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05

「いやぁ〜〜〜っ! 負けた負けたァ!」
 清々しく声をあげながら、ハルミは大きく伸びをする。
 長い手足をうんと伸ばして、深く長く深呼吸。高い空は青く広がっていて、けれどもそこに彼女をあざける色はない。健闘をたたえ労うように爽やかでひやっこい風が吹く。文句なしの快晴だ。
「もうちょっとだったのになあ」
「ほんとだよ〜! あーあ、また再チャレンジだあ」
 こんなとこで諦めたくなんかないもん。ハルミはそう言って、ふたつのモンスターボールを見つめる。
 ひんしのタマタマとニョロモは申し訳なさそうにハルミの顔色を窺っている。あちこちに傷を作りながらしょぼくれている2匹は今にも泣きだしてしまいそうで、先立っての奮闘を深く理解しているハルミは、彼らを安心させるように優しく微笑んでみせた。労いの思いが通じたのだろうか、タマタマもニョロモも力を抜いて目を閉じる。少しの道中ではあるが、休憩も兼ねて眠ろうとしているのだろう。
 あのあとハルミはセッテラに負けた。セッテラの手札はモンジャラとサボネアで、なんとか切り札を引きずり出すことには成功したのだけれども、それでもいま一歩実力が及ばず、あえなく下されてしまったのだ。ハルミがひとつもしおりを持っていないがゆえにてかげんされた手持ちだったのだが、やはりタイプマスターというのは高くて険しい壁である。タマタマとニョロモではくさタイプに相性が良くないので、次に挑むときは有利なポケモンを育てておこうと意気込みを語っているハルミは、敗北に打ちひしがれながらも、その目を爛々と輝かせていた。
 そして、ひんし状態のポケモンを回復させるため、ハルミとトオルは手近なポケモンセンターへと向かっている。街の外れでバトルに勤しんだために中心部のポケモンセンターまでは少々距離があるが、クールダウンするのにちょうどいいとハルミは笑っていた。積もる話も盛り沢山なのでトオルにとっても都合はいい。
「で、トオルくんは何の用だったの?」
「へ!?」
「だって、わたしのこと探してくれてたんでしょ? 何か用事があったのかなーってさ、そういえば連絡先とか交換してなかったもんね」
 交換しとく? と言って、ハルミは淡いピンクの手帳型ケースに覆われたポケホを取り出した。先日出た最新機種らしいそれは、きっと旅立ちの餞に買い与えられたものであるのだろう。
 ポケホとはポケットフォンの略称であり、薄ったい板状の電子機器に通話やメール、ウェブブラウザなど数多の機能が詰まっているスグレモノである。トレーナー、否、もはやこれは日常生活における必需品で、デザインやカバーも多種多様なのでカスタマイズ性も高いのだ。
 トオルは二つ返事で青のポケホを懐から取り出す。ハルミもそれに笑顔で応え、道すがら電話番号やアドレスの交換を進めた。お互いの住所やその他仔細も伝えあっておいたので、おそらくこれからの交流は幾分スムーズにゆくだろう。淋しくなったら連絡するね、そう言うハルミは遠い街並みを見つめていた。
 今なら切り出せるだろうか。ごくり、緊張を飲み下しながら、トオルはおずおずと口を開く。いつもの大声はどこへやらだ。
「……あのさ、オレ、どうしてもハルちゃんに会いたくって」
「ハ!? え、なに、トオルくんなぁに、わたしのこと好きなの?」
「ちげーよ!! あ、や、違わないけどな!? でもそうじゃなくて――」
「はは、うん。わかってるよ」
