ortr | ナノ

13

 生き別れの兄弟姉妹は無条件に惹かれ合う――そんなことを綴っていたのは一体どの本だっただろうか。頭の片隅に残っているワンフレーズを手繰ろうと、タクヤは首をひねっていた。少し開いた窓から滑り込むそよ風は心地よく、これからのことで鬱屈した気持ちを晴らしてくれる、気がする。
 窓の外へ目を向けてみる。風に流されるハネッコたちがちょうど同じ高さまで飛んできていて、あの桃色にハルミが脳裏を過ぎった。ぐる、と胃の底がうねったような気はしたが、それでも少し前よりはマシなほうだ。これならまあ、大丈夫だろうか。小さく細い息を吐き、室内へと視線を戻す。真っ白な部屋に真っ白なベッド、その上に置かれた荷物たち。ほんの半月前の出来事を思い返して、再びタクヤは息を吐いた。
 途端、コンコンとやはり控えめにはほど遠いノックの音が響く。入れよ、とぶっきらぼうに返事をすれば、訪問者は笑いながら部屋のなかへ入ってきた。いつも一緒のルクシオは、場所が場所ゆえボールに収められている。
「おまえなあ、オレじゃなかったらどうすんだよ」
「それくらいわかる。トオルはノックの音がうるさい、病院なんだから静かにしろ」
「なにを――、っと。はは、そんだけ元気があるなら大丈夫かあ」
 声を抑えて笑うトオルが病室の中をぐるり見渡す。片づけは済んでんだな、オッケ、そんなことを言いながらベッドの荷物を手にとった。自分で持てると言ったタクヤを静止するトオルは、ひどく穏やかに笑いながら早めに退院できてよかったと付け加える。
「まさかオレが迎えに来ることになるとは思わなかったなー。義父さんか義母さんにでも頼むかと思ってた」
「……忙しいだろ、2人も」
「オレは暇だって言いたいんか〜? 当たってっけどさ。でもま、おまえの退院ってなったら全部後まわしにして駆けつけてくれたと思うぜ、メイドさんたちもみーんな心配してたしさ」
 今日は、タクヤの退院日だった。
 先日の一件で見事に体調をくずしたタクヤは、心身の問題もあってか他人を――否、ツルバミに関わる人間、特に女を受けつけなくなっていた。父の不倫と義弟の問題、不貞の気配は思春期の少年には重すぎる。使用人に近づかれれば吐き、苦しみ、うなされて、結局なにも食べられなくなった頃、とうとう入院するハメとなったのだ。看護師にもあまりいい反応は示さなかったが、それでもあの家にいるよりは何倍もいい。個室でゆっくり心身を休め、なんとか満足に食べられるようになったのがつい3日前のことだ。経過もそこそこ順調だったし、女というもの、正しくはそこにチラつく父親の影が少しずつ薄らいでいた今日、晴れて退院に相成った。迎えにトオルを指名したのは、あの家で一番気を許せるのが彼であるという理由からだ。
 無人になる病室を出て、3階の病棟から1階へ向かう。手続きは先に専属の執事が済ませてくれていたようで、さすがにトオル1人では無理だよな、と今更になって自嘲した。彼はタクヤの心中を察したように微笑んでいて、トオルから荷物だけ受け取って2人のことを促した。彼が何を考えているかはよくわからないが、おそらくここひと月で急激に仲良くなった2人を、微笑ましく見守ってくれているのだろうと思う。
 結局、トオルが腹違いであるという事実は誰にも話せないままだ。見舞いにくる使用人たちが訝しげにタクヤを見ても、両親が訪ねてきたとしても、タクヤは口を割らなかった。どうして体を壊したのか、心を病んでしまったのか、他人を拒絶するようになったのか――あれから一度も会ってないバチュルにだって話していない。そのときが来るまで胸に秘めておこうと決めたのは、それもトオルを思ったゆえだった。
 執事の厚意を無下にせぬよう、タクヤとトオルは病院を出る。すべて押しつけた詫びを考えておかないといけないな、そう思いながらすぐそこでポケシーを捕まえた。病み上がりゆえあまり速度の出る子は好ましくない、その点から選ばれたのはトロピウスだ。大きな葉の翼を羽ばたかせ、2人を乗せたトロピウスがゆっくりとディラリアの空を飛んでゆく。遠くに広がるクレレット海を眺めながら、トオルは感慨深そうにつぶやいた。
「まっさかおまえとポケシーの相乗りするなんてなあ。ちょっと前のオレなら思っても見なかったと思うぜ」
「それはこっちのセリフだな。あの頃はどうなるかと思ったけど――今はその、なかなか悪いものでもない」
「なんだよそれ! ……ったくよー、おまえほんと、なんでそんなオレに突っかかってくるわけ」
 ――どくん。胸の奥がざわついた。それはいつだったか、そう、無遠慮にトオルのなかへ踏み入ろうとして、拒絶されたときの言葉だ。
 なんでそんなに突っかかるのか――言葉に詰まったあのときよりは、この心中もトオルの語り口も穏やかだけれど、それでも答えはあるようでない。タクヤはゆっくりと目を閉じて、おのれの心を手繰ってゆく。
 生き別れの兄弟姉妹は無条件に惹かれ合う。その言葉が頭から離れないのは、きっと自分がトオルに惹かれているからなのだと思う。不安定なところも、不器用なところも、それらを笑顔で隠すところも、おそらく自分は好いている。年齢不相応に背負うこととなった彼の重荷をいつか自分が手伝えたら、それをトオルが許してくれる日が来たら、それは何より幸せだ。
 トオルのことを支えたい、トオルのことを助けたい、未知から踏み込んだ彼の柔らかくて脆いところを守ってやりたいと思う。タクヤの好意は家族愛も友愛も兄弟愛も秘めていて、それらは慈愛から成っている。
 生き別れの兄弟姉妹は無条件に惹かれ合う――自分にそれが当てはまるのかと言われたらタクヤはあまり頷けない。生き別れだから何なのだ? 短くない入院生活のなか、自分がトオルに抱く感情は血のつながりなんてものを超越したところにあるのではないか、というところに行き着いた。ミゾレのことは関係ない。ツルバミのことも知ったこっちゃない。未だにミゾレの面影を見るし、ツルバミの手垢を感じて気持ちの悪いところはある、正直に言うなら使用人たちと真っ向から向きあえるのかと訊かれたらまだ頷きかねるし、あまり自信はなかったりする。
 それでもトオルは違うのだ。たとえトオルがミゾレの子でなくとも、他の人間の子供でも、ツルバミの血が入ってなくとも、赤の他人であったとしても、自分はトオルを求めたと思う。カバタという土地柄ゆえ同性愛や異種愛には寛容なつもりである、けれども自分自身が同性愛者のつもりはない。トオルは男で、自分も男。それを否定することも特別視することもない。けれどどちらかが女だった世界で、はたまた2人ともが女に生まれた世界もあったとして、そこで巡り会えたとしたら、やはりトオルのことを、自分は。
 仮に巡り会えなかったとしても、必ず探してみせると言える、この気持ちを何と呼ぼう。答えなんてもう出ている。自分はトオルのことが好きだ。トオルという人間が、魂がそこにあるからこそ、こんなにも恋しくてたまらないのだ。タクヤはじっと、目の前に座るトオルの背中を見つめた。
「お前のことが、好きだからだよ」
 言葉にすると、それは何倍にもなって心に重くのしかかる。体中の血が逆流したように体温が高まって、鼓動が皮膚を突き破るような錯覚。手足がしびれて視界が霞むのは、きっと緊張しているからなのだろう。声は波となって耳に入り、そうしておのれの心に刺さる。音にして改めて生まれる自覚がこんなにも内を奮わせる。
 タクヤの長い沈黙を受け、トオルもまた沈黙した。それは拒絶からくるものか、驚愕か、それとも――以前とはまた別の意味でうねる腹を感じながらタクヤがうつむいていると、前方のトオルが声を発する。笑っているように聞こえた。
「……そっか。そっかあ、おまえ、オレのことが好きなのか、」
 噛みしめるような響き。それが嫌悪でないことを理解して、タクヤは自分たちがカバタという土地に生まれたこと、はたまたトオルが偏見にまみれた人間でないことを心の底から感謝した。よかった、と肺の中の空気をすべて吐き出すようにつぶやけば、今度のトオルはからかうように笑う。
「そんな緊張しなくたっていいじゃんか」
「うるさい、仕方ないだろ。自分からそう言うの、初めてなんだ」
「ハ!? うそ! マジか! やっべーーーーオレタクヤの初めてもらっちまった、全世界の女子に刺されそう」
「やめてくれ……」
 緊張の糸が切れたこと、そして今は聞きたくない「女子」というキーワードに、再びタクヤの胃がうねる。大丈夫かよ、と気遣うトオルの声が遠い。
 ふと眼下に目を向ければ、ツルバミ邸がもうすぐそこまで迫ってきていた。
「……んじゃま、一世一代の大告白をしてくれたタクヤくんに敬意を表して、オレも秘密を話しますかね」
「秘密……?」
「そ、誰にも言ってないことだから内緒にしてろよな。……オレさ、実は夢があって――」






