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07

 タクヤはこのディラリアシティで生まれた。
 優しい父と強かな母のあいだに生まれ落ちた健康優良児。年齢に比べて少しばかり食が細いことと、読書のしすぎで低下した視力を除けば花丸印の健康体だ。人にもたくさん愛された。それは使用人であったり、友人であったり、たまの恋人であったり。言葉足らずかつ無愛想、そのうえ受け身過ぎるタクヤはたとえ顔立ちが整っていようとすぐに愛想を尽かされてしまい、その実あまり長く付き合う友人や恋人は居なかったのだけれど。
 5匹のバチュルを引き連れて、タクヤは先日ハルミに出会ったポケモンセンターへ立ち寄っていた。会おうと思い立って飛び出してきたはいいものの、彼女について知り得ている情報があまりにも少なすぎるのだ。連絡先など知りもしない。トオルに訊いたって教えてくれるわけはない。ならば手がかりは自分で探すのみだ。
 そうしてうんうんと頭をひねっていた結果、傷ついたポケモンや大きめのバッグを持っていたあたり、もしかすると旅立ちを迎えた新米トレーナーなのかもしれないという可能性を見出したのである。それでも半々程度ではあるし、もし仮に彼女がそういったトレーナーだったとしても、ここで会える希望なんてスバメの涙もいいところだろう。
 あまりにも無鉄砲なおのれに軽い頭痛を感じながらも、タクヤの両足は止まらない。這いまわるバチュルを指先で撫でながらポケモンセンターの自動ドアをくぐる。しゅん、と小さな電子音を立てて開閉をなす扉を横目に、空調の整った屋内へ足を踏み入れた。トレーナーの数は疎らだ。けれど数匹のフワッキーが忙しなくストレッチャーを押しているのが見え、どうやら重病患者がいたらしく、ジョーイも応援を呼んでバタバタとそこいらを走りまわっていた。
 今来るのは邪魔になるだろうか。タクヤが踵を返そうとドアをくるりと振り返ったとき、電子音とともに再び自動ドアが開いた。すまない、と声をかけ、すれ違う人の姿を一瞥して目を見開く。タマタマを思わせるピンク色の出で立ちは、たしかによく覚えている。何を思うより先に手がそのトレーナーの腕を――ハルミのことを、引き留めていた。
「びっ……くりした! タクヤさん?」
「あ、――ああ。久しぶりだな」
「どうしたんですか!? いきなりこんな大胆なこと……」
「そっ……んん、そう。その、君に、会いたくて」
「えっ」
 タクヤの唐突な言葉に、ハルミは大きなたれ目をこぼれ落ちそうなほど見開いた。文字通りポカンとした彼女はけれども程なくして訳知り顔に頷く。にこり、むしろにやりとしながらタクヤを見つめるその顔は、先日出会ったあのときに一瞬覗かせたものに似ていた。
 にゃるほどなあ、とハルミがつぶやく。にひ、と三日月型になった瞳がタクヤのことを縫い止めた。
「トオルくんのことですね!?」
「ぐっ……う、うん、そうだな。ちょっと聞きたいことがあっ――」
「やっぱり! やだ、やだ、そっかあ! トオルくんのこと、大事に思ってくれてるんだ! 嬉しいなあ」
 途端にハルミは綻ぶような笑みを見せてタクヤの手を取る。怖じたようなタクヤなんぞ知らぬふりをして詰め寄るその姿には、彼女が根っこに持っているだろう女の強さが見て取れた。
「……その」
「はい?」
「君も、わりと声が大き――」
 言いかけた刹那、頭上のスピーカーからお決まりのメロディが鳴る。ようやっとここが通行の邪魔になる場所だと思いだしたタクヤは、逆にハルミの手をとってすばやくはけた。先日トオルとハルミの2人と顔を合わせたカフェスペースに腰掛ける。何か飲むか、そう訊ねればハルミはエネココアと答えた。
 注文のために座ったばかりの席を外し、カウンターのほうへ向かう。人の良さそうな顔をした初老のマスターにロズレイティーとエネココアを頼む旨を伝えれば、ちょうど人が少なかったからだろうか、それらは思ったよりも早くタクヤのもとへやってきた。
 400円を支払い、おつりをもらって、両手にトレーを携えながら席へ戻る。奢りだといえばハルミは両手を上げて喜んだ。こういうところはトオルに似ている、そう思って口元を緩ませると、また例の笑みを浮かべられて居心地の悪さが帰ってきた。
 ひとくちふたくち飲み下した頃、口を開いたのはハルミだった。
「そうだ、さっきわたしの声のこと言ってたでしょ、タクヤさん」
「ああ」
「わたしの声が大きいのは、叫べば誰かが助けてくれたからなんですよ。小さいころ父親に殴られたりしてたんですけど、なんとか声が出せれば誰かが来てくれたから」
 こくん。それは、エネココアを飲み下しながら話せるようなものではないはずだ。笑い話にも、軽く受け取ることも、重く受け取りすぎることも、どれも許されない話題ではないか。口のなかに含んだロズレイティーのせいでうまく声が出せない、そんなふりをしてタクヤは頷く。
 彼女はそれを過去に出来ているのだろうか。彼女は、未来を生きていられているのか。トラウマや傷として言い訳にも壁にもすることなく、ただひたすら前を向いて、彼女なりの幸せを手に掴もうとしている。強い子だと、そう思った。
