退屈な週末の夜にスマートフォンが鳴ると心が弾む。表示されている名前が見知ったものだと、特に。

「はいはーい!」
「出るのはやっ」
「シャチから掛かってくる気がして待ってた」
「嘘つけ!」
「うん。仕事帰り?」
「さらっと認めやがってチクショー!まだ仕事中。今日は終電コースだわ」
「飲みの誘いじゃないなら切るよ」
「待て待て待て!」

声で、表情や動きが手に取るように分かるから思わず笑ってしまう。

「冗談だよ。どうしたの?」
「お前が好きなさ、犬の被り物してる歌手いるじゃん?」
「オオカミだし被り物じゃないから」
「取引先の人にそいつらのライブチケット貰ったから、ナマエにあげよっかなと思って」
「まじで!?ありがとうシャチ愛してる!!」
「おれ興味ねーし、二枚あるから彼氏と行ってこいよ」
「あー・・・おととい別れた」
「はっ?!マジで?」
「うん。あ、心配しないで大丈夫だから」
「ンなこと言ったってお前、」
「チケットありがとね!とりあえずまた連絡するから仕事頑張って」

返事を聞かず電話を切った。
人一倍やさしいシャチのこと。少しでも悲しい素振りをすれば仕事を放り投げてくるだろう、なんて自惚れかな。
思わず口が滑ってしまったけれど、まだ伏せておくべきだったかとテレビリモコンを手にしながら反省する。
おもしろい番組はない。録画してあるものを観るか、早々寝ようかと悩んでいるとまたスマートフォンが震えるから。

「はーい」
「別れたって?」
「数分前なのに話早すぎでしょ」
「理由は」
「ていうかローも仕事中でしょ?今週夜勤だって言ってなかった?心配しなくて大丈夫だって」
「振られたのか?」
「人の話を聞いて・・・!」
「振られたんだな」
「・・・まあ、うん。でも本当大丈夫!そんなに心配してくれるなら、来週飲みに連れてって。ローの奢りで」
「明日」
「え?」
「明日行くぞ」
「明日?ああ、うん、分かった」
「大丈夫なんだな?」
「うん」
「そうか。また昼過ぎに連絡する」
「うん。仕事頑張って」
「ああ」
「あ、待って!ありがとう」
「・・・ああ」

声だけでわかる。
最後の「ああ」でローは小さく笑っていた。
なんだか私とローが別れたときの記憶が甦る。綺麗さっぱりとした円満別れで、周りが呆気に取られていて。あのときのシャチやペンギンや皆の顔には堪らず笑ってしまった。
思い出し笑いをして録画一覧ボタンを押した。なにか恋愛作品を観たい気分だ。





慣れ親しんだ和食店のカウンター。
落ち着いた店内と、豊富なお酒の種類に新鮮な魚介類が私たちのお気に入り。
私が左。ローが右。並ぶとき必ずこの配置になるのは、いつからだったろう。

「で、理由」

乾杯もせずに話し出すんだから、せっかちというか何というか。
お通しすらまだなのに。

「なんか仕事忙しくて、そっちに集中したいって」
「舐めてんのか?こんな女の一人も扱えないで何がテメェの仕事だ」
「それ慰めてんの?貶してんの?」
「胸糞悪ィ」
「いいよいいよ。マンネリだったし潮時だった。すっきりしてる」

私の話を聞いてるんだか聞いてないんだかよく分からない。乾杯もそこそこに、勢いよくジョッキを傾けて半分ほど中身を減らすから、私の代わりに怒ってくれてるような気がしてついつい調子に乗ってしまう。

「私が心配なのは分かるけど、そんなに怒らないで」
「自惚れるな」
「はいはい失礼いたしました」

こんなことがある度に思うけど、昔別れた男と肩を寄せ合い最近別れた男の話をするのは不思議な感覚だ。
ローのときは別れこそ円満だったけれど、付き合っているときは波乱だらけだった。
お互い何もかもが合わなくていっつも言い合い。あの頃はまだ子どもだったし、恋人イコール何もかもの相性が良くなければいけない、とほんの少しのずれがどうしても許せずにいた。
違う人間、ましてや男と女はまったく別の生き物なんだから合わないところがあって当然なのに、それが理解できず。
許せないところを受け入れ、欲を言えばそれすらをも愛する。妥協は必要だ。自分の分身ではない、違う人間。お互いが思いやりを持って歩み寄ろうとすることが大切なんだと、今では当たり前のようにわかるのに。


「なんかローと別れてから誰とも長く続いてない気がする。呪いでもかけた?」
「まずお前は見る目がねェ」

そんなことない。みんな優しくて誠実だったし、素敵な人たちだった。そう言おうものなら、じゃあなんでいまお前は独りなんだと返されるから言わない。


「おれがどんなにいい男だったかそろそろ気付け」
「なにそれ。ていうかローも私と別れてから続かないよね」
「余計なお世話だ」
「ローちゃんもしかして、私が素敵すぎて忘れられないとか?」
「そうだな。まァお前はいつかおれのところに戻ってくるよ。そしてその呼び方はやめろ」

返り討ちにあった。
冗談に冗談で返されただけなのに、冗談じゃなかったら、なんてほんの少しの邪念が私を戸惑わせる。
いつもだったら間違いなく生意気に笑ってるのに、どうしてこんなときに限って真顔なの。そんな顔を見ると、今なら上手くいくかもしれない、なんて小さな光が見えてしまうじゃないか。
もしかして、ローにも見えてるの?


走り出した僕らに
幸せの鐘はふたたび鳴るのか


「・・・シャチからライブチケットもらったんだけど、一緒に行く?」
「犬のやつか」
「オオカミ」


thanks/誰そ彼