週の初め、月曜にはふさわしい雲ひとつない空を助手席の窓から眺める。気分が良いのは晴天のおかげだけではない。

「マルコさん、あの角で降ります」
「あと少しで着くだろ?どうせなら会社まで送ってくよい」
「や、ちょうど出勤時間で人多いから……!」

照れるんですよ恥ずかしいんですよ、と言わなくても伝わってるだろう。マルコさんは特に返事なくクスクスと笑いながら、わかったよいと軽快にハンドルを切った。

「ありがとうございました!」
「気をつけて行けよい。仕事頑張ってな」
「はーい。マルコさんも頑張っ……!」
「これで頑張れる」

不意に唇を奪われて、私の心臓がハザードランプの音をはるかに超えた速さで高鳴る。こんなことをされたら気分が良いどころかふわっふわになって、仕事どころじゃなくなってしまうじゃないか。
去っていく車を見送って(さすがにブレーキランプ五回点滅は無かった)マノロがアスファルトと重なる音をBGMに意識を仕事モードに切り替える。朝のルーティンワークを済ませたら、あの件とあの件を確認して、そのあと社長室に行って、と頭の中でおおよその流れをシミュレーションしてると「そういえば次のマルコさんの来社予定いつだっけ」と軌道が逸れて、最終的にこの週末を改めて思い出す始末。


「ふふふふ……」
「なに笑ってんだよ」
「げ!なんなのいきなり!」
「なんなのって……あ、そっかそっかーなるほどねー。サッチくん気付いちゃった!」

ここ最近よく見る嫌な笑い方。案の定、おめでとー!と背中を加減なく叩くけど結構痛いからやめてほしい。


「どうだった?どうだった?」
「楽しい週末でした。以上」
「バッカそんなん言われなくても分かってんだよ!おれが聞きてェのはそこじゃねェ!」
「…………」
「わかるだろ!?やっぱマルコってすげーの!?」
「その“マルコ”がうちの顧問弁護士だって分かって言ってんでしょうね」

私が訴えたらあんたは社会的に死ぬことになるよ、と含んだ視線を向けると大人しくなった。冗談はさておき、こんなことしたよーとかマルコさんの家すごかったーなどの他愛ない話を、うふふえへへと我ながら時々気持ち悪い笑みを漏らしつつ報告。

「で、週末はずっとマルコさんの家で過ごして今まで一緒だったのー!」
「まじか!」
「日曜、ランチだけ友達と約束してたんだけどさ。わざわざ送り迎えしてくれたんだよ優しいでしょ……!!」
「マメだなーあいつ」
「せっかくだしマルコさんも一緒にって誘ったのに、女同士で積もる話もあるだろうからって!」

マルコさんて本当完璧だよね!と誇らしげに私が威張ったところで違和感が芽生えた。そう、マルコさんは完璧で、そんな完璧な男性が選んだ女が、自分。はっきり言って私に他人よりずば抜けてるものなんて無い。あるとしたら靴への執着心くらいだ。そういえば具体的にどこが好きだとか、何で好きになったとか聞いてないし言われていない。

「も、もしかして何となく付き合ったとか!?」
「なにが!?にやけてたと思ったらなんだよ突然!」

時期的に早すぎるかもしれないけれど、いつまでも浮ついているわけにもいかない。胸の奥でぽつりと浮かびあがったのは漠然とした不安。
そんなときに、少し先の角から経理課に属するあの子の姿が現れたので、サッチに一言告げて小さな背中を追いかける。

「おはよう!」
「あ、Nameさんおはようございます!」
「あのね、ちょっと話したいことが「聞いてください!つい最近彼ができたんです」

驚きのあまり一瞬立ち止まってしまった。そんな私をよそに、友達の紹介で知り合ったんですけどすごく優しくて、と幸せそうな顔の彼女を見て、マルコさんと付き合ってからの唯一の心のつかえがすっと無くなる。


「マルコさんて、Nameさんが好きなんだと思います」
「え?」
「前に帰りが一緒になったことがあるんですけど、Nameさんの話ばっかりするんですよ?そのときのマルコさん、見たこともないくらい優しくて楽しそうな表情してました」
「…………」
「ただでさえNameさんは強敵なのに、こんな顔されたらもう完全に敵わないなーと思って諦めたんです、ふふ」
「あのね、実はそれについて話したくて、」

わざわざ告げる必要は無いかもしれない。でもそのうち真実半分、冗談半分の変な噂として彼女の耳に入るくらいなら、自分の口から真実を告げてしまったほうが変な誤解を生まずに済むと思った。
心境の変化、そしてマルコさんと先日から付き合うことになったことをかい摘まんで話すと彼女は驚きながらも満足そうに笑って、祝福の言葉をくれた。嫌な顔ひとつしない。まっすぐで良い子だと思ったのはこれが二回目だ。