 ――トオルくん面白いね。ハルミはにたにたと目を緩ませながらトオルを見た。心の底から面白がる、何もかもをプラスに受け取ろうとする、その気質は時に悪戯っ子のそれになる。ハルミのポジティブかつイキイキとしたところはトオルも大好きであったのだけれど、おのれが当事者になるのは少し居心地が悪いものだ。トオルがきゅっと眉間にシワを寄せる。ハルミはまた笑った。
 もうすぐ目的のポケモンセンターが見えてくる頃だ。すれ違うリーフィアと挨拶を交わす。彼は先ほど通りすぎた花屋の看板息子であり、この辺をよく通りかかるトオルにとっては顔馴染みに等しい。ひらひらと手を振りながら、ハルミは真剣な面持ちでトオルの顔を見る。
「淋しいの?」
「……ううん」
「じゃあ、居心地悪い?」
「いや……」
「ならケンカだ」
「…………」
「図星だなあ」
 ハルミはくすくすと笑う。おかしくってたまらないといったふうではあるものの、それがバカにしたものではないというのはトオルにだってわかった。だから嫌な気分はしなかったけれど、ケンカしたから人に会いたい、そんなことを考えた自分を、なんとなく気恥ずかしく思った。
 トオルが押し黙っているうち、気づけばポケモンセンターはもう目の前に迫っていた。自動扉をくぐってカウンターへ進み、見慣れた顔のジョーイにモンスターボールをふたつ手渡す。よろしくお願いします、そう声をかけたハルミに、ジョーイは柔らかく微笑んで頷いた。それは、さっきハルミがポケモンたちに向かって向けたものと同じだった。
 ジョーイとおそろいのナース帽とエプロンをつけたフワッキーが、ハルミのボールを受け取って、奥の機械へと乗せる。かちゃんと何らかの操作を進める彼女を見送ってひと息ついた2人は、カウンター脇のカフェスペースに腰を下ろした。
「ていうか前も思ったんだけどさ、トオルくんもケンカとかするんだね」
「えっ」
「だって、園にいたときはそういうことしなかったもん。みんなが揉めたら仲裁して、笑わせるために歌って踊って、ちっさい子にはおやつを分けて。……そっかあ、ケンカ、出来てるんだ」
 ――いいことだなあ。ハルミはどこか遠くを見る。昔を懐かしんでいるのか、ぼんやりと、けれども憧憬のかおりを漂わせた視線を追った先で、トオルは思わず息を呑んだ。
 視線の先にあったのは、カウンターを挟んで対角線上にある小さな読書スペース。そして、奥のソファに腰かけて古びた本をめくる金髪の少年は――
「タクヤ……」
「え? ……あ、もしかしてあの人? トオルくんの弟って、うそ、わたし挨拶に――」
「ハルちゃんストップ!! てやべ、こんなでけえ声出したらバレ――」
「もうバレてる」
 トオルの声に振り返るギャラリーのなか、タクヤは静かに本を閉じた。綺麗に整頓された本棚へ読みかけの本を片づけてから、肩に乗る数匹のバチュルを落とさないよう、ゆっくりとトオルたちの元へ向かってくる。横目に見たハルミは興味津々といった具合に目を輝かせていて、トオルは奥歯で苦虫を噛み潰した。
 2人がけゆえにタクヤの座る椅子はない。それを思ってかハルミはすぐさま立ち上がり、たれ目をうんと垂れ下がらせてタクヤの顔を見つめた。彼女の笑みは人の警戒心や猜疑心を和らげる。
「……噂の、『ハルちゃん』?」
「あ! そう、わたしハルミって言います、トオルくんには施設でお世話になってました!」
「そうか。こいつが苦労かけてるな。俺はタクヤだ、よろしく」
「とんでもないです! ……あ、で、タクヤさんがトオルくんの弟さんなんですよね!?」
「……………………」
 タクヤが怪訝な目でトオルを見る。ハルミのほうは今にも面白い! と叫び出しそうな爛々とした表情で、トオルは胃の奥がうねるのを感じた。帰りたい。それが素直な感想だ。早く切り上げたいのだけれど、女の子は得てして長話が好きな生き物だ。ハルミもおそらく例外ではなく、ならばここはタクヤに望みをかけるしかないのだけれども、それはそれでなんとなくプライドが許さない気もする。
