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おやすみ、あたし

 朝。目が覚めるとそこは見慣れた天井に他ならなかった。シッポウシティの住居はかつての倉庫を改造したもので、あたしが住むのは2階部分。骨組み丸出しの無骨な天井と毎朝おはようするようになって、確か今年で9年目だっただろうか。
 なにか真新しい変化があるわけでもとんでもない事件があったわけでもなく、ただひたすらこのなんてことない毎日が、不変のままに続いている。ちょっと体重増えちゃったーとか、髪型変えてみたんだけどーとか、昨日とまったく違うアイデアが浮かんだぞーとか、そんなのは不変という日常のなかにある出来事であって、劇的なものとはあまり言えない。
「ぜーに、ぜにー」
「……おはよ、ゼニ」
 ベッドの上でほうけたままのあたしの顔を覗き込みながら、愛しい愛しいパートナーのゼニが朝の挨拶をしてくれる。ゼニガメだけどやるときはやるんだよ、例えば汚れた筆やパレットを洗うときに手伝ってくれたり、一緒に洗濯物を干してくれたり、もちろんバトルだってお手の物。何たってカバタにいたときからずっと一緒の、あたしの初めてのポケモンなんだからね!
「カネと、マニーは……まだ寝てんのかあ」
 まだ半分寝ぼけた頭で部屋のなかを見回してみると、少し離れたところでカネとマニーが寄り添いながら眠っているのがわかった。裸眼ではかなりボケているけれど、この穏やかで静かな早朝、とりポケモンのさえずり程度しか聞こえないなかなら僅かな寝息も耳に届く。よく寝てるのか、よかった、そんなことを思いながらあたしは再びベッドに体を横たえる。
 どうして目が覚めてしまったんだろう。否、あまり寝つけなかったといえばその通りなのだけれど、どうしてよりによって今日なのか。さすがにこの年になって誕生日どうこうが気になるわけでもないのに、さて、どうして。
 ……ううん、きっとあたしわかってる。誕生日が嬉しいわけでもそわそわするわけでもなくて、珍しくなぜか、不安になった。なんとなく、そう、怖くなったのだと思う。何も変わらない、成長していない、それなのにまた年だけとるのかと、漠然とした不安にかられてなんだか足元がふらついたのが、昨夜。そしてその衝動に逆らわないままベッドに体を放り投げて、うだうだとどうにもならないことを考えながら寝落ちてしまったのだろう。
 おかげで服はシワだらけだしメイクもそのまま、顔はパリパリ。さぞかし酷い顔をしているのだろう、色んな意味で。重たい体をなんとか起こす……のもままならず、とりあえずポケットに入ったままのスマートフォンを取り出した。
 刹那、ピコンと何らかの通知音が鳴る。おそらくメールか何かだろうと差出人の名前をチラ見して、あたしは思わず目を見開いた。表示されていた名前は、そう、あたしが強く強く憧れた、尊敬する画家の――
『おはよう、リナちゃん。朝早いけど起こしてしまったらごめんね、ご無沙汰しているコンノです』
 ――コンノさんだ!
 長らく顔を見ていないけれど、昔と変わらない優しい笑みを浮かべているだろうことが無機質な文面からでもわかった。もぞり、なんとなく雰囲気の変わったあたしに気がついたのだろう、ゼニがあたしの懐に潜り込んできて、興味深そうに四角いスマートフォンの画面を眺めている。コンノさんだよ、そう言えば喜ばしそうにしっぽをふる。
『元気でやっているかい? ……なんて、君には愚問だったかな。リナちゃんは元気なことが取り柄だったもんね』
 ああ、すごい、耳が痛い。しんどいなあ、そう思う。10割のご好意からくる言葉が耳にグサグサと刺さってきて、そしてそれを素直に受け取れない自分にもまた落ち込んだ。
『でも、たまには休むことも必要だと思うんだ。そればかりじゃ疲れてしまうし、誰だって休憩はするものだしね。夜寝るのと同じように、朝ごはんを食べるように、誰に詫びることも罪悪感を覚えることもなく、君は自由に休んでいい。こんな日に言うことじゃないかな?』
 ――まただ。ああ、もう、やっぱり、やっぱりコンノさんはコンノさんだった。いつも何もかもを見透かしているような、まさに今後ろで見られてるんじゃないかとか、そんなことを考えさせる不思議な人だ、この人は。昔からずっとそう、あたしが弟子入りで粘ってるときもカバタから出立するときも、いつだって「知っている」ような顔をして――
『前置きが長くなっちゃったね。とにかく、お誕生日おめでとう。君が夢に向かってほどほどに邁進できますよう、カバタよりお祈りしています。コンノ』
 登録すれば名前は見えるし、最初にも一度名乗っているのに、律儀に名前で締めくくる。その、古めかしいような不器用なような、不思議な魅力を昔のあたしは理解できなかったけど。今ならわかる、この人が慕われていた理由。こんなにも手厚い人なんだもの、そりゃあ画家としても四天王のひとりとしても、色んな人に信頼されて当たり前だろうに。
「……ゼニ」
「に?」
「今日、ちょっと休もうか。だらだらデーにしよ」
「ぜにー!」
 やったあ! とばかりに振り返るゼニを抱きしめながら、あたしは再び眠りにつく。なんとなく無理をしていたのかもしれない、グダグダ悩んで間違えて、それも人生なのだろうけど今は全てを忘れたかった。
 まだ薄暗い部屋のなか、あたしはどことなくつまりの取れたような心地で、どこか久しい微睡みに身を委ねる。そう、きっと、目が覚めたらいつもと変わらない、眩しい今日が待っているのだと信じて――

リナ誕生日おめでとう!
20170210
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