「あ、わりィ。おれ会議入ってるからそろそろ行くわ」 向かいに座っていたパウリーは、じゃあなと言って店を出て行く。 一階のコーヒーショップ、ソファにとなり同士で残された私とカクはそのままおしゃべりを続ける。いや、おしゃべりというよりカクの仕事の愚痴を聞いていると言うべきか。 「それでのう、こんなメールが入ってきたんじゃ」 「どれどれ………なにこれ、ぜんぜん内容把握してないただのアホじゃん」 「じゃろう!?そのあとにもう一通届いたんじゃが…………あれ、どこにいったかのう……」 ふたりでひとつのタブレットを覗きこんでいると、頭上で鈍い音が鳴ると同時に横にあったカクの顔ががくっと下がった。 「いてっ!!なんじゃ突然!」 「近ェよい」 振りかえると、茶封筒を掲げたマルコさんが。 ぶ厚いそれで頭を叩かれたのかと合点がいったと同時にカクを不憫に思う。案の定、私が発するお疲れさまでーすの声に重なって倍返しとばかりにぎゃあぎゃあ文句をぶつけている。 カクうるさい。そう咎めようとするとマルコさんのうしろから、見たことのある女性がひょっこりと姿を現した。前に一度会った、新しい社員の方だ。 「こんにちは、お久しぶりです」 「あれ!?こんにちはー!」 「外出で近くに来たから、挨拶がてら社長に紹介しようと思ってねぃ」 「なるほど!今の時間なら社長室にいると思いますよ」 彼女の手前、ご案内しますねとよそゆき仕様のふるまいで一緒にその場を離れた。 ソファでくつろいでいた社長は快くふたりを迎えてくれる。私が飲み物を用意して戻ると、かしこまった挨拶は済んだようでなごやかな空気につつまれていた。 「それにしてもマルコ……おまえ顔で選んだな」 「そこは大事ですからねぃ」 皆にならって私も笑みをこぼす。 冗談か本心かはわからないけれど、マルコさんの好みかもしれないなら心に留めておこう!なんて楽観的なことを考えていたのも束の間。 社長のとなりに座って談笑に混ざり、マルコさんが帰りを切りだしたとき。 「じゃあそろそろ行くか」と言ってその最後に彼女の名前を付け足したのだ。 下の名前を、呼び捨てで、それはもうなんとも呼び慣れた感じで。 「ンマー忙しい中すまねェな」 「いや、早いうちに紹介したかったんでねぃ」 「どうぞ今後ともよろしくお願いいたします」 三人の会話が急に遠くなる。 この聞いてはいけないようなものを聞いてしまった感じ。しかもこの曇りがかった、もやもやした気持ちをなんて呼ぶのか私は知っている。 嫉妬だ。 これまで恋愛の嫉妬なんて馬鹿らしいものだと思っていた。青春してた学生時代はさておき、大人になってからはたとえ恋人がほかの女と親密そうに接していようが、ふたりきりで食事に出かけようが嫉妬なんてしたこともない。何度自分を薄情な女だと他人事のように思ってきたか。それが今になって、名前を呼び捨てたくらいで気持ちがもやつくなんてどういうことだ。そんなことにいちいち衝撃を受けていたら、きりがないというのに。 「じゃあ私もデスクに戻りますね」 「ンマーお疲れ」 空いたカップを片づけてから社長室を出て、壁一面のおおきな窓に寄る。 正面エントランスがよく見えるこの場所、ちょうど時間的に出てくるかな、なんてマルコさんの姿を求めたけれど見つけたところでとなりにはあの女性がいるんだと気づき、慌ててそこを離れた。今はこれ以上自分の気持ちを刺激したくない。 ああ、なんか私、嫌な女だ。薄情なほうがよっぽどマシな気がする。 まっすぐに伸びた廊下を歩く。おなじみのカツカツ音はどこか元気がないけれど、それより仕事だ仕事、と自分を奮い立たせるしかない。 大きな深呼吸をひとつ。よし、と小さくつぶやいた瞬間、正面の角からなぜかマルコさんが出てきた。 せっかく整えた気持ちがまた乱されるのは、嬉しくもあり悔しくもあった。 「どうしたんですか?