「それにしてもアイスバーグ社長が羨ましいなァ。こんなに綺麗で有能な女性が毎日そばにいるなんて」

最近取り引きを始めることになった会社のお偉いさん。エレベーターまで見送るため一緒に社長室を出ると、唐突にそんな台詞が飛んできた。
正直ちやほやされるのには職務上もう慣れている。もちろんこの肩書きがそうさせているのであって、私個人が特別な魅力を持っているわけではない。こいつにゴマでも擦っておけば少しは点数稼ぎになるかもしれない、という淡い期待の一部だと重々承知している。
しかしお世辞であろうと別に悪い気はしないし、深い意味はないと分かっているからそういう場面ではありがとうございます!(あざーっす!なノリで)こちらもライトにお礼を述べるのがお決まりだ。
今日も例外なく元気に返事をすると、ちょうど曲がり角からマルコさんが出てきた。この後打ち合せが入っているから不思議ではないけれど、あまり良くないタイミング。案の定隣の男は特に気にすることなく会話を続けた。

「どう?今度飲みに行ったりとか」

こちらが戸惑いひとつ見せないのが仇になってか、こうしてさらに踏み込もうとしてくる奴もいるのが面倒だ。もちろん、その対処法も心得ているけれど。

「ぜひぜひ!アイスバーグにも伝えておきますね」
「えっ、ああ、うん。あーじゃあ連絡先とか、」
「名刺お渡ししてますよね?そこに連絡ください」

にっこりほほ笑んで、尚且つ言い切れば大抵黙る。もちろん名刺には会社用の連絡先しか載っていない。それよりこんな会話の最中に恋人とすれ違うなんて面倒なことこの上ない。
エレベーターに乗り込むのを見届けて、扉が閉まると同時にため息を吐いた。まあ華麗にスルーしたし、うわべだけのやり取りだってマルコさんも分かってるだろうし、気にすることじゃないか。
そう気持ちを切り替えて来た道を戻る。

「お疲れぃ」
「おっ、つかれさまです……!びっくりしたー!」

曲がり角に突っ立っていたマルコさんは、どうせだから一緒に行こうかと思って、と私がそばに寄るのを待ってから歩き出した。

「なんか会うの久しぶりって気がします」
「そうだねぃ」

昨日はマルコさんが、おとといは私が、夕食を兼ねた打ち合わせがそれぞれ入っていた。その前はマルコさんが地方出張で不在だったため今週は別々に夜を過ごしていたのだ。

「数日会ってないだけで調子狂うなァ」
「そうですね。だから今夜はおもいっきり甘やかしてくださいねー」
「……あー……許されるなら今すぐそこの会議室に押しこめてェよい」

久々に不意打ちをくらった感覚。
よろめいてしまいそうになるのを堪えながら、どうにか社長室まで持ちこたえた。



◇◇◇◇


仕事が予定より早く終わったので、マルコさんに連絡してオフィスまで向かうことに。到着し電話をすると、もう少し時間が掛かるから入って待ってくれとのこと。
エントランスで出迎えてくれたのは、私と同じか少し上くらいの女性。最近人を増やしたと聞いていたけれど彼女のことだろうか。

「こんにちは。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
「噂には聞いていましたが……とてもお綺麗ですね。同性の私でもマルコさんが羨ましくなっちゃいます」

笑顔でお礼を告げたけれど、心の中では拳を突きあげて小躍りしている。なんって見る目のある女性を採用したんだ!さすがマルコさん!と歓喜。まあ昼間の取引先野郎のようにお世辞だよなと思いつつも、同性から褒められるといっそう嬉しくなってしまうものだ。


「お疲れName、悪いねぃ。十五分で終わらせるからそこ座って待っててくれよい」
「うん、全然大丈夫。気にしないでください」
「失礼いたします。こちらどうぞ」
「わ、ありがとうございます。いただきます」
「どうぞごゆっくり」

笑顔が綺麗な人。
パリッとしたスーツがとてもよく似合い、いかにも出来る女という感じ。

「マルコさん。この書類、この部分間違えていますよ」
「あー悪い、訂正してくれるか」
「はい。過去分を見て直しておきます」
「頼むよい」

そう言ったマルコさんは、さり気なく。ものっすごくさり気なく彼女の背中に手を這わせたのだ。……これはあれだ、昼間の仕返しだろう。
申し訳ないけれど怒りや嫉妬より、子どもかっ!と可笑しくなってしまい、思わず口元を手で覆った。二人になったらツッコむべきか、知らんぷりをするべきか、それとも可愛く嫉妬してみるべきか。


「さ、終わったよい。帰ろう」
「お疲れ様です!帰りましょう」

挨拶をして一緒にオフィスを後にする。
シャツの袖を七分にまくり上げて、ジャケットを小脇に抱えてる姿は私のお気に入り姿のひとつだ。ネクタイも少しゆるくなっていて、なお良し。
駐車場に着いて助手席側に回り込もうとするとマルコさんがついてくるので、珍しいなと思いながら茶化すように間延びした声を出した。

「えードア開けてくれるんですか?」
「たまにはねぃ」

同じようにゆったりした返事が。
スマートに開いた重厚なドア。こちらも負けじと車に背を向け、まずは浅くシートに腰をおろすいわゆるよそ行きの乗り方をしてみせると、ななめ上から影が迫ってきた。
視線をあげるのと唇が重なったのはほぼ同時。
駐車場だし、誰が来るか分からないようなところでのキスは挨拶程度の一瞬で終わると思ったのに結構深い。これに捕まると抵抗する隙もなく、みるみる体の力が抜けていくんだ。


「……やっぱ妬けるよい」
「……っ、え?」
「建て前だって分かっちゃいるんだけどねぃ。おれ以外の男にいい顔されんのは腹立つ」

悲しげな表情でなく、不敵に笑っているのが実にマルコさんらしい。どこか余裕を感じるその雰囲気は本当にそう思っているのかと指摘したくなる。

「だからって仕返しはやめてくださいよー。傷つく」
「ははっ、傷ついてるようには見えねェけどな」
「お互いさまでしょ」

笑いあってまた唇を重ねる。なんてくすぐったい空気だろうか。

これは多分、お互いが感じていることだと思う。
こうして恋人になる前の、それぞれ独りで過ごしていた時間。そこに寂しいとかつまらないとか不満があったわけではなく、好きなことをして充実していたしそれはそれで間違いなく心から楽しんでいたし幸せも感じていた。
でも今は独りの頃とはまた別の幸福感で、不思議と気持ちは満たされる。
顔を見ただけで疲れは吹き飛ぶし、よく聞く、喜びは二倍、悲しみは半分てやつ、まさにあれ。甘くてやさしい気分に浸っていたくて隙あらば会いたくなってしまう。

いい歳した大人が毎日のように会わずにはいられないなんて、自分でもどうかしてるんじゃないかと思うけれど。会いたくなってしまうんだから仕方がないんだ。


to be continued.