サンジとの充実したランチタイムを終え社内に戻ると、あっというまに会議の時間になった。
参加メンバーは、毎朝の打ち合わせで集まっている馴染みたちと、マルコさん。そのマルコさんが、社長の締めの発言後、席を立とうとする一同を制するのは珍しいことだった。

「最後におれからいいか?……とある件に関して話を聞きたいんだけどねぃ」

このご時世だ。社内でセクハラやパワハラ問題でも起きたのだろうか。

「仕事の合間に元彼とやらに会うことについて、説明がほしいよい。Name」

全員、その唐突な話題に呆気にとられつつ、そして誰もが瞬時に意味をなんとなく理解したのだろう。室内の空気がぴしっと音を立てるようにして凍りついた。マルコさんただひとり、おだやか、かつ真っ黒な笑顔。

「!!ちょっ、なに言って……!?」

名指しされたのだから、私が反応しないわけにはいかない。
それを皮切りに静まり返った空気が一転する。

「あーあーあー!!マルコ!ちがう!!それには事情があって!」
「おいマルコ。事情は知らねェが言い方を考えろ」
「よかったじゃねェかロー。元彼に揺らいでんならテメェにも少しはチャンスがまわってくるかもな」
「ワハハハ!突然なんじゃ思うたら!ここ最近で一番おもしろそうな話題じゃ!詳しくおしえてくれ!」
「……バカバカしい。帰ってからやれ」
「なっ!? Name!お前っ……!!なにハレンチなことしてんだ!!」
「ンマーなにがどうなってんだ」

焦るサッチ、怒るロー、煽るキッド、茶化すカク、呆れるルッチ、照れるパウリー、困惑するアイスバーグ社長、まさにカオス。そんな状況で最後に火を吹いたのはもちろん私。
なんで知ってるの!晒し者にするなんて意地が悪すぎる!仮にも仕事中に言うこと!?仕事ぜんっぜん関係ないプライベートなことなのに!ていうかみんな騒ぎすぎ!
そんなふうに、叫びたいことはたくさんあったけれど。
もういい、どうにでもなれ。

「ちょっといい!?」

自分が、まさか長テーブルを両手のひらでぶっ叩くなんて漫画みたいなことをする日がくるとは。おかげで一瞬にして静かになったけれど。

「そうだよ元彼とランチしてたよふたりきりでね!だいたい自分のこと棚にあげてなに言ってんの昨日の夕方ホテルのロビーで元婚約者とやらの肩抱いて客室エレベーターに乗り込んでったのはどこの誰!?」

ほぼノンブレス。肩で息をしながら続ける。そして、たまたまポケットに入れていたマルコさん宅の鍵の存在を思い出し、それを引っ掴んで床に投げつけた。

「こんなもんいらない!!」

その勢いで、マルコさんにもらって履いていたマノロを乱暴に脱ぎ、おなじように引っ掴んで掲げた。
この靴信者が!?それを投げるのか!?クリスチャンが聖書投げるようなもんだぞ!?と全員おなじことが浮かんだだろう。ルッチでさえ目を丸くしているのが視界の隅に見える。

「「「「「「…………………!!」」」」」
「……っ…………やっぱこれだけはムリっ……!」

まあ靴に罪はないよね。と冷静に戻して足をすべり込ませると、一同胸を撫でおろしたような空気になった。

「とにかく!!二度と職場で馬鹿なまねはしないで!!会議終わり!」

タブレットPCも持ち物すべてを置いて、身ひとつで会議室を飛び出した。自分でもどこに向かっているのかわからず、気づくと後方からマルコさんが私を呼ぶ声が聞こえてきた。ついてこないで!と言い返したいけれど、社員がうようよ歩いている場所でさすがにそんな真似はできない。

「Nameっ……!」
「……場所、変えよう。上の大ホールが空いてる」

腕を掴まれ、観念した。いつまでも逃げ回るわけにはいかないのだから、話すなら早いほうがいい。そう思えるくらいには冷静さを取り戻していた。





「事情はサッチから聞いたよい。悪かった」
「……ちょっとからかいたくなったんでしょ、わかってる。それより私が聞きたいのは別のこと。マルコさんのことを疑ってるわけじゃないのに、すぐ聞けなかった。……これって信じてないってことなのかな」

声が小さくなってしまうのは、自信のなさの表れだろうか。
うつむいた私の顔にそっと手を添えたマルコさんは、まっすぐな視線を向けて「全部説明させてくれるか」と尋ねた。

「弁護士を紹介して欲しいってのは、あいつが旦那と離婚するためだった。冷め切った関係でついに決意したらしくてな」

旦那さんの顔が知れていて、自分もその界隈ではある程度名が知れている、となったら弁護士事務所に出入りしているようなところを見られたくなかったらしい。

「まあそれも口実みたいなモンだったよい」
「……まさか……」
「ああ。やり直して欲しいって迫られた」

まあ……うん、ホテルだもん、そういう気持ちがあったんだろうね。
前にマルコさんは、もうなんの未練もないと言っていた。でも、そうして改めて気持ちを伝えられたのなら、揺らぐものがあるかもしれない。

「それでマルコさんは……」
「おれはNameをどうしようもないくらい愛してる。おれにとっておまえは過去の人間以外のなんでもない。もし、この先おれが独りになったとしてもそれは絶対に変わらないことだ、そうはっきり伝えたよい」

緊張の糸が切れ、こわばっていた心と身体がいっきに楽になる。まるで悪夢から目覚めたようだ。

「……よかった……!」
「おれが弁護しないにしても、クライアントには変わりない。守秘義務がある以上Nameに詳しく話さなかったが……こうなっちまうくらいなら、最初から話しておけばよかったよい。ごめんな」

許しを請うようにぎゅうっと私を腕に閉じ込めたかと思えば、はっと思い出したように離れる。
そうだ、これNameの置き土産。とポケットから取り出した鍵。私がぶん投げたものだ。

「そ……それについてはごめんなさい……!」
「いいよい。あのときは驚いたけど、思い返すと笑える」
「ちょ、笑いごとじゃ……!」
「つぎ怒らせたら命はねェなと思ったよい」

くつくつと喉の奥を鳴らすから、やめてよ、と咎める。

「この鍵、本当はもっと早く渡したかったんだけどねぃ。プレッシャーかけちまうと思って思い留まってたんだよい」

顔をあげると、私を見つめるおだやかな瞳。いちばん好きな表情だ。

「よく聞いてくれよい」
「うん」
「Nameはこれからなんだって出来るし、なんにだってなれる。Nameの人生はNameのものだ。それを、おれの気持ちで縛って不自由な思いをさせちまうことだけは絶対にしたくないと思ってるんだよい」
「うん」
「だからこれを受け取ってほしいけど、なにもプレッシャーに思わなくていい。深い意味はないと思ってくれていいんだよい。わかるな?」

マルコさんは目を細め、口角をあげた。
そういった将来のことに、まだ抵抗を覚える私の気持ちを見透かしての気遣い。
ありがとう、と受け取ると、大胆でみじかいキスが降ってくる。そうして互いに笑顔が咲き、今度はもっと深くておだやかなものを交わす。
深い意味でもいいよ。そう思ったけれど、口にするにはまだ軽率な気がして言えなかった。いつか言えるようになりたい。そしたらマルコさんは笑ってくれるだろうか。



to be continued.