忘れ物ですか?」 まだ距離があるため声を張る。気持ち早足で向かってくる彼はなにも答えず、表情もふつう過ぎてまったく読めない。 目の前まで来ると、ぽかんとしつづけるしかない私の頬に片手を添えて不意打ちのキスを贈ってきた。 「さみしそうな顔してたよい」 「………………え、」 また夜な、と笑顔を見せて戻っていくマルコさん。 意味がわからず固まったまま、その姿が角を曲がって消えると心臓が爆発しそうなほど速く動きだした。時間差攻撃、いや衝撃。 「え……………………なに!?」 ちょっとなにやってんの!?なに言ってんの!?ここどこだと思ってんの!?意味わかんない!さみしそうな顔ってなんですかっ!? 脳内は完全にパニックだ。そしてあたりを見て人がいなかったことを確認。 そもそもここは最上階フロア、社長室の他にはムダに大きな会議室がひとつあるだけでそこもほとんど使っていない。人目を気にするような場所じゃないからいいけど……いやいや全然よくない。 「ほんと、なに、いきなり……!」 もしかしてマルコさんは私の嫉妬を感じ取ったのか。フォローのためにわざわざひとりで戻ってキスを贈ってきたのか。 からかっているのか、もしくは無邪気なだけなのか。どちらにしろとんでもない男だ。 「小悪魔にやられる男の気持ち、今ならめちゃくちゃわかるっ……!」 ◇◇◇ 少し遅めの帰宅。帰宅というかマルコさん宅に来たというか、まあいつもの感じ。 早々入浴を済ませて、進めたい仕事があったためソファの下に座ってローテーブルでPCをひろげた。 マルコさんは取引先との食事が入っていて遅くなるらしい。それなら私は自分の家に帰るよと提案しても、来てほしいと言って不満がるのだ。もちろん嬉しいけれど、玄関のカギを開ける音がしても今日は出迎えない。昼間の行為に対してのささやかな仕返しだ。 リビングの扉が空いた瞬間にその場から抗議の声をぶつける。 「あ。起きてたのか」 「ちょっとマルコさん!昼間のなんですかあれ……!」 「んー?」 「会社であんなっ……誰かに見られたらどうするの!?」 「どうするもなにも、誰もいねェだろい」 ものっすごくノンキな笑顔を見せるから湧きあがった感情の行き場がなくなって、おさまってしまう。 「ていうか、さみしそうな顔って……私そんなにわかりやすかったですか」 「いや、わかりにくい」 「じゃあなんで?」 「わかりにくいけど、気づいちまった」 ネクタイをゆるめながらまたノンキな笑顔。 私を両足のあいだに入れてソファに座ったマルコさんは、はっとして身を乗りだしてくる。 「あっ、思い出したよい。カクとの距離が近ェ」 「カク!?ああ、いやあれはただ愚痴を聞いてただけで……!」 そういえば、マルコさんからああいう類の話を聞くことってあまりないような気がする。とずれたところに思考がいってしまった。 「ねえマルコさんて、私に仕事の愚痴とか全然話してこないですよね」 「愚痴?」 「こんなことがあってむかついたーとか、変な顧客がいてーとか。そういうこと、あんまり無いんですか?それとも仕事の話はしたくないとか?」 ああーと考えるような声を出しながら、私の濡れた髪をタオルでわしゃわしゃと拭きだした。力加減がわからないのかやさしすぎるその感触に、このまままぶたを閉じてしまいたくなる。 「あるよい。そのときは、Nameに会ったら愚痴って話聞いてもらうかって思うんだけどねぃ」 「思うんだ」 「でも帰って顔見ると、その日の嫌なこととか全部ふっ飛んでどうでもよくなっちまうんだよい」 やさしい手のひら、首筋に落ちてくるやわらかい唇、あたたい声。 こんなにも私を想ってくれているんだから、嫉妬なんてしてもやっぱり馬鹿らしいだけだ。 ついでに私を想って少しでいいからその小悪魔力をわけてほしい。 to be continued. |