「タクヤさんは、トオルくんの出生とかも知ってるんですよね。じゃあいいかな。わたし、トオルくんのあの声の大きさっていうのは、無意識の自己主張から来てるものかなって思うんですけど」
「無意識の……」
「そう。わたしたちの居た施設ってそれなりに大きいところだったから、子供の数が結構多くて。んでもって移り変わりもすごかったんです」
「それは知ってる。うちの親も寄付とかしてたらしいから」
「わ、ありがとうございます。んで、そんなかでトオルくんってずうっと長くいたわけだし、ちっさいくせにお兄ちゃんって感じで、みんなの世話とかよく焼いてて――」
 からん。ぐっとあおった拍子、表面に浮かぶ氷が音を立てる。
「自分のことは二の次にするくせに、それでもやっぱりどこかで見てほしい! って思ってたはずなんですよね。でないと歌ったりしないはずだし」
「歌……?」
「あれ、聞かせてくれません? トオルくんすっごく歌上手いんです。イライラしたりぐずついたりしてる子たちに歌ってあげると、みーんなすぐ聞き惚れちゃって、なんか気づいたら仲直りしてたとか結構あったんですよ」
 恥ずかしがってるのかな? とハルミが首を傾げる。そんなわけない、その一言はロズレイティーとともに飲み込んだ。
 胸の奥に鉛が落ちた気がする。背筋がピリピリと焼けている。冷たいロズレイティーを飲めばそれも消えるかと思ったけれど、結局食道を少し冷やすのみで胃にたどり着く頃にはもうぬるくなっているし、痛みだってモヤだって微塵も消えてくれなかった。
 トオルの話を聞きに来たはずなのに、どうしてこんなにもざわついているのか――気づきたくなくて目を伏せる。けれど視界が暗闇になれば、汚いそれはうんと心を覆い尽くした。
「今度お願いしてみたらどうですか? きっと歌ってくれますよ!」
 ――まさか。
 そんな諦念はのどにつかえて、タクヤは曖昧にうなずく。最後のひとくちを飲み干して深く長い息を吐いた。なんとなく、ハルミの顔が見れない。視線を上げられないまま吐き捨てるように言葉を紡ぐ。
「君は、トオルのことをよく見てるな」
 それらが大人の考察であるならまだしも、ハルミはタクヤとひとつしか変わらない、つまりまだ子供である。タクヤ自身も頭は良いほうであるのだが、こと今回の件に関してはハルミのほうが深く鋭い視野を持っているように見えた。
 純粋な疑問のような、どこか末恐ろしいような気持ちだ。ハルミはそれを知ってか知らずかまあるく目を見開いたあと、再びにんまりと目を細める。
「それは……うん、それはきっと、タクヤさんとおんなじ理由だと思いますけどね」
 意味深な言葉に重たい視線を上げかけたとき。ごちそうさまでした! そう言ってハルミは席を立つ。断りを入れて受け付けに向かうハルミはジョーイといくつか言葉をかわし、ふたつのモンスターボールを彼女に預けていた。傷ついたポケモンがいたのだ。
「すまない、先に回復させておけばよかったな」
 戻ってきたハルミに謝罪を入れる。けれどハルミはぶんぶんと首を振り、ポリポリと頬をかく仕草をした。
「セッテラさんほんと強いですよね、ダメ元でもっかい挑戦してみたんですけど、やっぱりコテンパンにやっつけられちゃいました」
 たはは、と笑うハルミに手持ちの話を聞く。彼女が連れているのはタマタマとニョロモで、相性の不利は重々承知ながらも、前回よりは強くなったので挑戦に踏み切ったらしいのだ。前はあと少しのところで敗北してしまったので、今なら勝てるかも知れないと思い至ったらしい。結局前回以上の力を出されてやられてしまったわけなのだが。
 新しい子を入れるつもりでいたんですけど、やっぱケチっちゃダメですねえ。ううんと唸りながら言うハルミに、少しだけ呆れたのは内緒だ。
「まったくー、タイプマスターなら強さは一定に保ってほしいってもんですわ」
「あの人たちはチャレンジャーの技量を見るのが役目だから――あ、そうか」
 ふ、とタクヤは背中に手を伸ばす。とん、と叩けば出てきたバチュルは、タクヤが連れている子のなかでは一番おとなしくて扱いやすい子だ。
 手の甲に乗せたバチュルをそのままハルミに差し出す。カバタ生まれらしくむしポケモンも平気らしいハルミは、おずおずと差し出した両手のひらにその小さな体を受けた。タクヤのバチュルはみな頭がいいので、おそらくこの会話の流れで自分がどうするべきかを理解したのだろう。
「セッテラさんはくさ使いだから、こいつのむし技がよく効くと思う」
「いいんですか!?」
「ああ。色々教えてくれた礼だ、そいつに広い世界を見せてやってほしい」
「やっった……ありがとうございます! よろしくね、バチュル〜!」
「ちっちぅ!」
 黄色のふわふわに頬ずりするハルミを見ながらタクヤは微笑む。2人まとめてわしわしと撫でれば、子供扱いするなと怒られた。
 彼女の旅路やしおりバトルがうまくいくように。餞の言葉を贈り、タクヤはハルミと別れた。

20171021
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