非常事態、ビールがない。
昨夜あれほど買い忘れないようにと思っていたのに、すっかり忘れて帰宅してしまった。
風呂上がりの最初の一杯はぜったいにビールだと決めているから、ストックがある他のお酒でごまかしたりはしたくない。ローに「帰り買ってきて」と頼むことも浮かんだけれど、何時になるか。それなら、10分もあれば行って帰ってくることが可能な近所のコンビニに、自分で行ったほうがはやい。
すばやく髪を乾かして、適当な服に着替え財布片手にエレベーターに乗り込む。

エントランスに着くと、自動ドアの向こうに立っているローと、見知らぬ女性が目に入った。
とっさに浮かんだ案はふたつ。見ず知らずの住人としてなに食わぬ顔で通過するか、ふたりがあの場から去るまで隠れているか。
悩む前に、なにかの念が届いてしまったのかふいにローがこちらに気づいた。気づくなり、ふだんと変わらない雰囲気、表情で、ひとさし指をくいっと手前に動かし、私を呼ぶジェスチャー。
ああ、きっと同居人として紹介されるのだろう。
ノーメイクしかも適当すぎる格好がものすごく気まずいけれど、こうなった以上今から逃げ出すわけにもいかない。
印象よく見せるため明るくやわらかい、よそ行きの表情をつくりながら、こんばんはーと自動ドアを抜けると。女性はあきらかに不機嫌なオーラを出していて、こっちが挨拶をしたにも関わらず一言も発しない。
おいなんだこれ予想とちがうぞ、と内心焦りがでてきたとき、ローが女性に向けて口を開いた。

「今話した、付きあってる女。こいつだ」

ハァなに言ってんの!?そう心で叫ぶのと同時に、察知した。
この状況、空気、男女の揉めごと以外のなんでもないだろう。
めんどうなことになった……と、がく然としていると女性の視線がじろりと私に向く。
デパ地下のビューティ・アドバイザーのようにきっちりしっかり施したメイク。ゆるい癖のついた、胸元まである黒髪にセンターパートの前髪は、かき上げる姿がたやすく想像できる。
すごく美人だけどきつそうな人だな、と印象を受けたとおり、女性は私のことを視線で、上から下まで舐めまわしたのち、ふっと笑って足早に去っていった。

「…………」
「…………」
「いや待ってよ。いま鼻で笑われたよね」
「くっ…………」
「なんであんたも笑ってんの!? ていうか私を巻き込まないでよ何してくれてんの!?」
「ちょうどいいところに出てきたから、おもしれェと思って」
「バカか! なにがおもしろいの! 利用されたあげく品定めされて鼻で笑われるってどういうことよ完全にもらい事故じゃん……! だいたい、なんでこんな姿のときなんだよもおおおお!」

マジで最悪、信じられない、ビール買ってこい、と猛抗議をすると、ちょっとは悪いと思ったのか、わかったよと言って去っていったためひとりまた部屋に戻る。
なにしてんだ私。これじゃ笑われるためだけに家から出てきたようなもんだ。



「悪かったな。これで機嫌直せよ」
「直るか。なんの罪もない私を傷つけた罪は重い」

口ではそう言っても、怒りはおさまっていたためもう良かった。
いつものように、ソファでテレビを観ながら飲んでいるうちに入浴を済ませたローがきて、同じように飲みだす。

「聞かねェのか」
「なにを」
「さっきの女のこと」
「干渉しない約束だしそもそも興味ないし大体の予想はついてるからどーでもいい。なかったことにしてあげるんだから下手に思いださせないで」
「出来た女だな」
「出来ない男と同居してると嫌でも出来る女になちゃうみたい」

はっ、と高笑いをする私と同じように、ローもみじかく笑った。あきらかに小馬鹿にしたそれだったけれど、不思議とどこか楽しい。



◇◇◇


あれから一週間もしないうちに、仕事から帰るとマンション前に例の女性が突っ立っていた。
あの場かぎりだとのんきに考えていたけれど、そうでもないらしい。思った以上にめんどくさいことになりそうだ。

「あら」
「……どーもー……」
「見違えた。けっこう化けるのね」
「はは、仕事帰りなので」

余計なお世話だ!でもありがとう!!
内心そう叫んでエントランスに入ろうとすると、案の定続けて言葉が飛んでくる。足を止めないわけにもいかない。

「私たちのこと、聞いた?」
「あー……いえ。特に興味ないので」
「あははっ、そっかそっか」

けらけらと笑った女性はやっぱり綺麗だった。
失礼ながら、このまえは悪女オーラ全開だったけれど、思ったことをはっきり言うだけでそこまで悪い人ではないのかもしれない。まあ人間誰でも良いところと悪いところがあるしな、と思う。

「あいつさ、無愛想で仕事しかできない退屈な男だけど見た目いいし、身体の相性もいいし惜しくなっちゃってね」

耳を疑った。前言撤回、悪い女だ。

「本当は返してほしいけど、まあいいわ。たまに貸してね」

す、すごい。すごいぞ。
こんなことを言っちゃう女が、現実に存在するんだと驚きを通り越して感心する。

「ねえ、おねーさん知ってます? あいつ見た目はあんなだけど、漫画だって読むし料理はプロ級だし、それに自分が魔法使いだったら、寮はグリフィンドールだと思ってるんですよ……!? いやどう見てもスリザリンでしょ!?」
「え……待っ、スリ……?」
「あ、このあいだ大笑いしのが、あいつ心霊番組でめちゃくちゃ怖がるんですよ。もう退屈どころかおもしろすぎて!」

“こういうときは誰もいないか、不気味な奴が映ってるって相場は決まってんだ”
あのときの切羽詰まった様子を思いだすと、笑ってしまう。

「仕事もできて、見た目も中身もすごく魅力的な奴です。基本は無愛想だけど、可愛い顔で笑いますしね。まあ欠点があるとすれば……一度でもおねーさんみたいな女に引っかかったことかな。そんなところもおもしろいし、私的にはからかうネタが増えていいんですけど。それに……」

ローは物じゃない。返すだの貸すだのCDみたいに言うなっ。
捨て台詞を吐いて踵をかえし、内心「キマッた」と自惚れていると、背中の向こう側で聞きなれた声が流れた。

「おまえと違って出来た女だろ。わかったら二度とおれの前に現れるな」

エレベーターを待っている私の元に近づいてくる、革靴の音。そこに彼女の罵声が重なっている。
階数パネルの光りを目で追いながら、あーあー怒らせた、なんて思っていると、頭に大きな手が降りてきた。

「良いものが見れた」
「あんた見る目なさすぎ」
「若気の至りってやつだよ」
「まあ美人だし仕方ないね」

あのとき。自分が鼻で笑われたとき、相当頭にきたし言い返そうと思えばできた。でも別にどうでも良かったからなにもしなかった。
いま、ローを悪く言われたとき。無視してエントランスに入るとこもできた。でもどうしても言い返してやりたかった。
恋心とかそんなもんは微塵もないけれど、いつのまにかこの男はただの同居人じゃなく、大切な同居人になっていたことに気づいた。


「にしても今どきCDはどうかと思うけどな」
「庇ってやったんだからお礼くらい言えば」
「ありがとなName」
「いいよ」


to be continued.
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