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06

 なんとなく、読書に身が入らない。どうにも続かない集中力に諦めの姿勢をとり、タクヤは腹の底からゆっくりとため息を吐いた。
 読みかけの小説を枕元へ投げるように置く。ふかふかのベッドに背中を預け、大の字を張って天井の照明を眺めた。高い天井を照らし切るために光度の高いそれは直視するには眩しすぎて、レンズ越しの光を遮るように目を閉じる。
 先日、ハルミという少女に会った。施設にいた頃、トオルが特に親しくしていた妹代わりであるらしい。おっとりしていそうな外見に反してスッパリした物言いはなんとなく気色が良くて、むしろトオルのほうが世話をされていたのかもしれないな、そう思っては口元が緩む。良好な関係を築けていただろうことは2人の空気を見れば明白だった。
 トオルは顔が広い。友だちや顔見知りがたくさんいるのだ。それはもちろん人だけに限らず、たとえばきのみ屋の看板娘、たとえば野生のナゾノクサたち、たとえば穏やかな老夫婦、たとえばこの街に居るタイプマスター。前に出先でかち合ったときは見知らぬ男と話しているすがたを見た。にこやかに談笑していたふうだったので特に追求せず立ち去ったのだが、今になってあの男の正体が気になるのはなぜだろう。なんにも怪しいところはなくて、ただひたすらに和やかな2人のようであったのに。
 ふ、と小さく息を吐いて、タクヤは事実を再確認する。自分はトオルのことを何にも知らないということ。
 兄弟になって4年経つ。毎日顔を合わせ続けている。自分たちは家族だ。書類ひとつで構築されたそれであろうとも、今の自分たちは正真正銘、紛れもない義兄弟。血のつながりなんてものはこの際関係なんかなくて、家族らしさというものは後からついてくるものだ。後からついてくるはずのものを、自分たちが微塵も積み上げることが出来ていないだけのこと。家族である事実に甘えて、中身を詰めようとしてこなかった。今更か、と独りごちて、タクヤはころりと寝返りを打つ。
 ふ、と、トオルが家に来たときのことが頭をよぎる。あの日はなんとなく落ちつかなくて、ちょうど今日みたいに本を読んでは集中を欠き、そわそわと部屋中を歩きまわっていたと思う。兄弟が出来ると聞かされたのはトオルが来るほんの一週間前だった。不倫か何かしてたんですか、そう訊ねたとき、父は口につけていた紅茶を盛大に吹き出して噎せていた。母にも何を言い出すんだと諌められ、そのときやっとタクヤはおのれの失言に気がついた。
 ツルバミ家の当主は奉仕精神にあふれる人格者である。ボランティアの類には積極的に支援をしているし、トオルが世話になっていた施設にも定期的に寄付を続けていたのだという。だからトオルを引き取った。生後まもなくからずっとあそこにいたトオルのことを、からげんきを隠して笑い続ける子供のことを、彼は放っておけなかったらしい。迷うようなトオルを半ば無理やり引き取れたのは、きっと前述の寄付が効いていたのだろうと思う。そんな話を聞かされてすぐ、トオルはこの家にやってきた。
 凄惨な身の上ゆえにさぞかし沈んだやつなのだろうと思っていた先入観はいい意味ですぐに裏切られ、とにかくあの日は何度も度肝を抜かれたものだ。トオルは明るくて、騒がしくて、そしてとても不安定だった。元気が服を着て歩いているような少年はその実ひどくあやふやなところに立っており、今にも消え失せそうな足場のうえ、独りで踊り続けている。
 トオルは自身を「兄」だと言う。それは多分、この家での役割を求めているからだ。タクヤの兄だと自称して、そう思わせて、この家のなかのおのれの居場所や立ち位置を定めようとしている。そんなもの不要だと言ってもトオルは聞き入れないだろう。役割なんかなくともここに居ていいんだと、居場所なんかあとからついてくると言ってもきっと信じたりなんかしない。なぜなら今までの人生のなか、トオルはそれを感じたことがないから。
 トオルにとっての役割とはもはや存在意義と同義であり、たとえば幼子が遊びに加えてもらうような、「仲間に入れて」のサインなのだ。
「――なんて、全部勝手な憶測だよな。バチュル」
「ばちゅ?」
「はは……くすぐったい」
 頬をよじ登ろうとするバチュルを撫で、タクヤはまた大きく息を吐く。タクヤのバチュルは賢い子ばかりだ。親に似たのかトレーナーに似たのか、聞き分けも良くて大人しい子ばかりが揃っている。聞き分けこそいいがたまにやんちゃをするのはご愛嬌というやつだろう。頬を這ったりシャツのなかに潜り込もうとしたりちょこちょこ動きまわったりと、元気いっぱいなチビたちを見ながらタクヤは口元を緩めている。
