あれから船尾に向かうにつれて人の気配は薄れていき、手を握られる強さもだんだんと弱まっていくことにふと寂しさを感じたのをよく覚えている。暗く静かな海を眺めながら、なんてことのない会話をしてその間私は妙に緊張していた。 それ以来イゾウさんは頻繁に声を掛けてくれるようになり、私としてはそんなことをされたら気になってしまうわけで。 でも特定の家族に普通とは違う感情を抱くのは、どこか良くないことのような気がした。そうして制止しようとすればするほど加速してしまう単純なこの気持ちを、周りが見逃すはずもなく。 「ナマエちゃんよォ、最近イゾウくんと妙に仲いいんじゃねェの〜」 「へェ。どっちかと言えば他人行儀だったのにねぃ」 馬鹿にしたようにニヤつくサッチとは反対に、マルコの目は少しだけ見開いた。その後すぐに「余計なこと言って邪魔すんじゃねェよい」とサッチに釘を刺して、もうほんと、長男の鏡だ。 「ナマエ」 「あ、イゾウさん」 「だからイゾウでいいっての」 「癖でつい・・・!」 「こんなところで何してたんだ?」 「うん。向こーーうの船尾のほうにハルタ見えるでしょ?マルコのおつかいで行ってきた帰り」 「ああ。成る程ね」 船大きいから大変だよと今さらなことを言うとイゾウさんは、モビーが出来たての頃に起きた船上での珍事を話し始めた。 二人の時間も最近ではすっかり慣れて緊張はほとんどなくなったけど、それとは少し違う、やっぱり何か特別な感情を私は彼に抱いてる。 サッチやマルコや他の皆と二人で話しても感じることのない不思議なそれは、きっと恋心というやつだろう。 「おっ」 「わ、寒い!」 足元がふらつくほどの突風が吹き荒れ、私たちは思わず声を上げた。冬島の海域に入ったぞーと誰かの声が遠くから流れてくるとおり、突き刺さるような冷たい空気。 「中入るか」 「そうだね、入ろう」 さっきまで晴れて暖かかったのに、顔を上げると白い粉がひらりと舞い降りてきた。寒い。おまけに風も強い。 両腕を交差して二の腕に手を滑らせながら、船内を求めて気持ち足早になる。 「掛けてな。風邪引いちまう」 「あ、りがとう・・・」 両肩を包むように掛けられたのは、イゾウさんが普段腰に巻いている衣服。 お礼を言ったものの、キモノというやつはとても高価な代物だとどこかで聞いたことを思い出した。 「あ、でも、」 「イゾウー!悪ィ、ちょっと手貸してくんねーか?!」 私の言葉を遮ったのはエースの声。見ると向こうの方でブンブンと手を振ってる半裸姿が立っていて、見るだけで風邪を引きそうだ。 舌打ちを鳴らしながらも、先に行ってなと気遣いの言葉を残して向こうに駆けていくイゾウさん。 私への優しさ。エースへの優しさ。 思わず笑みがこぼれる。 今起きた一連のやり取りを脳内で繰り返しながらそのまま食堂へ入ると、手前にいた何人かのクルーたちの視線が一斉にこちらに集まるから、私はようやくそこで我に帰ったというか現実に引き戻されたというか。 無理もない。誰が見ても彼の持ち物だと分かるキモノを羽織って、ひとりほほ笑んでいるのだから。 まずいと思ったときにはもう手遅れ。 ほんの少し見回しただけでもマルコとビスタとサッチと目が合った。一番最後のは特に厄介だ。 「お〜いおいおいおい〜!!どした、ん?!満足そうに笑っちゃって!あらら?その羽織ってるやつどっかで見・・・イデェ!!何すんだよビスタてめェ!」 「それ以上ガキくせェこと言うんじゃねェぞ」 「サッチ。さっさと夕飯の準備に掛かれよい」 別に私はツンツンしてるキャラではないけれど。やけに乙女な自分を見せてしまったことがもの凄く気恥ずかしくなってしまった。 思いついたのは振り返ってその場を後にすることだけ。そんなことをしたら余計墓穴を掘る、と考えれば分かるはずなのに。 気付いたときには自室のど真ん中に立ち尽くしていた。 このキモノを返さなきゃいけないし、でも今頃イゾウさんは食堂にいるかもしれないし、あんな姿を見られてしまったところで返却なんて絶対無理だ。かといっていつまでも持っているのも気が引けるし。 「あー何やってんの私・・・!」 馬鹿すぎる自分に呆れて独り言がこぼれた。 ソファに倒れ込み、思わず手にしていたキモノを頭まですっぽり被せる。 「本当なにやってんだ」 「!!な、」 「サッチに何か言われたって?」 「あ、いや、」 「変な誤解されちまったな。すまねェ」 まるで私に迷惑を掛けたような口振りで。それはちょっと、いや、全然違うんだってどうやったら伝わるだろうか。 「ちが、イゾウさんは全然悪くなくて、ただ私が・・・!」 ただ私が?意識しすぎてるだけ、なんて言えばそんなのもう告白も同然だ。じゃあなんて言うのがベスト?ここで間が開けばそれこそ誤解されてしまう。 数々の死線をくぐり抜けてきても、私は人間だ。人間、パニックに陥るとどんな行動をやらかすか分からないということを身をもって実感した。 違う・・・!と叫びながらすっぽりとまた頭までキモノに隠れてた。これこそ何をやってるんだという感じ。 あーもうこのまま消えたい。 いやいや、だめでしょ!と自分の馬鹿みたいな行動に気付いて勢いよく顔を出すと、その整った顔がすぐ傍にあるから。 切れ長の目は射抜くように私を捉えてこれから何が起きるかは何となく予想できた。 戸惑ったのはほんの一瞬で、そこからは迷いなんてものはなく。気がつけば瞼を閉じて唇を重ねていたんだ。 「・・・避けなかったな」 「避け・・・られないよ」 どうしてだい?とイゾウさんは、あの月明かりに照らされたときのように優艶にほほ笑んでいた。 どしてってそんなの、決まってるじゃない。そう心で叫んで、ああきっと言わせたいのかと自分が遊ばれていることに気付く。 わかった。思い通りになってあげる、なんて強気なのは心の中だけだから安心して。 牙を剥いたりはしないよ。 それでは恋を始めましょう thanks/RALME |