼓動はいっそう速まる。今ならこの電車を抜かせるな、とわけの分からないことを思った。大体なんで今更こんなことで少女みたいに緊張するんだ。 自分のことなのに、自分のことがまったく分からないと内心呆れていると二つ目の駅に到着。さらに押し寄せる人波。これはもう満員電車と言っていい。朝でも終電でもない真昼間にこんな思いをするなんて、選択を間違えてしまった。 マルコさんはまた少しだけ私のほうに寄ってきて、気にかけてくれる。 「大丈夫か?」 「はい・・・!」 「潰れちまいそうだねい」 くすりと小さく笑って、背中のドアに片手をついたマルコさん。私が潰れないように、ほんの少し距離をあけてくれたおかげで苦しさは無い。ただ、ゼロ距離。ある意味胸が苦しい。ていうかこれいつかの流行りの壁ドンじゃん。ちょっとどうしよう!ついに私少女漫画のヒロインになった!と脳内はパニックに陥っていた。 落ち着け私。そう言い聞かせても、スーツから香るふんわりとしたやさしいマルコさんの香りがさらに私を惑わせるから、もうどうしたら良いのか。 とにかく早く目的の駅に着くことだけを祈ろうと腹に決めると、車両が悲鳴のような甲高い音をあげて急停止。 「わっ・・・!」 「・・・っと」 重力で体が傾きそうになるのを咄嗟に支えてくれたのはマルコさんの腕だった。いよいよ本気で抱きしめられている感覚に眩暈がする。 「そんな硬直するなよい」 文字通り、ドキーッ!と脈打つ心臓。頭上でくすくすと笑い声がして、それがまた私の体温を上げる。 何も返事を出来ずにいると背中に添えられていた手に、ほんの少し。本当に少しだけ、力が入ったのが分かった。ゼロ距離だったのがさらに縮まり、完全に抱きとめられている状態。 また小さな笑い声と、触れている体の振動で明らかに面白がられているのが伝わる。こっちはそんな余裕一切ないっていうのに、この人は私を殺す気か。 目的地で降車したときは瀕死状態だった。 「いやァ参った」 「ほんと・・・!あ、そうだ、一応気を付けてたんですけどメイク付いてたりしませんよね!?」 圧力から解放されて我に返り、マルコさんのスーツに飛びつく。 襟元やネクタイを覗きこみ、綺麗なことを確認して胸を撫で下ろした。 「付けてくれて良かったけどねぃ」 「な、なんでですか・・・」 「また色々口実が作れるだろい?」 私ってここまでいじられやすいキャラだっただろうか。 「案外いい思いしたなァ」 「なっ・・・!」 「電車もたまには悪くねェ」 ◇◇◇◇◇◇ 思い出したらまたドキドキしてきた。 「おーっす!はよ!」 「サッチ。おはよー」 「・・・なにニヤけてんだお前」 「え?」 「あーそういえば明後日マルコ帰ってくるもんなー」 「そうだけど・・・私にやけてた?」 「うん」 でもあんな状況、誰だってときめくに決まってるよね。そう思って相手がサッチだったらと想像してみたけれど、別になんとも感じなかった。むしろ次の駅で降りてタクシーに乗り換えてるレベル。 そうなると、私はやっぱりあの頃からマルコさんが好きだったのかと改めて思う。 「サッチ。満員電車で女をからかうのはやめなよ」 「は!?なんで突然痴漢扱いすんだよ!?」 「別に痴漢扱いじゃなくて・・・まあいいや」 「まあよくねェから!おれ泣きそう!」 「あ、エースおはようー!」 明後日、海外出張からいよいよ帰ってくる。 エースのスーツ姿を眺めながら、早くマルコさんの姿も見たいなと会いたい気持ちを募らせた朝だった。 If I can run away, please have. (逃げれるものならどうぞ) |