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12

ちょっと描写が汚いかも

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 ――あれから。どうやって部屋に戻ってきたのか、タクヤはほとんど覚えていない。
 ツルバミが何か言っていたような気はするが、朦朧とした意識のなかではまともに耳に入らなかった。拾えた言葉はスバメの涙ほどで、それも不確かなものがほとんど。妻にはなんとなく気づかれているかもしれない、そう淋しげにつぶやく顔だけは、なぜだかひどく印象的だ。
 猛烈な吐き気に襲われながらなんとか部屋に舞い戻って、今は扉に背を預けてズルズルとその場にへたり込んでいる。誰かに入ってこられたら大変なことになるな、と独りごちれるくらい余裕が戻ってきているのは、ここが自室という安らげる場であるからだ。初めて呼吸が叶ったような感覚を覚えながら、タクヤは深呼吸を繰り返す。
 深呼吸のあいま、何度目かのため息を吐いたころ、ちぅ、と案じるようにバチュルが数匹寄ってくる。大丈夫、平気だ、少し疲れただけと言ってもその疑わしい視線は変わらず、なかなかの手強さに肩をすくめた。よじ登ってくる小さな重みに心地よさを感じながら、大息を吐いて体の力を抜く。途端に襲ってきたのは明かされたばかりの濁流のような真実だ。
 ――トオルは義弟なんかじゃなかった。正真正銘、血の繋がった、腹違いの弟である。ツルバミが言うに12月の末に生まれらしいトオルは、10月半ばに生まれたタクヤにとって2ヶ月ほど月下の弟。やはり自分が兄なのは間違いなかったのだ。けれども予想していたよりも数倍大きな鉛を受けて、タクヤは今、手足のしびれすら感じている。
 確かめたかっただけなのだ。トオルの親兄弟がもしも生きているとしたら、今もこの世界にいるとするならタクヤはその人に会いたかった。トオルに会わせてやれるかどうかは別として、どうしてトオルを捨てたのか、どうして顔を見せないのか、どうしてあいつをこんなにも、修羅のごとく無下の道へ進ませるのか、疑問を解消したかった。気にいらない答えが返ってきたなら一発殴っていたかもしれないと、頭の片隅で思っていたことは認めよう。タクヤは案外喧嘩っ早い人間である。
 それがどうだ、いざタクヤを襲ったのはそのうえをいく衝撃的な真実。トオルはかつて世話になっていた使用人の忘れ形見であり、それだけでなくタクヤにとって腹違いの弟なのである。書斎では動揺ばかりだったが、少し頭を落ち着かせてみると今までの事実にもなんとなく合点がいく気がする。
 あの様子を見るに、きっとツルバミも半信半疑であったのだろうと思う。よもや自分の子をミゾレが孕んでいるだなんて、疑いはすれど確信には出来ないままだったのだろう。確率どうこうの話ではなくて、たとえばそれは、予防線でもあったり。特に頭を痛めるのはトオルが2人の間に出来た子供であること、つまりツルバミがミゾレに手を出したという結果なわけで――そこまで考えた途端、鎮まっていた吐き気が再びせり上がってくるのを感じる。思春期のタクヤにとって、親の情事を連想させるたぐいは耐え難いものだ。生々しいにおいが漂ってくるようで胃を押さえて唸る。何より相手が母親ではなく、かつて家族ぐるみで懇意にしていた女性、いわゆる浮気相手であるというのなら尚更だ。穢らわしい。汚らしい。尊敬していた父が「それ」だなんて、この世はどうしてこんなにも残酷なのか。再度ぐったりし始めるタクヤに、バチュルが不審な目を向ける。
 不倫相手の子であるのなら親のもとへは渡せないだろう。おそらく墓場まで持っていくはずだっただろうトオルの父の真実は、駆け足で訪れた死期によって呆気なく日の目を見ることになった。はっきり名言はせずとも伝言が答えになるはずだ。親に渡さず、施設に預けた子供を、誰かに頼む理由なんて――。
 ああ、そうか。ミゾレがツルバミと施設の関係を知っているのだとすれば、トオルをあそこに預けたのも納得がいくことかもしれない。血縁を明かすことは出来なくとも、知らぬ間に親と子の邂逅が叶えられるとしたならば。ツルバミとトオルが、親子というそれではなくとも少なからず触れあうことが出来る可能性があるのならば、おそらくミゾレはそれを狙ったのだ。もっともそれは死人に口なし、もう誰にも真偽を確かめることなんか出来ないのだけれど、それでもつい「よかった」と思ってしまう自分がいる。トオルはいらない子なんかじゃなかった。儲けられた経緯はどうあれ、こうしてミゾレはトオルに対して、少しでも愛情を持っていたのだ。
 それには少し安心できる。けれどもトオルが実弟だとして、ツルバミが彼の実父だったとして、これから自分はどうやってトオルと接していけばいいのだ。求めていたものがすぐそこにあった、むしろおのれこそそうであるという事実もタクヤのことを蝕んでゆく。
 会わせてやりたかった。確かめさせたかった。自分が望まれて生まれてきた子で、誰を見下さなくとも、誰に媚びなくとも、役割なんてものにこだわらなくともここにいていいのだと、トオルという個人がそこにある理由はただそれだけでいいのだと、それを教えてあげたかった。タクヤはおのれが両親の愛のもとに生まれてきたことを知っているし、だからこそトオルもそうだと信じた。信じているのに、嗚呼、その信頼は今日という日に打ち砕かれた。もしかすると自分だって母の子ではないのかも――水面に投じた小石のような秘密に振りまわされ、タクヤはぐるぐるした負の連鎖に陥っている。信じられない。認められない。父への嫌悪感が募る。もしかすると他にも何人か同じようにツバをつけた女がいて、どこかしこに義兄弟が存在しているかもしれないのだ。
