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大好き大好き、ありがとう

「セルリア様、お誕生日おめでとうございます!」
「ああ、セルリア様! 今日という日を迎えられてわたくしたちも幸せですわ」
「きっとエルエグナもセルリア様のお誕生日をお祝いなさっていることでしょう!」
「素敵な1日となるよう、お祈りを捧げさせていただきますね」
「本当におめでとうございます!」
 ――1月21日。それは、このカバタ地方において少々特別な日だった。
 本島といくつかの小島からなるこの地の歴史は古く、そしてその成り立ちもまた不可思議かつ謎が残る。かつて何もない大海に突如として『現れた』という旨の記述が地方史に多く散見するのだが、それがエルエグナというポケモンの力によりもたらされたものだということなど、実のところこの土地の人間にとってはほぼ常識であるのだけれど。
 それは果たして何故なのか。答えはひどくシンプルだ、カバタ地方の創成期より住まう『名家』のひとつ、スペシオサ家が地方の歴史を長らく伝え続けてきたからである。正しい歴史を正しく残す、そんな使命をおって今日まで栄えてきたこのスペシオサ家は、いわばこのカバタ地方において『王族』にも等しい。人々を思い、敬い、未来を憂う、その姿勢を崩さぬ当家は独裁に走ることもなく今もなお地方民から強く慕われ続けていた。
 そして本日、1月21日。なぜこの日が特別なのかと言われると、それはこのスペシオサ家直系長姫、セルリアの誕生日だからなのである。


(や、やだ、やだぁ……!)
 がさり、ごそり、かさかさ。
 ローレのもりに生息するくさポケモンやむしポケモン、たとえばアゲハントやスピアーの類いに混じって響く、おそらく人が動いているだろう草葉の擦れる音。揺れる草陰は息をひそめているようで正反対、その様から鑑みるにきっとこの人間は森に不慣れであるか、はたまた冷静さを欠いているか。もつれるような足取りを見るに後者であるだろうその人影は、とうとう段差につまずいてその場に伏せてしまった。
「誕生日、きらい、こわい……」
 震える声を隠さない、年端も行かぬ少女。バタフリーに似た触角を揺らしながら上体を起こしはしたものの、彼女はそのまま膝を抱えて大粒の涙を流し始めた。
 泣きじゃくるこの少女こそがスペシオサ家の姫、セルリア・スペシオサ本人である。王族として申し分ない気品、教養、振る舞いを身に着けているのに、ひどく恥ずかしがり屋で気の弱い性格から人前に立つことを恐れていた。
 いざ公務に就けばまるで別人のように凛とした姿を見せるけれども、それまでに負う心の傷やストレスがゼロになるわけではない。むしろ襲い来るギャップや公務後の緊張の糸が切れた瞬間にこそ耐え難い苦痛に苛まれるのだ。バトルの実力を見出され、生えある四天王の1人に選ばれた今でもそれは何にも変わっていない。
 いくら傷つけども、いくら逃げたくとも、持って生まれた『血』がそれを許してはくれない。スペシオサ家に生まれたという出自が、これからも一生をかけてセルリアのことを蝕み続けるのだろう。15歳という多感な時期にぶつからざるを得ない壁が、激しくセルリアのことを痛めつけている。
 心の傷は涙という名の血を流し、もうずっと止まってはくれなかった。
「――そんなこと言わないの!」
 そんな折。突如としてかけられたひと言に、セルリアは弾かれるように顔を上げた。大粒の涙が弾けるように散り、木漏れ日を透かしてキラキラと輝く。
「あ、あまね……」
「あんた絶対ここに逃げてるって思ったんだよね、だって去年もそうだったじゃん」
 まず現れたのは1人の少女。ミントグリーンの髪の毛を高い位置でふたつに結い、毛先にはランクルスの腕を模した髪飾りをつけている。ゆるくつり上がった大きな瞳は活発そうな印象を抱かせ、それに違わず身のこなしや振る舞いはとても軽やかであった。
 ひょいひょいと草むらを通り抜けてセルリアのもとへ駆け寄った少女――アマネは、ぺかっと眩しい笑みを浮かべてセルリアの手を引きその場に立たせる。膝やスカートについた汚れを落としてやることも忘れない。
「いくらきみでも、ポケモンも持たずにここへ来るのは危ないよ」
「……みんな心配する」
 続いて現れたのもまた、同じ年頃の2人組。
 片方はこの4人のなかでは頭ひとつ抜けた長身であり、エテボースの尾を真似たようなローテールが特徴だ。穏やかな物腰は年齢不相応に落ちついており、ゆるりと細められた目元からある種の風格すら感じる。
 もう片方は焦げ茶の髪もさることながらギアル型の眼帯がひどく目を引くうえ、少年だか少女だかいまいち判別のつかない中性的な出で立ちをしていた。このなかでは一番の低身長であり、先ほどの少年と並べばまさに『デコボコ』である。
「ヨウラク、ホオズキ……!」
「2人もあんたのこと探してくれたんだぞー?」
 アマネが後方に目配せすると、ホオズキと呼ばれた便宜上の少年が小脇に抱えたバッグからいくつかのモンスターボールを取り出した。ぽんぽんと中から解き放たれたむしポケモンたちは皆一様に優しくセルリアのことを見つめ、そしてそっと彼女のことを抱きしめる。
「バタフリー、メガヤンマ、ビビヨン、ヘラクロス……! ごめんね、リア、1人で出て行っちゃったから……」
「きみのことすごく気にしてたみたいだよ、ホオズキがみんな連れて行くって聞かなくて大変だった」
 ヨウラクというらしい少年がホオズキを見やる。何のことだかわからないとでも言いたげにホオズキは顔を背けるが、ヨウラクはぐいと覗き込んでホオズキに迫ろうとした。なんとなく底の知れない笑みを浮かべながらホオズキを見るヨウラクを、どえぇーーーい! と意味不明な声をあげつつアマネが制止する。彼女の叫びにビクついたセルリアは、しかしポケモンたちの後ろに隠れようとはしなかった。
「あんたら何しに来たのよォー! イチャつきに来たなら帰りなさいー!」
「別にイチャついてなんかないよ、ただホオズキが――」
「それをイチャついてるって言うのー!」
 まったくオヤジくさいチャンピオンなんだから!
 ぷりぷりと頬を膨らませるアマネが、おもむろにポケットに手をいれて何かを探る。気づけばホオズキとヨウラクも同様に懐に手を忍ばせており、アマネの合図でそれを取り出しては破裂音を鳴り響かせた。
「誕生日、おっめでとう!」
 ぱあん! ありふれたクラッカーの音は予想以上に通ったようで、遠くからバサバサととりポケモンの飛び立つ音が聞こえた。面食らうセルリアをどや顔で見つめるアマネは、しかしそれだけではないように小気味よく指を鳴らし、どこからともなく現れたランクルス、メタング、シンボラーの3匹に『サイコキネシス』を発動させた。おそらくセルリアを除いた3人のポケモンなのだろう、一般トレーナーとは一線を画す練度の3匹が辺り一面の草葉や花びらを集めて花吹雪を起こす。
 カバタ特有の色とりどりの花びらは、ここが森の奥地ということもあってひどく幻想的な空間を作り出した。カラフルではあれど目がちらつくことはなく、時おり色を変えては自然のグラデーションを描き出す。夢と現の狭間にあるようなこの場所で、大好きなアマネ、大好きな友達、大好きなポケモンと一緒にいられる。他の誰もいないところに、誰でもない『セルリア』としていられている。
「あんた好きでしょ、こういうの」
 止まっていたはずの涙がボロボロとあふれ、けれどそれは悲しみでも恐怖でもない、喜びと安心から来るもの。誰も咎める者などいない。もし仮に負の感情から涙を流すことがあったとて、ここにいる者は無理にそれをつつくことなく助け、そして涙を拭う仲間なのであるから、元よりセルリアが何を気負うことはないのだ。
「――あ、あり、が……っ」
 どれだけ多くの人に祝われようとも、やはりアマネたちの「おめでとう」に適うことなどありはしない。
 涙に詰まりながら途切れ途切れに伝えた「ありがとう」は、確かにこの3人には届いていたのだった。

セルリア誕生日おめでとう
20170121
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