◇◇◇◇◇◇◇◇


週明け早々残業なんてしたくない。誰もがそう思っているせいか、月曜はフロアが静まりかえる時間が普段よりもずっと早い。
空調やサーバーの音をやけに大きく感じながらひとりデスクで画面と向き合っていると、傍らのスマートフォンが鳴りだした。表示されている名前は呆気なくこの残業疲れを吹き飛ばしてくれる。

「もしもーし!」
「お疲れ」
「お疲れさまです!今帰りですか?」
「あァ。もう家着いたか?」
「今日残業なんですよー……!」
「あー・・・悪ィ、もう家だとばっかり思ってたよい」
「いえ。ちょうど集中力なくなってたんで!気をつけて帰ってくださいね」
「分かったよい。あんま遅くなるな。家着いたら電話くれよい」
「はーい。あ、そうだ」
「ん?」
「マルコさんは私のどこが良いと思ってるのか、今度会ったときに教えてください!」

なんだよい突然、とマルコさんは軽快な笑い声をあげたので詳しいことは会ったときに話すから、とにかく気をつけて帰ってくださいねと通話を終える。そこから作業はだいぶ捗り、予想よりも早く片付いた。きっと声を聞いたおかげだ。
エレベーターを降り、まったく人気のないエントランスでマノロと大理石がキスする音を独り占めしながらメッセージアプリを開く。「会社出ました」と可愛い絵文字を添えて恋人に送信するこのくすぐったい感覚は、一体いつ以来だろうか。
スマートフォンをバッグにしまい込みながら、電車は面倒だからタクシーをつかまえてしまおうと決めて屋外へ抜けたとき。


「Name。お疲れ」

少し遠くから聞こえてきた声。
脇道を見ると、車に背中をあずけて立っているスーツ姿のマルコさんがいた。


「あれ!?なんで!?」

この間抜けな声を合図にしたかのように、マルコさんは持っていた煙草を携帯灰皿でもみ消しながら、イタズラが成功した子どものような笑顔を浮かべた。

「心配だから迎えに来たんだよい」
「さっきの電話の後に来たんですか?!」
「あァ。まだ会社出たばっかりだったからねぃ」
「ってことは一時間近く……連絡くれたら切り上げたのに……!」
「いいんだよい。飯でも食って帰ろう」

助手席のドアを開けてくれるのを夢見心地な気分で眺める。今朝ここから降りたばかりだというのに、突然のサプライズとはいえ飛び上がってしまいたくなるこの気持ち。私は自分が思っている以上に、マルコさんが好きで仕方ないらしい。


「……半分本音、半分口実」
「え?」

運転席側のドアが閉まれば、外の世界は遮断された二人だけの空間。


「心配なのも本当だけどねぃ。もう半分はただ会いたかっただけだよい」

ストレートな発言に甘ったるい衝撃が走った。嬉しさだったり気恥ずかしさだったりが入り混じって少し戸惑ってしまうけれど、こんなときは同じように素直な気持ちを返すのが一番良くて。お互いさらに幸せな気持ちになれることを知っている。

「私も、会いたかったです」

朝と同じように唇が重なり、夜の闇に甘えてそれに応える。静かで穏やかなその行為にとろけてしまいそうだ。

「それとどこが好きか教えに来たんだよい」
「え?あ、」
「まずは気配りが上手いところだねぃ。色々ギャップがあるのも好きだよい。うまそうによく食べるところも良いし……それと最近知った、寝起きも可愛いところ。結構好きだよい」
「ちょっ、恥ずかしい……!」
「努力家で前向きで仕事にも一生懸命なところ。それにハイヒール中毒なところ」
「……!あははっ」
「一番好きなのはそうやってよく笑うところだねぃ」

自分で催促しておいてなんだけど、面と向き合ってつらつら並べられると恥ずかしくて死にそうだ。切ないことに、本来私という女はいちいち照れたり恥じらいを見せる、昔読んでいた月刊少女漫画のヒロインのような可愛らしいタイプではない。それがマルコさん相手だといちいちヒロインになってしまうから、それまでもが恥ずかしくて、もう一人の冷静な私はもはや「勝手にやってれば」と呆れ返っている。
……ああ、これがお花畑か。


「これだけでも、好きにならないほうがおかしいだろい?まだまだあるから、続きは帰ったらまた教えてやる」
「帰ったら?」
「今日も泊まってけよい。一緒にいたい」

何度考えても、私に他人より優れているところなんて無かった。それなのに、ゆるやかにアクセルを踏み出したマルコさんは「どこに出しても自慢できる恋人だ」と小さく呟いた。良いところを見つけるばかりか、大きな愛情で包んでくれる。一瞬でも不安になった朝の自分を殴ってやりたい。

完璧なマルコさんが選んだ女にできることは、決して驕らず、だけど自信を持って日々前を向いていくこと。その目に狂いはなかったと強く思ってもらうこと。そして同じように大きな愛を返していきたい。
心からそう思った。


to be continued.