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ふたりごとサンセット

「あまり気持ちのいいものではなかったよ」
 ぽつり。つぶやくようにミムラが言う。声色こそいつもと変わらぬ淡々としたそれではあるが、言葉はことさら空虚であった。
 アローラのぬるい風によってかき消されてしまう、か細い懺悔のようなそれ。諦めたような、自嘲をまじえたような、やるせなさにも似た何かが垣間見える。
「さすがに命を奪うようなことはしなかったけれど、傍から見たら私は異常だったのだと思う。人を殴った拳の痛み、刺したときの感触、におい、感情、湧き上がる嫌悪感。どれもこれもを私は私の感覚として受け入れるけれど、でも、そこに『私』は不要なのかもしれない」
 どれほど浮世離れした顔をしようと、結局のところミムラは加害者側にまわれるほど非情な人間ではなかったのだろう。目を閉じると浮かぶあの日の情景、音、焦燥感は果てしない。怯えた人もいれば敵意を剥き出しにしてきた人もいた。
 ふと脳裏をよぎったのはまだ幼い少女のことだ。涙を浮かべた目でキツく睨んでくるその少女は、震えた声で「ゆるさない」とミムラにのろいの言葉を吐いた。決して抜けない釘となってミムラの胸をえぐり続ける、何年経とうと色褪せない痛み、苦しみ、罪悪感。加害者の心は、とてもじゃないがえがけそうにない。
「向いてないのかもしれないな、私。されることは平気でも、する側になるとどうしても手が止まってしまう。……ダメだなあ、これでは創作者として未熟が過ぎる、出来損ないだ」
 ふぅ、と小さく息を吐く。顔を上げればそこにあるのは広大なアローラ・ブルーだった。
 コニコシティの岬から眺める水平線は美しい。夜になれば灯台が暗闇に満ちた世界を照らす、その時限までもう少しだ。夕日に照らされオレンジに染まる水面が織り成すサンセット、それこそが文字としてしたためるべき事象であるのかもしれないのに。ミムラはまだ気づけない、なぜなら目の前の――否、結局彼女は自らの殻を一度も破れていないから。
「……ねーちゃん」
「ああ、ごめんね。いきなりこんなことを言って、たいへんだ、君を困らせてしまうな」
 黒縁メガネの奥に潜む、まっすぐな若葉色の瞳。ウキクサはミムラを見つめている。彼と、彼のメテノは迷うようなミムラから片時も目を離さないまま、きっと彼女の言う言葉の真意を理解しきれていないだろうのに、それでもずっと聞いていた。まるで単語のひとつひとつが物語の一節であるかのようなミムラの言葉は、まだあどけなさの抜けないウキクサにとってはどこかふわりとした、そう、日常から切り離されたファンタジーにも等しかった。
「オレ、あんまよくわかんねーけど」
 夕暮れ時の陽射しを反射する、分厚いレンズがひどく眩しい。ウキクサもまた夕日に目を細めて少し視線を落としている、つま先を見る彼が何を思っているのかミムラには少しもわからないが、それでも彼が何かを否定するような思いでないことだけは感じ取れた。
「ねーちゃんがぶっ倒れてたらまたオレが拾ってやるからさ。だから、ねーちゃんはねーちゃんのやりたいこと、やってみたらいいんじゃねーかな」
 へへ、とはにかむようにウキクサが笑う。11歳の少年から感じられるとは思えない、どこか重みのある言葉の向こうにはいったい何があるのだろう。ミムラの興味をそそるような、決して開いてはいけない扉がそこにあるかのような感覚に、人知れずミムラの胸がざわつく。ゆらり、意味深長に体を揺らすメテノに視線を奪われながらも、ミムラの心はウキクサにある意味で夢中である。
 ――あ、でもあんまり人に迷惑かけちゃダメだぜ! そう言うウキクサの忠告のひと言を、ミムラはどこか遠いところで聞いていた。

20170419
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