「ねえ。なんか私に言うことないの?」
「いきなり何だよい。カマでもかけてんのか?」
「そんな卑怯なことするわけないでしょ・・・!」
「じゃあ何だっての」
「とりあえずこっち見て」

ノートパソコンから離れたその眠たげな瞳が、ようやくこちらに向いた。
普通なら嬉しいはずだけど私の気持ちはこれまでと、これから起こりうることで若干苛立っている。


「なにか気付かない?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「髪切ったのー!なんっで気付かないかな」
「あー言われてみりゃ切ったねぃ」

そうじゃない、そうじゃないんだ。
私が欲しいのはそんな色気のない返事じゃない。百歩譲って気付かなくても良しとしよう。でも切ったと告げたなら嘘でも何でもいいから、可愛いだとか綺麗だとか似合ってるだとか、とにかくお褒めの一言が欲しいんだ。
この件に限らず、最近全面的に私への扱いが雑になっている気がして仕方ない。連絡だって用件だけを伝える事務的な内容のみ。もちろん絵文字どころか句読点すらない。会話だってかなり減ったような気がする。長い付き合いだし、一緒に住んでるし、マルコだって元々口数は多くないタイプだし。今さら浮ついたことを求めるほうが酷なのだろうか。
私のことが憎くてそうしてるわけじゃないのは分かってるけど、なんだか少し、いや、ものすごく寂しい。



「あ、ナマエ髪切った?」
「切ったー!」
「色も少し暗くした?似合ってる」
「ほんとだー前よりそっちの方が好きかも!」
「うんうん!すごくいい感じ」
「ほんと?ありがと!」
「で、今回は彼氏気付いた?」
「気付くわけないよ。我慢できなくて自分から言った・・・!」

湧き起こる笑いの渦。
女だけのオフィスランチで、最早マルコはネタと化していた。
けらけら笑う子、酷いと怒りをあらわにする子、まあそんなもんだよと悟る子、様々な反応であふれ返るなか突然スーツ姿が飛び込んできた。最近よく面倒を見ている後輩君だ。

「お昼にすみません!ナマエさん少しいいですか?」
「どうしたの?」
「例の件、やっぱり第二候補に上がってた案がいいんじゃないかと思って・・・午後改めて時間もらえませんか?」
「分かった。じゃあ二時からどこかの部屋取っておいてくれる?」
「ありがとうございます!食事中すみませんでした。ナマエさん忙しいから、早く声掛けないと他の人に取られちゃうなーって心配になって」
「あはは、そんな忙しくないって」
「またまたー。じゃ部屋取ったら内線しますね、お願いします!」

はいはいよろしくーと後ろ姿を見送って、正面に向き直る。

「ごめんごめん。それでさー、」
「ちょっ・・・ナマエ・・・なに今の子!」
「かっこいいじゃん!後輩?」
「背高いし笑顔可愛いし素直だし!」
「他の人に取られちゃうとか言って、なんなの!?あざとくない!?かっこいいから許すけど!」

先程とは大違いの満場一致感と黄色い声。

「え、待って。なにその食いつきっぷり・・・!」
「食いつくって!あんな子いたの知らなかった」
「あー・・・最近同じ企画チームになって面倒見てる感じだよ」
「いーなー!そのお世話役私が代わりたい!」


まあ、よくよく見てみれば綺麗な顔をしてる。明るくて素直だし、仕事に対しても意欲的だし確かにモテるタイプだろう。
約束の打ち合わせが終わり、広げた資料を片付ける彼の顔を見ながら初めて、そんなことを思った。

「そうそう、ナマエさん髪切りましたよね?」
「え?あ、うん」
「すげーいいっすね!似合ってます」
「ほんと?ありがと!」

なんていい子なんだ。皆が言ってたことが分かった!とこのタイミングで思うのは単純だろうか。でも褒められるとやっぱり気分が良い。それは女と言わず人間としてごく普通の感情だと思う。
小さな幸せをもらったせいか、今夜は普段よりも軽やかな気持ちでキッチンに立つことが出来た。マルコも普段より早めの帰宅で余計に嬉しさも増し、食事が済んだら今日はとっておきのアイスを食べようかなーと心を弾ませる。

「マルコマルコ」
「ん?」
「今日さ、後輩君が髪切りましたよね?似合ってますって褒めてくれたの」
「へェ。今どきのガキにしちゃ世渡り上手だねぃ」
「し、失礼な・・・!」

そんな下心で言ったわけじゃないよ。すごく良い子なんだから!と反論して残り少なかったお味噌汁をいっきに流し込んだ。
せっかくご機嫌だったのに突き落とされた気分。とっておきのアイスは違う日に変更しよう。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


相変わらず大した刺激のない日々に、とんでもない爆弾を落とされたのはその翌週。
社内の会議室で、打合せを終えたあとの雑談中。友人でもマルコでもない後輩の彼に投下されたのだ。

「ははは!面白いっすね!やっぱおれナマエさん好きだなー」
「え?」
「あ!いやすみません・・・!変な意味はなくて、」
「あはは、びっくりしたー」

じゃあデータまとめ終わったら内線して。そう言いながら立ち上がると、目の前の彼も私よりずっと勢いよく立ち上がるもんだから驚いて硬直してしまった。
見ると、さっきまでの笑顔が消えていつになく真剣な顔つきに。もしかして何か不満や納得いかないことでもあったのだろうか。この企画から降りたいなんて言い出したりするのだろうか。
どうしたの、と聞くまでのわずか一瞬でいろんな良からぬことが浮かんだ。