 トオルの複雑な思いを知ってか知らずか、話はどんどんと膨れ上がっていった。
「わたし、一度でいいからタクヤさんに会ってみたかったんですよ! トオルくん、引き取られてから一度も施設に来てくれなかったんでもう心配で心配で、もしいじめられてたりなんかしたらとっちめてやろうって思ってて――」
「は、は、ハルちゃん! ちょ、失礼!」
 歯に衣着せなすぎるハルミの物言いに、トオルは慌ててタクヤを見る。
 だがタクヤは何か気にしたふうもなく、むしろ何もかもあけすけに言うハルミを好意的に見ているようだった。ごちゃごちゃ言い訳や前置きをされるよりも、こうしてズバッと言ってくる人間のほうが気持ちいいのは確かである。トオルの前では滅多に見せない穏やかな顔つきは美男子と言うにふさわしく、トオルは胸の奥がどこかざわつくような心地を覚えた。
 そうか。他人には、こんなに、優しいのか。
「俺はいじめたつもりはないが……トオルは思ったより頑固者だからな。たまに意見がぶつかることはある」
「ぶつかる程度でこんなにしょぼくれるんですか? それ、タクヤさんの気遣いが足りないだけじゃ――」
「ハルちゃんってば!!」
 それはさすがにアウトだろ!
 心の中でも叫びながら、トオルはハルミの口をふさぐ。むぐむぐとまだ何か言おうとしているようだったが、この手を離すことだけは何が何でもしたくない。さすがに呼吸が苦しいと言われたら離すほかはないのだけれども。
 急な酸素に咳き込むハルミへ視線で訴えかけていると、タクヤはうん、と頷いて言葉を紡いだ。なるほどな、と1人で得心しているような、その目はどこか物悲しい。
「……まあ、うん、そうだな。心配だよな、兄代わりなんだろ」
 頭によじ登るバチュルを目で追いながら、感慨深げにタクヤがつぶやく。そのうち1匹を指先に乗せて、また肩へと戻した。ちょこちょこと忙しなく動きまわるバチュルは全部で3匹いて、いつもよりは少ないな、とトオルはどこか場違いなことを考える。
「俺はこいつが来るまでひとりっ子だったから、兄弟への情愛を理解しかねているところがある。おまえらよりは不慣れだろうな。それでも、俺なりには大切にしてるつもりだよ」
 タクヤが微笑む、その顔は憎たらしいくらいに綺麗だった。人の美醜に別段のこだわりもないハルミですら思わず感嘆のため息を吐くほどのそれを、トオルはどうにも直視が出来ない。なんとなく、飲まれそうだった。怖いとも思ってしまった。このままではまた足元から暗いものが這い上がってくる、背筋に伝う冷たいものを感じながら、トオルの心は人知れず囁くような悲鳴をあげた。
 刹那、回復を告げる電子音がスピーカーから鳴り響く。カウンター上のパネルを確認して、タクヤは2人に断りを入れて踵を返した。どうやらほかのバチュルを預けていたらしく、パネルにはバチュルが2匹映し出されている。少なく感じたのはそれか、とバチュル使いの義弟を思い、トオルはか細い息を吐き出した。
 怖いのはもういなくなっている。短時間で汗びっしょりになったおのれを恥じる心地になりつつ、トオルはタクヤの背中を見つめるハルミに目を向けた。
「……トオルくん」
 タクヤがカウンターで話し込んでいるのを見つめながら、ハルミはつぶやくようにトオルの名を呼ぶ。どことなく嫌な予感を感じて逃げ出したくなりつつも、トオルは小さく返事をした。
「あんな良い人とどうやってケンカなんかすんの」
 ごもっともなハルミの言葉に、トオルは唸りながらその場に崩れ落ちた。

20171005
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