 奉仕精神にあふれる人格者とは何だったのか、今のタクヤには彼が倫理観に欠けた浮気者としか思えない。自分の生にすら嫌悪を覚え、叶うことなら今にも窓から飛び降りたい気分だ。トオルが衝動的に飛び降りようとしたり、首を絞めたり、我が身を傷つけようとしたりを繰り返していたのも、こんな心理から来るものだったのだろうか。
 ――トオル。誰に伝えるでもなく名前を呼んだ。どうして? 片時も存在が離れない。ずっとトオルのことを考えているのだ、これじゃあまるで、自分は、
「――なに、呼んだ?」
 刹那、背後から聞こえた声に体が跳ね上がる。扉越しに聞こえる声は今しがた頭を占めていたトオルのもので、その声がひどく胸を掻きむしった。
 こんこん、と控えめには程遠いノックの音が背中を伝って響く。入っていい? と訊ねる声は明るく朗らかなそれで、ミゾレのものと強く結びつく。けれどもこれはトオルの声だ。自分はミゾレを見ているわけじゃない。トオルの存在を感知している。
 怖じながらも了承を返し、よろめきながら立ち上がってトオルとルクシオを中へ招き入れる。くん、と鼻を鳴らすルクシオは怪訝な目でタクヤを見上げ、倣うように見つめてくるトオルも、首を傾げながら訝るように覗き込んできた。ぺと、と額に触れる手のひらは、伝う汗によって少しベタつく。
「おま、なに、真っ青じゃんか。熱でもあんの? 大丈夫かよ」
「……平気だ。少し、考えごとをしてて」
「考えごとでこんな真っ青になるもんなのか? あれか、坊ちゃんは色々悩みごとも多いんか、うん」
 気遣わしげなトオルの言葉が今だけはひどく耳障りだった。案じてくれているのはわかる。気にかけてくれていることも、心配してくれているのも、痛いくらいにわかっている。けれども今は会いたくなかった。整理がついていないのだ、こいつが、この男が、血を分けている兄弟であるということ、腹違いの弟だという事実は、まだ少しも飲み込めていない。
 タクヤの体はどんどん傾いでいく。そこにトオルが居るだけでせり上がってくるものがあった。やめてほしい。寄らないでほしい。触らないでほしい、近づかないでほしい、せっかく仲良くなれたのに、拒絶の言葉なんか吐きたくない。
 ぐらつく体を支えきれなくなった頃、気づけばタクヤはトオルにもたれかかっていた。ルクシオが少し距離を取る。さすがに尋常じゃないと察したのだろうか、トオルの声にも焦りが混ざり始めた。おい、と何度もタクヤの名を呼ぶ、その声色がノイズのように届く。
「大丈夫かよ、なあ、タクヤ――!」
 トオルがタクヤの肩を掴み、自分のほうへ向かせようとした。力の入らぬタクヤは抵抗することも出来ず、されるがままにトオルの顔を見る。
 途端にかち合うアクアマリンの瞳は、この上なくツルバミの血を示していた。カバタには珍しい地毛の黒髪と、ぱっちりとした二重まぶたにはミゾレの残滓が覗いている。よくよく見ると顔立ちだってミゾレにそっくりではないか、どうしてみんな気がつかなかったのか、それともみんな察していて、けれども口に出せないまま4年を過ごしてきたのだろうか。知らなかったのは、もしかすると、自分だけ。
 永遠に擬態した一瞬のなか、タクヤはゆっくりと理解する。トオルがツルバミの子供であり、ミゾレの息子でもあること。抗えない「血」というものがここにあること。
 そして。
 タクヤの心は、事実に折れた。
「うッ、ぐ、うえ――――」
 抗うすべは露もなく、トオルにもたれかかったままうねる反吐を吐き戻す。先立って飲んだプレグのジュースや食事が互いの服を汚していく、その光景から目を逸らしたかった。謝罪は咳にかき消される。離れたいのに体は言うことを聞かず、苦痛に耐えるさなか、トオルの肩を掴んで喘いだ。胃があらかた空っぽになっても吐き気はまったく収まらず、胃液すら尽きそうな勢いだ。きたない。きたない。全部がきたない。この吐瀉物も、ツルバミも、疑心に苦しむ自分も、全部、全部がひどくきたないのだ。
 バチュルはいつの間にか退避している。嗅覚の敏感なルクシオは臭気に部屋を出て行っていたが、すぐに誰かの足音が聞こえてきたあたり、使用人を呼びに行ってくれたのだろう。聞き慣れた女の声がする。――あいつもツルバミに手を出されたのか? そう思うと収まりきらない吐き気がまた強まって、タクヤは意識を手放したくなった。全部を忘れてしまいたかったのだ。
 ――トオルは。霞む意識の隙間で目の前の男を思えば、まだやわらかい手のひらが背中を擦ってくれているのがわかる。ゆっくりと、往復するように背中を伝う手のひら。抱きしめるようにタクヤを安らがせるそれは、きっと施設での生活で培ってきたものなのだろう。
 けれども、ああ、この感触もまた、ミゾレのそれとおんなじなのだ。彼女もこうして宥めてくれた、記憶が再びよみがえる。苦痛だ。苦しい。怖かった。誰かに助けてほしかった。誰が助けてくれるのか、縋りたい人は、助けてくれると思う人は、その理由もきっともう、気づいているのだろうけれど――

20171114
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