「・・・嘘っす」
「え?」
「変な意味、あります」

なんの話をしているのか理解できなかった。それなのに、鼓動が少しずつ速まっていく。
ナマエさんが好きです。そう言われた瞬間は心臓が止まった気さえした。
恋愛経験は人並みにある。だけどまさかこの状況で、この相手に、こんなことを言われるなんて誰が予想できるか。
あまりにも唐突な出来事に頭の中は真っ白。そうこうしてるうちに颯爽と彼は去ってしまうから余計にわけが分からなくなる。
聞き間違いだろうか。いや、確かに私を好きだと言った。先輩として?人として?女として?話の流れからして、多分女としてだろう。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ベッドで就寝前の読書に勤しむマルコの隣にすべりこむ。このメガネ姿は、私の中でマルコの好きな姿上位にランクインするくらいお気に入りだったりする。
私はいつになっても、何回見ても、こんなにときめくっていうのになぁ。


「マルコー今日さー・・・」
「なんだよい?」
「・・・後輩君に好きだって言われちゃった」

あなたの彼女はあなたが思ってるより魅力的なんだよ。だからあんまり雑に扱わないでね大切にしてねって恩着せがましいことを遠まわしに伝えたかった。可能性はほぼゼロだけど、少しだけでも妬いてくれたら嬉しい。まあそんなことはあり得ない。大して気にもしないだろうし話題のひとつに過ぎない。
冗談つまんねェよい、とか、世渡り上手じゃなくてただの物好きだったかって絶対笑うと思ってたのに。


「そりゃ冗談には聞こえねェな」
「冗談じゃないもん本当だよ」

あれ?予想と違う反応だって思ったときには腕に痛みが走った。
組み敷かれて、見上げた先。レンズの奥の瞳が鋭くなってるから面喰らってしまう。


「本当なのかよい」
「・・・本当」

眼鏡を外しながら舌打ちをひとつ鳴らし、ぶつかってきた唇。私はまぶたを閉じる隙さえない。
マルコが気に入ってたから買った、肌触りの良いナイトウェアから侵入してきた手はいつもより少し強引な気がする。
別にそれ以上掘り下げて何かを聞いてくることはなかったけど、ああ妬いてくれたんだ、と。
まるで私のことなんて何も興味なさそうだったのに、そんなことなかったんだ。

その翌日、定時で会社を出ると向こうから見慣れた姿が見えた。
眠たげな目をしながらも人通りの合間を器用に縫ってこちらに向かってくる。


「ちょ、マルコ?どうしたの?」
「仕事早く終わったから、たまには外で飯でも食おうかと思ってねぃ」
「そうだったんだ・・・!びっくりしたよー連絡してくれれば良かったのに」

人通りが多い時間帯だから下手したら行き違いになっていたかもしれない。偶然だけど会えて良かったと胸を撫で下ろして、そういえばこうして会社まで来てくれるのは久しぶりだと気付いた。付き合いたての頃、まだ一緒に住む前は毎週のように週末になると迎えにきてくれていたけれどここ最近は全然そんなことなかった。
この珍しい行動。昨日与えた刺激は思った以上に効果抜群らしい。
嬉しくて笑っている私の隣で、肉が食べたいとのんきに呟いてるマルコがなんだかとても愛おしく思えた。

「あれ、ナマエさん今帰りですか?お疲れ様でした!」
「!あ、うん。お疲れさま」

後ろから隣に並んできたのは例の後輩だった。あれから初めて顔を合わせるのがこのタイミングだなんて、また上手いことできてる。
立ち去ろうせず同じ歩幅で歩く彼は、ちらりと私の向こう側を見やった。それにマルコも気付いたのだろう。ぼうっとしてるように見えても賢い人だ。確認もなにもせず、唐突に私の隣に向けて口を開いた。なんだかこのあいだから、いろんな人に驚かされてばかりいるような気がする。


「こいつはおれのなんで、他あたってくれると助かるよい。せっかく良く思ってくれてるのに悪いねぃ」

決して嫌味な言い方ではなかった。
でもさすがに相手は若いし、そんな配慮にもきっと気付かないだろう。嬉しい反面、どうやってフォローしようかと頭を悩ませつつ彼を見ると見開かれていた目がぱっと細くなる。
ナマエさんは本当に素敵だから正直羨ましいです、知らなかったとはいえ失礼しました。そう丁寧に答え、爽やかに笑っていた。




「ったく隙見せてんじゃねェよい」
「見せてないよ。ねえ、やきもち妬いたの?」
「妬いてねェ」

タクシーの中。運転手さんに聞かれないように、私は小声で突っついた。

「うっそだー。じゃなかったら昨日の夜はなんであんなことしたの?さっきのセリフは何?」
「あーうるせェうるせェ」
「私のこと、どうでもいいと思ってると思ってたんだけどなぁ」
「なんでそんなこと思うんだよい」
「だって最近可愛いとか褒めてくれなくなったし、色々興味ないって感じだった」
「ンなもん言わなくても分かるだろい」
「じゃあ言わないだけで、思ってはいるの?」
「ああ、毎日思ってるよい。付き合った頃よりもずっとねぃ」

なにそれ言ってくれなきゃ分かんない!思ってるなら言ってよーと文句を言いながらも嬉しさでいっぱいだった。ふいっと顔をそむけたマルコの気恥ずかしそうな表情が、窓に反射して見えたから。

ねえ、あのとっておきのアイスは今夜一緒に食べようか。


何処までも何時までも恋に落ちてい

thanks/誰そ彼