 カバタ地方ヴィラナシティは、この地方でもっとも栄えた首都と呼ばれる街である。
 空港、博物館、水族館、総合学園、ショッピングモール――困ったときはまずここに来れば8割がたの問題は解消されるとも言われている。地方自体があまり広くなく、ポケシーという交通機関も全土に渡って張り巡らされているので、交通の便も問題なしだ。旧市街の噴水は若者に人気のデートスポットでもあって、老若男女もポケモンも多数がすれ違う、いわば出会いとはじまりの街でもある。
 そして。この街に構える芸能事務所オリエンタルスターの前に佇む男の影が2人。今年16になる2人は黒髪と黄髪が印象的で、形や色は違えども右耳たぶにピアスをつけており、何より見てくれがひどく整っているゆえ周囲の視線がちらほらと投げかけられていた。2人とも他人の視線に興味はないのかそれともそんな余裕がないのか、黒髪の少年が青いポケホを忙しなくいじりながら何度も深呼吸を繰り返す様子を、黄髪の少年がじっと見守っている。肩に乗せているバチュルはなんだかとてもお行儀がいい。
「そんなに緊張しなくてもいいだろ……ここであってるって。何回確かめるつもりだ」
「うるせー! こちとらこの日を一体どれだけ待ちわびてたと思っ、うえ、吐きそう」
「吐くならとりあえず中へ入ろう、往来よりはトイレがいいだろ」
「お……おまえなあ〜〜〜〜〜〜!!」
 がし、と黄髪の少年に首根っこを掴まれて、黒髪の少年が建物のなかへ引きずられてゆく。彼らを追うルクシオが微妙な顔で笑っていたが、おそらくこのやり取りも様子も慣れっこなのだろう、特段とめる素振りは見せなかった。
 数時間後、彼らはここで運命的な出会いを果たすことになるのだけれど――それはまた、別のお話なのである。

これにて完結です。なんとかウルトラまでに終わらせられた……
色々言いたいことはあるのですが、全部蛇足になりそうなのでその辺はまた別の機会に。
なにはともあれ長い間お付き合いくださってありがとうございました
20171116
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -