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ままならなくとも

 ゆっくりと、けれど大きく息を吸う。清らかな空気が肺を満たし、おのれの内にある穢れた意識を押し出してくれたような気がした。腹に溜めた空気を再び吐き出す、そのゆったりしたリズムを崩さないよう数回深呼吸を繰り返す。鬱屈した気分が少しだけ晴れやかになり、仰いだ蒼天を目に映せるだけの余裕が生まれた。
「……人付き合いとはままならないな」
 しみじみと、咀嚼するようにゲルティは独りごちる。
 先ほど相対したチャレンジャー。まだまだ旅立ったばかりというのが見た目からでもすぐにわかる、真新しいワンピースに身を包んだ12歳ほどの少女だった。
 タイプマスターとして相手の実力を見定めるために所謂てかげんなることをすることはあるが、それにしたって彼女はまだまだ実力不足が過ぎるように思えた。連れていたゼニガメは相性こそ有利だったけれどサンドに片手で捻られて、次弾のトランセルやそれに続いたヤナップもあまりに未熟だったのである。もう少しバトル慣れしてから挑んでくるといい、そう伝えるととうとう彼女は泣き出してしまった。
 大丈夫か、気に病むな、そうは言っても無理な話であろう。まだ幼い子供にとって「負け」とは重く苦しいものだ、自分だってかつて末弟に下された際は大人気なく苛立って周囲に当たり散らした覚えがある。
 ――彼女もそうであるだろうか。否、それほど気性の荒そうな性格には見えなかったから、おそらくひどく落ち込んでもしかするとバトル自体を辞めてしまうかもしれない。
 考えれば考えるほど深みにハマるような気がして、どうにも頭が痛くなる。せっかく晴らしたはずの悩みを腹のうちに抱えながら、ゲルティは小さく息を吐いた。
「ゲールさん、なにしてんの?」
「……イナミか」
 カディラシティの砂塵にまぎれて姿を現したのはイナミだった。彼の背後に控えたニドクインはゲルティに向かってぺこりと会釈をし、少しだけ下がって2人の様子を見守っていた。主人の邪魔をせんと気を遣ったのだろうか? トレーナーに似たのか反面教師なのか、とにかくよく出来たポケモンである。
「また落ち込んでんの? ゲルさん繊細だもんね」
「お前に言われると嫌味にしか聞こえない」
「やだなあ、人聞きの悪い」
 その、ゲルティのちょっとした当てつけすらイナミに意に介した様子はなく、何処吹く風といったふうに肩を竦めて笑っている。事のあらましを聞いても彼の様子に変化はない。ただなんとなく愉快そうに口元を緩めていたくらいか、沈んでいるゲルティが可愛いとでも言いたげな様に性根の悪さが見て取れる。
「ゲルさんさー、そういうこと気にしなくてもいいと思うなあ〜」
「知ったふうな口を聞くな」
「ん〜? いやいや、だって僕はさ、知ってるもん。ねえ?」
 イナミが背後のニドクインに目配せする。小さく頭を下げて立ち位置をずらした彼女の背後には、先ほどゲルティに敗れた少女が申し訳なさそうに立っていた。真っ赤に腫らした瞳にゲルティの良心が締めつけられる。
「謝りたかったんだってさ。君に」
「あやまる……?」
「『ありがとう』って言えなかったことと。あと、負けて泣いちゃったこと」
 おずおずと少女が前に出る。腕に抱いたゼニガメはポケモンセンターで治療してもらったのだろう、傷は癒えてハツラツとした笑みを浮かべていた。
 身長差があると怖がらせてしまうかもしれない、なんせこんな見てくれだ。ゲルティはその場にしゃがみ込んで、少女を見上げる形をとる。
「あのう……さっきはごめんなさい。わたし、逃げるみたいなことして」
「いや――」
「バトル、あんまりしたことなくて。負けて悔しいとか、悲しいとか、そういうのいっぱい、ぶわってなっちゃった、です」
 緊張しているのだろうか、どこかたどたどしい言葉だけれど少女は懸命に言葉を放つ。言葉につまるたびにぎゅう、と抱きしめられていたゼニガメが少女を励ますように語りかけていた。ああ、この2人はきっと将来いいパートナーになれるだろうと、おそらくゲルティだけではなくイナミも同じことを考えたはずだ。
「えっと……わたしとバトルしてくれて、ありがとうございました! もう少し強くなったらまた来ます!」
 ぶんぶんと首を振ったあと、眩しい笑みを浮かべながら決意を示さんとする少女。いじらしい少女の手をとり、ゲルティもまたぎこちないながら微笑む。
「……待っていよう、君の挑戦をずっと。君たちはきっと強くなれるはずだと、俺は――」
 ふと目に入ったのはイナミとニドクインだ。ここにいるのは自分だけではない、彼もまた自分と少女を再会させんと協力してくれたのである。見ず知らずの少女をこんな、カディラシティの郊外まで連れてくるなんて自分にはとても出来そうにない。言動に問題こそあれ人に好かれる不思議な魅力を持つイナミだからこそ出来うることかもしれなかった。
「――いや。俺も、このお兄さんも、ニドクインも。君のことを信じているから」
 そう言ったゲルティからぎこちなさは消えていた。
 ただ穏やかに微笑む「大地の守り人」が、またひとつ人のあたたかさに触れて胸を熱くした、そんな日常の一幕である。

20170403
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