 重ねて言う。この子たちは聞き分けがいい。タクヤのお願いもよく聞くし、おのれに課せられた任務はしっかりとこなしてくれる。タクヤのバチュルは6匹いる。ここに居るのは5匹。残りの1匹は、トオルの部屋に忍ばせていた。
 トオルは彼自身も気づかないほど不安定で危うい。いつああして窓から飛び降りるかわからないし、おのれを傷つけたり、心身を無下に扱ったりするか知れたものでもないのだ。だからバチュルを送り込んでいる。それが犯罪じみたものであることは重々承知であるのだけれど、それでもタクヤは放っておけない。もしものときに備えてルクシオにも話をつけてある。危うくなったら大声で鳴いて知らせろと言えば、決意を固くした目で頷いてくれた。彼もトオルが心配なのだ。タクヤもそれは同じである。タクヤはあのぐらついた義弟のことを、こんなにも独りにしておけなかった。理由も答えもきっとまだ、ここにはヒントもないけれど。
『そもそもおまえさ、なんでそんなオレに突っかかってくるわけ』
 ぐ、と呼吸がとまった気がした。脳裏に響くこの声は他でもないトオルのもの。この間、衝突した、あのときの、声。
 ――わからなかった。どうしてあんなにもトオルへ踏み込もうとしたのか、どうしてトオルのことでこれほど頭を悩ませるのか、どうして気になってたまらないのか。まるで兄弟という間柄を超越しているようにも思え、タクヤはひどく窮屈で切迫した呼吸を繰り返す。これじゃあ、なんだか、この気持ちは――。鬱屈した萌芽が足元から這い上がってねをはるような心地を覚え、思わず目を見開いて足を確認する。何もない。いつも通りバーガンディのスラックスをまとうのみだ。安堵の息をゆっくりと吐き出して、突然の動きにあわてふためくバチュルを宥めながら再びタクヤはシーツに沈む。
 兄弟だなんて形ばかり。自分たちのつながりはたったの紙切れが守るだけ。気持ちと心が伴わなければ簡単になかったことに出来るそれを、果たしてこの家では誰が尊重しているのだろう。誰がそれを求めては縋るように身を丸めるのか。もしかすると、否、もしかしなくてもその形に固執するのはタクヤであるのかもしれない。そうでもしないとあるべき形を粉々に砕いてしまいそうで、タクヤは自分を恐れてしまった。壊してしまえそうなのだ。おのれのなかに潜む刃が今にも光を放ちそうで、鈍る意識を抑えつけながらタクヤは深呼吸を繰り返す。落ち着かなければいけなかった。この家を壊したくはない。ここは自分たちの帰る場所で、大事な我が家なのだから。
「……ばちゅ」
「ん……ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「ちぅ」
「どうした、今日は特にあまえんぼうだな」
 ゆっくりと身を起こし、あまえるように擦り寄ってきた1匹をそっと肩に乗せる。ばちゅ、と小さく鳴くすがたがひどく愛おしかった。頬を寄せると小さな体で懸命に身を寄せてきて、タクヤの沈んだ心を癒やしてくれる。ありがとうと重ねて言えばにこりと笑ってまた鳴いた。
 このバチュルは6匹のなかでも一番の新入りだった。元よりバチュルをこんなに捕まえるつもりはタクヤにはなくて、ただひどく懐かれた子のみを捕まえるようにしているのだ。捕獲はしないが遊びには来ていい、そう言って諦める子とめげずに食いつく子の差は激しい。この子は後者であった。元来あまえんぼうな気質だったのだろう、タクヤに引っついて片時も離れようとしなかったのだ。
 古株とはもう10年くらいの付き合いになるだろうか。その子は今はトオルの見張りをしてくれている。れいせいで頭のまわる子であるから、今も見つからずにきちんとトオルのことを見守ってくれていた。人生の3分の2を共にしている、一番信頼を置いている子だ。
「……トオルとは反対、だな」
 トオルとは4年のつきあいがある。数字だけ聞けば結構なものに聞こえるが、どこか壁のある2人は年数ほどの関係を築いているわけではないし、されど4年たかが4年、過ごした時間は人生の3分の1にも満たない。
 空白の10年を埋める方法なんてものは、きっとどこにも――
「――あ、そう、いえば」
「ちゅ?」
「あの子、ハルミ。トオルの妹代わり」
「ちゅ!」
「会えたら、何か、わかる。……かもしれない」
 確証なんてどこにもない。会える確信だって同じだ。
 それでもタクヤは動かずにいられなかった。思いついた選択肢、可能性を、ここでむざむざと捨ててなどなるものか。
 必ず前に進んでみせる。抑えきれないものを確かなものへ変えるため、それに名前を、つけるため。
「つきあってくれるか、バチュル」
「ちゅぅ〜!」

20171017
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